金沢城、百万石を守り通す

2011-11-07 00:00:12 | The 城
石川県民ではないからでもあり、あえて言えば、金沢城には、あまり気分が盛り上がらない。というのも、加賀藩前田家には百万石があり、江戸時代を通してそれを何とか守り通したことがある、というのでは、それほど楽しくもない歴史である。

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実際には、前田利家は秀吉の子分であり、しかし常に秀吉を越えようとしたことはなかったようで、秀吉晩年には秀頼の守り刀として大名をとりまとめるように言い渡されたが、結局、その役を果たすことはできなかった。全身像が城の片隅に立つ。

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江戸時代になると、徳川幕府は、将来、幕府を襲う勢力として、薩摩藩、伊達藩、加賀藩の三藩を厳重に監視していたようで、薩摩藩のような自由奔放主義は加賀藩にはとれなかった。ひたすら幕府との摩擦を避けるがごとく「のれんに腕押し政策」を実施していた。

具体的には、武力を重視せず、文化を重視する藩風を起し、料理や菓子、各種手工業では江戸に勝るとも劣らぬレベルを金沢で展開していた。それがため、明治になって、県庁所在地から短期間だが外れた時期があった。行政を行うには派手すぎる街ということらしい。

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歴史に残る事件としては、綱吉の「お犬」政策の時、江戸藩邸の井戸に落ちたキツネの救助に失敗した藩士の切腹命令を無視したこと。水戸天狗党の捕縛に成功したこと。などが有名。

金沢城は、天主は江戸初期に焼失。本丸等は明治になり陸軍が使用するために撤去された。にもかかわらず、いくつもの建物が復元しているのにはわけがある。

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「利家とまつ」。

大河ドラマの開始に合わせて、二の丸や櫓など城内建造物を再建したそうだ。

大丈夫だろうか。オリンピックを開催して破産した国みたいだ。