古代日本の鏡

2011-11-13 00:00:31 | 美術館・博物館・工芸品
神田にある天理ギャラリーで、教団の所蔵品である青銅鏡の展示が行われている(~11月26日)。

kagami


日本列島における鏡の歴史は、弥生時代にはじまるようだ。中国・朝鮮半島から渡来した青銅鏡が始まりである。おもに九州各地で発見されている。その後、古墳時代には、近畿地方でも各地で発見されているが、その時には中国からの渡来品に交じり国産品が始まっている。さらに後期には国産品でも日本独自の特徴を持つことになる。

驚くべき点はいくつもあるが、九州で発掘されるのとほぼ同じものが時代を下って近畿でも発見されるということ。鏡は、毎日のように磨かないといけないものだ。我々現代人は、鏡の鏡面ではなく、裏側の文様を見て喜んでいるのだが、ちょっと変だ。近畿には大和朝廷が起こっているのだから、やはり九州に高度な国家が起こり、その後、近畿に首都移転が行われたのだろうと思える。その時に財宝や調度の類は運ばれたのだろうか。

そして、鏡は何に使われていたかというと、本展覧会では、当初は祭りに使われ、後には副葬品に変わっていったということになっている。

しかし、私は、古代人の鏡に託す気持ちは、そういう葬祭関係だけではなく、もっと将来の予測的なものがあるのではないかと思っている。何しろ、鏡に映る最大の物体は自分の顔である。さらに、その背景には空が移り雲が写っていたのではないだろうか。そして、おそらくは、予言師がいたのではないだろうか。

日本が国家として成った当初の古代人が予測する「未来の日本」と、同じく不確定の時代をさまよう現代日本の「未来予想」とは、はたして異なるものなのだろうか。