「てっぱん」の街

2011-04-15 00:00:47 | あじ
福山から帰って、数日後、尾道に行く。福山と尾道は目と鼻の先なので、なんと無駄な移動をしているのだろう。ただし、大震災の影響がJR西日本にも及んでいて、山陽本線は間引き運転中で、30分から40分間隔になっている。それに、調べようにも現地に行って確認するしかないので、すぐに時間が無駄に過ぎていってしまう。

以前、尾道に来たのは2008年5月の頃なので、3年経っている。この3年間で尾道で変わったことといえば、一つは郷土出身の才女、山本モナの復権。どうも尾道を舞台とした林芙美子の「放浪記」を誤読して、「男性的放浪記」を実演しているような気がする。そして、もう一つが、NHKの朝ドラ「てっぱん」の放映だろうか。

「てっぱん」を視聴していたわけじゃないから、的外れかもしれないが、「鉄板焼き」の店の話だったようだ。そういえば、3年前に来た時には、「鉄板焼き」の店なんか気が付かなかったが、今回は存在感があるようだ。そういえば、尾道は広島県なのだ。いわゆる「広島焼き」というものがある。



そして、鉄板焼きの店でないところで食事中に、突如、鉄板焼きを食べたくなり、急遽、注文してしまう。まったくユニークな客だ。居酒屋に「鉄板焼き」の出前が届く。ちょっと気が引けるので、2枚注文して、1枚は居酒屋の従業員の夕食に進呈する。

いや、まったく、広島の味だ。


ところで、広島市内に行って、繁華街である薬研堀(やけんぼり)あたりで、みんなでお酒を飲みながらメシを食べるとき(宴会という言葉がぴったりだ)、この広島焼きをサカナにすると、かなり安上がりに済む。なにしろ、お好み焼き+ソース焼きそば=広島焼き、という関係だからだ。かなりのボリューム。1000円で食事は十分である。

もっとも、一軒目が格安料金になったとしても、油断することはできない。なにしろ、薬研堀では、深夜になっても、白衣ではなくピンクの白衣(表現が間違っている)を来た胸の大きなナースさんたちが、何の目的かよくわからないが、袖をつかもうと必死なのである。

タイから来た人の持っていたもの

2011-04-14 00:00:24 | 市民A
タイと言えば、日本と比較的親密な国だ(とは言っても、個人的には行くたびに嫌なことが起きる)。先日、日本に来たタイ人と会ったのだが、何と言っても驚いたのが、彼が吸っていたタバコのパッケージ。

taba肺がんの患部の写真だ。実は、タイでは喫煙率がかなり下がってきたようだ。税率も高いらしい。まあ、色々な事情があるのだろうか。文化人はタバコを吸わないそうだ。

一方、日本では、たばこの生産が減少するらしい。詳しい状況はよくわからないが、大震災の影響だろうか。もしかしたら、葉タバコの栽培地で有名な茨城県に放射能が降り注ぎ始めたからなのだろうか(うかつなことを書くと、風評の発信地として逮捕され、損害賠償を求められるので、なんとも断定的には書けないわけだ)。

しかし、もともとタバコを吸うとガンになる率が高くなることを承知の上、強い意思で喫煙を続けるのだから、そんな心配は無用なのかもしれない。

もっとも、長くたばこを吸っていないので喫煙者の気持ちなどわかるはずはないのだが、案外、「止めようと思っても止められない」弱い気持ちの人が吸っているのではないだろうかと、憶測しているわけだ。そういう人は、タイからたばこを輸入した方がいいかもしれない。それで、たばこをやめられたら、浮いたタバコ代は、東北復興費のチャリティボックスへ入れてもらえればいいわけだ。

「京」の読み方

2011-04-13 00:00:33 | 市民A
福島原発の事故がレベル7に認定された理由として、放射能の放出量が63京(あるいは37京)ベクレルに達したから、というのがあった。

本題とは離れるが、この単位の「京」だが、「きょう」と読むのか「けい」と読むのか、今一つ確かではなかった。というか、単位はあっても、現実世界には登場しない空想的な単位と考えられていたからだ。ごく最近まで。

NHKのニュースでは、「けい」と読んでいた。

次に「京」が登場するものは、何だろうかと思うに、日本の国債発行残高ではないだろうか?(ジョーク)

その他、「京」に近いものを探したのだが、めったになし。どうも人間の体の細胞数が60兆個あって、毎日15兆個が新品に変わっているそうだ。約2年間で京になる。

同じ体の関係でも、精子の放出量は1回3億匹程度なので、頑張って1日2回ずつ新品を放出しても1年間に2000億匹。「京」になるには約5万年が必要になる。


話を戻せば、要するに、東電って、発電機が輸入され。設置されたあと、ただ運転して電気を送電ロスを抑えながら、需要地に輸送するだけの事業なのだ。

46.2%

2011-04-12 00:00:30 | 市民A
東洋経済の関係誌で最近見つけたのだが、

文部科学省が発表した2010年度の学校保健統計調査(速報)によると、5歳から17歳の子供の身長の伸びが頭打ちとなっていることがわかった。

同調査は1948年度から毎年実施されているもので、今年は4~6月に、全国の幼稚園と小中高の計7755校から対象者を抽出して行われた。

男子は17歳の平均身長が、171.7センチと前年度より0.1センチ減少したのをはじめ、7~12歳、14、15歳でも減少。そのほかの年齢でも前年度並みにとどまった。

一方、女子は13、17歳で前年度の身長を上回ったが、そのほかは減少か前年度並み。身長の伸び悩み傾向は、はっきりしている。

一方、座高は、男子が13、16、17歳、女子も13、17歳で前年度より増加し、減少は男子が7、10歳、女子は11歳のみ。身長に占める足の長さの割合は、17歳男子が46.2%と、親の世代(1980年度)と比べて0.4%低下した。

若者のスタイルのよさを羨望している中高年世代にとって、少しホッとするような結果だが、専門家の間では、身長の伸びは日本人の骨格などから見て限界に達しているとの見方が有力。子供の平均身長は97~01年度にピークに達し、その後は横ばい傾向。今回、調査開始以来始めて伸びが止まった。日本の国力と連動しているかのような結果と言えなくもない。(「東洋経済 統計月報」編集部)


要するに、日本人の身長の伸びは止まり、足の長さも短くなりつつあるということだそうだ。

それというのも日本の国力が落ちてきたのが理由のような、科学とも迷信ともとれる奇妙な論で占められている。

しかし、専門家の間では「日本人の骨格から見て身長の伸びは限界に達している」という論は、少し乱暴なのではないだろうか。つまり、最近の大震災の後の報道を見ても、いかにも専門家という人たちが、相矛盾した意見を、「自分の意見が正しい」と主張するのだが、それが、真実を知っているのかどうかすら怪しいのは、ご承知の通り。

そして気になるのが、座高の高さ。身長が下がっているのに座高を増えるのは足が短くなった証拠である。では、なぜ足が短くなったかということ。

たぶん、遺伝子の問題なのだろう。これもたぶんなのだが、足の長い男女は、モテ男、モテ女として、遊びが楽しくて、なかなか結婚しないのだろう。その一方、脚の短い男女は、結婚して、さっそく、こどもでも作るか、ということになるのだろうか。

一夜にして、日本で最も有名な詩人になった女性

2011-04-11 00:00:01 | 書評
大震災のあと、さまざまな社会現象が起きているのだが、その一つが、テレビCM。一般スポンサーがCMを自粛したあと、AC制作の広報用のビデオが流されている。

misuzuその一つが、「こだま」。

例の、

遊ぼうって言うと、・・・というフレーズで始まり、すっかり国民の脳裏に入りこんでいった。この詩を書いたのが、金子みすゞという女性。詩人であり、童謡詩人でもある。

彼女のことは、少し前に下関出身の大女優、田中絹代のことを調べているうちに、下関の近くの先崎と言う町で生まれたことを知っていた。今から100年以上前の1903年のこと。(田中絹代は、6年後の1909年の生まれである)

実は、ほんの少し前に三越で、「金子みすゞ展」が開催されていて、行こうと思っていたのだが、行くと三越の会員にされそうなので、ちょっと遠慮したのだが、行けばよかった。

そして、彼女は、西条八十に見出され、20台前半に大量の詩を書く。彼女しか語り得ない自然の側から人間を見るような視点は、時にこの人間の社会の残酷さを暴いたり、人間の営みのあまりにも空しいことを表現したりするのだ。

ただ、彼女にとって最大の不幸は、結婚だった。何の間違いか、最低男と結婚することになる。結果、娘を連れて離婚したのだが、最低男は、彼女の生きる糧であるこの娘を奪おうとするわけだ。そして、絶望した彼女は、26歳の人生に自ら終止符を打つことになる。

その後、55年の歳月が、空白のように流れていった。

そして、1Q84年、彼女の実弟が持っていた3冊の手書きの詩集が、ついに陽の当たる場所に登場したわけだ。

だから、1984年より前に詩を読むことを止めた人は、今まで、彼女のことを知らなかっただろう。

海辺の町に育った彼女の詩には、海を題材にしたものが非常に多い。ACが用意していたのが、たまたま「こだま」だったから、これだけ流れていたのだろうと思う。

例えば、『波』という詩がある。

波は子供、
手つないで、笑って、
そろって来るよ。

波は消しゴム、
砂の上の文字を、
みんな消してゆくよ。

波は兵士、
沖から寄せて、一ぺんに、
どどんと鉄砲うつよ。

波は忘れんぼ、
きれいなきれいな貝がらを、
砂の上においてくよ。


今読むと、かなりシュールな感じがしてしまう。

実は、彼女とほぼ同年代の詩人を、最近知ったのだが、それについては来週にでも。

ふくやま美術館

2011-04-10 00:00:16 | 美術館・博物館・工芸品
ふくやまの話で、ふくしまの話じゃないのだが、外国人の中には、混同している人もいる。また広島県というのも連想があるのだろう。ふくやまで会う予定の外国人、来日中止。

そういえば、正月のおみくじに「待ち人、待てど来ず」とあったかな。

それで、美術館でも行ってみた。駅のそばにある。

ふくやま美術館。



どうも美術館の建屋のまわりにさまざまな屋外美術品が並ぶ。ややコンテンポラリーの匂いが漂う。そして、館内に入ったのだが、やや物足りない感じがある。同じ広島県でも広島市の美術館の充実感とは異なる。



所蔵品展の中では、藤井治子作『花見』あたりが印象的である。全体には収集の方針があいまいな感じがする。

fukubi3ところが、美術館を出て、付属というか少し離れたところにある「ふくやま書道美術館」にいって、かなり驚いた。相当のレベルの名品がそろっている。もともと個人の収集家の寄贈に始まるということで、コレクターの視点が入っているわけだ。

まず、一休宗純の『墨蹟』が、迫力である。もちろん本物だ。さらに名書が目白押し。江戸の三俳人と言われた、芭蕉、蕪村、一茶の書というか絵と言うか、揃い踏みである。三人とも達筆である。

なにか、福山って不思議な街である。

「日本将棋連盟」表記はもぐり?

2011-04-09 00:00:13 | しょうぎ
今年4月1日から、従来の「社団法人日本将棋連盟」は、「公益法人日本将棋連盟」に名称が変わる。というか、名称以外も変わるのだが、とりあえず名称の話。

それに合わせて、従来の「社団法人日本将棋連盟」関係者一同に対して、呼称の使い方についての文書が送付された。送付の範囲がどこまでなのかよくわからないが、私の場合、支部会員であり、将棋指導員であり、元支部長(解散済)なので、どのカテゴリーなのかよくわからないが、それは大した問題ではない。



そして、新ルールを読んだのだが、一応、わかるのだが、よく考えると、というのもある。

話を単純化すると、たとえば名刺のTitleに使う時などかな。

まず、「公益法人日本将棋連盟」を名乗ってはならないグループは、「支部」「県支部連合会」さらに、個人会費を払っている「個人支部会員」も支払先の「公益法人」を使ってはいけないわけだ。

では何と名乗るべきなのかと言えば、「日本将棋連盟」。

一方、「公益法人日本将棋連盟」を名乗らなければならないグループがある。「将棋指導員」「棋道指導員」「棋道師範」。こちらは、必ず「公益法人」を付けなければならないそうだ。さらに「公認」という単語も必要になる。つまり、「公益法人日本将棋連盟公認将棋指導員」。

どうして、そういう分類になるかというと、「支部」「県連」というのは、単なる支援団体という位置づけだそうだ。公益法人の外側にいるグループということになる。

一方、将棋指導員は、公益法人の内側にいるということになる。それは、会計上の都合だそうだ。

さらに、こういうことが書かれていてちょっと驚く。

「日本将棋連盟将棋指導員」ではどこにある日本将棋連盟が公認したのかという問題が生じます。そこを明確にするためです。


日本将棋連盟が、そのうち二つになるということを予言しているのだろうか。しかし、支部にしても、日本将棋連盟○○支部では、どこの将棋連盟の支部なのか、わからないということになるのだろうか。

例えば、公益法人日本将棋連盟公認将棋指導員の資格を得るための条件には、支部会員であることとアマチュア三段以上であることが明示されているのだが、この支部会員というのは組織の外側の話になる。さらに、免状というのは、どうなるのだろう。

文書には書かれていないが、たぶんプロ棋士というのは、二種類の名刺が必要になるのではないだろうか。一つは、公益法人としての仕事をしている時に使う、「公益法人」名刺。そして、公益法人関連以外の仕事をするときの「公益法人抜き」の名刺。もちろん一枚に二つ書くのは難しい。

もう少し複雑なのがアマチュア用の有段免状ではないだろうか。

今までの免状は、名前の下に「殿」を書き、末尾には「日本将棋連盟会長 ○○○○」と名人と竜王の氏名が記されている。「公益法人日本将棋連盟会長○○○○」と変るのだろうか。変わらなければ「もぐり」となる。どこの日本将棋連盟が発行したものかわからなくなる。

さらに、段位を認定された方は、単に三段とか名刺に書かずに、(公認)日本将棋連盟許可○○○号 三段とかなってしまうのだろうか。

まあ、それほど深く考えることもないのかもしれない。確かに有段免状はかなりの大きさの紙製なのだが、単に支払う免状申請料に対する「領収書」である、と考えてしまえばいいのかもしれない。

さて、先々週出題作の解答。

a12

a3

飛車先を通すために角を捨てる手順が問題。歩、桂と打ち、角を捨て、桂、歩と順に捨てると、元の形になる。そこで、銀バックが妙な手である。途中の角捨てを飛車で取ると、収束で、いきなり飛車が1一に突っ込んで詰む。玉型の飛車は成らず飛車の方がいいかもしれない。一応、最終手から先に余詰があるので竜にしたのだが、それは今のところ余詰めの仲間には入らないことになっている。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

0409

やや、愚作の香りが漂う。内容の割に手数が長くなり、それではもの足りないと、さらに別の筋を付け足したものの、やはり内容が伴わないという感じ。

できた子供に愛情を注がないで岩山に閉じ込めたことの報いに苦しむというのは、ギリシア神話の定番であるので、まあ、作品の作者であることを認知するだけ、ということかもしれない。なお、7四にあるのは、なぜか「成り香」なので、注意。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

福山名物「たこめし」

2011-04-08 00:00:07 | あじ
福山からの帰り。夕方の新幹線で東京に向かうのだが、これが案外困ったことになる。福山は、東京からみて岡山の先で、広島より手前。さらに空港へのアクセスが悪いため、新幹線を使うことになるのだが、やや時間がかかるわけだ。

夕方5時過ぎの東京行きに乗ると、夜9時頃に着く。時節柄言いにくいが、ちょっと「ひもじい」思いをすることになる。そのため、普段はあまり買わない「駅弁」ということに
なる。

が、広島でも岡山でも新大阪でもないので、チョイスが少ない。何しろ発車時間が切迫していて、ホーム上で選ぶしかないのだが、5時頃には在庫が揃ってないので(いや、何時でも揃ってないのかもしれないが)、事実上3種類ほどの中から選ぶ。まあ、もっとも地元的なもの。それが、「たこめし」だった。

しかし、この弁当をテーブルに置いてみたものの、5時台では早過ぎる。少なくても6時半までは待ちたいものだ。とはいえ、その時間には、新神戸、新大阪、京都と結構3連発で停車して、色々落ち着かないものだ。

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こうして、京都を過ぎてから、この天然意趣の「たこめし」が、姿を現したわけだ。一つ隣の席には京都から乗り込んだ女性が、茶巾ずしを開封しているわけだ。なんだか、縄文時代人VS弥生時代人という感じだ。

そして、蛸が固かったら嫌だなあと思っていたのだが、杞憂だった。圧力なべを使ったのかもしれない。前歯で噛み切れる固さだ。ただし、海老は、今一つ指が汚れるので皮を剥いてほしかった。真ん中のうずらの卵はどうも好きじゃない。といっても変わるべきものも思いつかない。これも現地の名物、鯛のお頭とか、目玉とかどうだろうか。

裏声で歌え。「北国の春」

2011-04-07 00:00:29 | 市民A
福山に行っていた。駅前に福山城があるのだが、いかにも「コンクリート」といった天守閣だ。もう少し木材を見せた方がいいのではないかと、ちょっと思う。



天守閣前の広場では桜の蕾がふくらんでいるが、立札があって、毎年恒例の夜桜の鑑賞については、大震災のこともあって、祝宴としてではなく、防犯上の都合で提灯を用意するというように書かれている。

これでは実際のところ、どういう状態になるのかよくわからない。いつもと同じということだろうか。

全国的に、これから桜の季節なのだが、実際、乾杯ではなく、静かに献杯ということにして、花びらの盃に散るさまを観ながら日本の未来に思いを巡らしたり、静かに「港町ブルース」でも口ずさんでみても許されるのではないだろうか。

被災地出身の歌手であっても、事情により寄付することもできない代わりにチャリティで歌っている千昌夫氏になりかわり、「北国の春」でもアカペラで歌ってみたらどうだろうか。

薩摩藩英国留学生(犬塚孝明著)

2011-04-06 00:00:03 | 歴史
eikokuこの本は、絶版になっていて、少し理由があって調べているうちに、読みたくなり、図書館で借りたもの。

題名の薩摩藩英国留学生というのは、明治維新に2年先立つ1865年に薩摩藩が総勢19名の使節団を英国留学に送ったことを指す。

実は、数ヶ月前に鹿児島に行った時に鹿児島中央駅の駅前に巨大なモニュメントが完成していたことで、その留学生たちのことを知る。

一方、鹿児島出身の有名人を調べているうちに、東郷姓のものが多いことを知っていて、それらの関係を調べているうちに、この留学生たちの中にも東郷姓の人物がいることがわかってきた。その留学生の東郷は東郷愛之進という。有名な東郷は、平八郎(海軍大将)、青児(画家)、茂徳(外務大臣)。どうも、この3人を結びつけるキーになるのが、愛之進ではないかと、仮設を立ててみたのである。

しかし、愛之進は、留学から帰ったあと、どういうことか、戊辰戦争で亡くなっている。それもなぜか大阪で。つまり、他の留学生のようには歴史に功績を残していないわけだ。


そういうことで、少しずつ資料を調べているのだが、その観点では本著はあまり役に立たなかった。東郷愛之進は、メンバーの中ではかなり武家としての身分が下で、しかも1年間で日本に帰国している。理由は、財源不足。どうも薩摩藩は十分にこの使節団をバックアップしていなかったようで、不足財源は自分が出すことになっていたが、東郷愛之進は軍資金不足で滞在できなくなったわけだ。

それで、本著の中身だが、揺れ動く幕末を非常に細かく描いている。特に薩摩藩内のゴタゴタについても詳しい。さすがに現地の学者は細かいなあ、とすっかり誤解していた。まず、本留学生は、「薩摩藩」の名を借りた「五代友厚使節団」であったということ。最初からメンバー選びについても、五代の意見が通っている。

で、知らなかったことだらけなので大変勉強になったのだが、著者は、留学生の中で最年少(15)で、英国から米国に渡り、その後カリフォルニアのワイン王になった長沢鼎のことに、多くのページ割いている。どうも、著者は長沢鼎について深く書きたかったのではないかと思えてきたわけだ。

さらに著者のことだが、本著の発行は、1974年である。27年前だ。奥付に著者の歴史が書かれているのだが、鹿児島の先生ではなかったのだ。1944年生まれで1968年に私立大学の経済学部を卒業。その後、アマチュアの歴史家として本著を描いたことになる。

さらに、著者の犬塚氏の略歴をWikipediaで調べると、どうも本著を書き上げたことが縁になって、大学の講師になったそうだ。やはり執念を持ってやり続けなければ、何も始まらないということだろうか。現在は、鹿児島純心女子大学の教授。日本のシュリーマンと言ったら言い過ぎだろうか。少し言い過ぎだろう。

ギリシア神話への誘い(6)

2011-04-05 00:00:08 | 市民A
ギリシャ神話講座も第6回、最終回。

最終回にふさわしく、神々の酒池肉林の話ではなく、哲学関係。というか、哲学という概念はギリシャ文明の産物。そういうように学問や芸術のカテゴリ分けにも深く関係している。

ということで、かなり漠然というと、ギリシャ文明は、その後、初期のローマ文明に引き継がれるも、キリスト教文化によって時代の表面から消えていく。ギリシャ神話に登場する神々は、人間との微妙な位置取りにあり、人間は、神々を愛し、敬う関係にある。いわゆる上昇愛。

一方、キリスト教の愛は、絶対的な存在のイエスからの愛、つまり下降愛で、要するにキリスト教文明とギリシャ文明は、対決的関係であり、それで中世ヨーロッパは教会支配であった。

そしてルネサンスが訪れ、一気にギリシャの神々が復活する。キリスト教も「原始キリスト教への回帰」が行われる。そして、近代西欧文明は、この二つの文化の絡み合いでなりたってきたわけだ。

が、その後、19世紀になり、哲学なき社会が世界を覆い、帝国主義、マルキシズムとか虚無が世界の思想界に蔓延していく。

そのあたりで、登場したのが、ニーチェ。

彼は、ギリシャ神話の中に、アポロン的な「完全なる美と精神」を見るだけではなく、ディオニソス的な「不完全、陶酔、情念」というような心の醜を見出すわけだ。

さらに、フロイトやムンクは、さらにその人間の心の奥に潜む無意識界の人間存在を神話の中に求めるわけだ。

ある意味、20世紀は、この人間の醜さが思い切って噴出し、ぶつかり合い、世界中の地面に数えきれない戦死者があふれ、一方で抑圧された民族や人間が、人間性を解放された歴史であった。

ガイガーカウンター

2011-04-04 00:00:35 | 市民A
最近は、ガイガーカウンターとは言わずに、日本語で、放射線量測定器とか、略して線量計と言うらしい。東電が線量計が不足して作業ができないと言っているのは、中性子線まで測定するタイプのことなのだろうか。ガンマ線までの測定用の機種は緊急輸入され、案外一週待ち程度で、簡単に入手できる。

houshasen1

さっそく、会社に届いた一台にスイッチを入れてみるが、数値は「0.000」となっている。ゼロだ。

これが、0.001となると1マイクロシーベルトということになる。0.050位になると危険を疑わなければならない。

で、会社中を検査してみたわけだ。エアコンの吹き出し口とかだ。ゼロ(0.001)。

さらに、パソコンのディスプレー、薄型テレビ、大型コピー機。室内の各所。いずれもゼロだ。


そこに、健康診断から帰ってきた社員が現れる。聞けば胸のレントゲンや胃部レントゲン(バリウム)をやってきたそうだ。さっそく全身を検査してみた。吐く息もだ。どうもアルコール検査みたいなノリだ。いくらやってもゼロ。

実は、何か数字が出ても、いいのか悪いのかよくわかってない。50マイクロシーベルトを1でも超えたらまずいのだろうか。それも決めずに計測したってしょうがないという考え方もある。

ところが!

houshasen2

ある場所で、初めて数値が変わった。それも巨大な数字だ。「1.737」。

1,737マイクロシーベルト。つまり1ミリシーベルトを超えているわけだ。大問題だ。

その場所は、電子レンジである。電子レンジの前では、作動中に大量の放射線を放っているわけだ。

これをもって、1ミリシーベルトなんて電子レンジより安全だ。と考えるべきなのか、電子レンジこそ危険な電化製品と考えるべきなのか、そこのところは、よくわからない。

太郎に見せたかったもの

2011-04-03 00:00:35 | 美術館・博物館・工芸品
近代美術館で開催中の岡本太郎展。

そう、芸術は爆発だ。といっても爆発という単語は、今は禁止用語かもしれない。

実は、岡本太郎は、生涯を通じてほとんど作品を売っていないそうだ。自分の作品が個人に収蔵されることにより世間に広く公開されないことを危惧したためらしい。

ちょっとだけ、話が飛ぶが、日本の優秀なアーティストに目を付けた東アジアのリッチマン達が、そのアーティストの全作品をコレクトするという事態が実際に行われているのを。知っているだろうか、

コレクターとはそういうものだと言われればそのものだが、作品を売るアーティストは、自分の作品が数十年あるいは百年以上先に世界を席巻するのか、あるいは無価値に終わるのか、そういう夢を預けることを金銭と等価交換しているわけだ。

一方、岡本太郎は自分の作品が散逸するのを嫌がり、ほとんど売ることがなかったそうだ。だから、東京と川崎にある二つの美術館には、かなりの作品が常時展示されている。

で、岡本太郎。



若い時に、ピカソを乗り越えようとしたらしい。ちょっと無理だった。岡本太郎はピカソとは異なり、普通の人間から出発した。まだ技が未熟だった。多くのフランスの画家は、その後、アフリカを取り入れていたが、太郎は、日本に戻り、そして戦場に赴く。

戦後、活動を再開した彼は、かなりの期間、丹下健三の子分として、ホテルのロビー作品に傾注する。というか、自分の絵を個人に売るのではなく、公共の場に置かれることを望んだわけだ。

そして、迎えたのが大阪万博。



多くの岡本太郎伝では、彼は、丹下健三に対決すべく『太陽の塔』をたてて、丹下の設計した屋根付きメインテーマパークを突き破った、とされている。大阪万博のテーマは「進歩と調和」。彼は、そのテーマに反対して人間性への復帰を求めた、とされている。

私もそう思っていたのだが、今回の展示の中に、岡本太郎自身が語った大阪万博への思いのビデオを見るに至って、誤解していたことがわかった。

彼は、「人類の進歩と調和」に対決したわけではなかったのだ。

「人間の本性は、まったく進歩していない。また調和とは全然違う場所に向かっていて、公害のような問題に直面している。」
だから、人間性の原点に戻ることが重要であり、人類の共通の価値観を築くことが調和である」というような趣旨を述べているわけだ。

まあ、そういうことが十分に感じ取れる展覧会である。

ところで、太郎が生きていれば、絶対的に見せてやりたかったことがある。

富士山大爆発!!

長生きしていれば、もしかして・・・

ちょっと無理かな。

女脳(矢内理絵子、茂木健一郎対談)

2011-04-02 00:00:28 | しょうぎ
onnanno女流棋士の中でも、強気、辛口なコメントの多い矢内さんと脳科学者の茂木さん対談をまとめた本。2009年。ちょうど、茂木先生が自分の所得を税務署に申告する暇もないほど稼いでいた時だ。税務署が正しい所得税を計算して本人に言い渡したのだが、考えてみれば、税務署を税理士代りに使ったようなものだ。

で、題名の「女脳」だが、思考法を男性型、女性型に分けようというのだが、ちょっと空振りのような感じだ。そんな二分法でカタが付くはずもないわけだ。

どうも矢内さんの場合は、強迫観念みたいなのがあって、自分を追い込んでいくようなところがあるわけだ。「この相手に負けてはいけない」とかだ。

で、読んでいて唖然としたのは、将棋以外のことで、お化粧に時間をかけないという話になり、朝10分位で身支度をするということだが、髪に寝ぐせが付いた時、どうしても直らない部分については、「はさみで切ってしまう」ということだそうだ。今まで馬齢を重ねてきたのだが、寝癖をハサミで切る人間というのは聞いたことがなかった。

実は、男性からすれば、「女性がハサミを持つ」というのは、ちょっとブルっとするところがあるわけだ。これから男性棋士と対戦する時は、扇子をパチパチ鳴らすよりも、裁ちばさみをチョキチョキ鳴らした方が効果的なのは間違いないだろう。

さて、3月19日出題作の解答はこちら


今週の問題。

0402

かなり野暮ったい。地震以来駆けずりまわっていて、まともに考えることができないほど忙しくて、契約相手が放射能を理由に来日を取り消した代わりに日本人の代理人を探し出して委任状(POWER OF ATORNEY)を作らせたり、休日なしという状態なので、・・・でも弱音を吐くのはやめよう!!!!!


解けたと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。 


東京駅バスターミナルは大混雑

2011-04-01 00:00:44 | 市民A
茨城県方面の取引先に地震&津波の調査&お見舞に行く。

その話自体は「マル秘事項」なので書くわけにはいかないが、周辺の人たちも含め、これから復興しようという意欲はあるものの、とても人力の及ぶところではない状況だし、どういう手順で何をやったらいいのか、それ自体がよくわからないという感じだ。

どちらかというと、人間が手を入れて海岸を改造したところが集中的に破壊されているといった感じだ。「天罰」とは言い過ぎだが、人類の自信過剰が、単に人間の独りよがりであったことを思い知らされたのかもしれない。

そして、地元のほとんどの人が原発の情報を念入りに調べているようだ。地元には東電の関係者も多く入っていて、どうも、「東電内部の情報」、「政府が公表している情報」、「デマ」の三種類の情報が混在しているようである。

それで話を出発点に戻す。まず驚いたのが、東京駅の長距離バスターミナル。

茨城方面のバスは各種あって、JRバスはじめ、民間のバス会社が運行している。

それで、いつものバスの乗車券売り場に行くと、たまたま八重洲口の改造工事で、発券
売り場が移転していた。表示に従って、乗り場の南端にあるチケット販売所に向かうと、列ができている。列を作るのは、日本人の美徳と外国人が絶賛していたが、美徳と言うよりも、列を作らないと大混乱になって全員に不都合になることを皆知っているからだけだと思う。関東の一部には、今でも列を作る習慣のない場所があることを知っている。

そして、だんだんわかってきたのだが、何が起きているかというと、「いわき行き」とか「水戸行き」といった被災地方へのバスに乗る人たちが大勢詰めかけているということのようだ。



そして、目の前に「いわき行き」が入ってきたが、何と1台じゃなく、2台。大勢の人たちが家族でバスに乗り始めた。どうも被災地から、着の身着のまま、東京方面の親戚宅に避難したものの、また実家に戻るというか、荷物を取りに一旦帰るというパターンの人が多いようだ。

また、親戚に物資を持って行くといった感じの人たちもいるようだ。



ところが、「いわき行き」の後、自分の乗るバスが入ってくるはずなのに、来ない。そのうち気が付いたのだが、「運休」である。さらに待っていると10分後のバスも「運休」とのこと。結局30分経ってバスが来るものの、当然ながら満員である。満員になると、2台目のバスが来る。見ただけで1台目よりボロバスだ。

こういうのも、「大震災のため運休」と書くのではなく、「避難民のため他路線にバスを供出したため運休」とか「軽油入手が困難なため運休」とか理由を書いてもらえれば、不満も和らぐのだろう。

それで、結局、満席のバスなので、ドライバーが乗客の数をカウンターで計算して、席の数と同数の乗客を乗せたのだが、なぜか最後の乗客の席がなかったわけだ。

車内を確認したところ、一人の女性が二つの座席を占拠(いわゆる大名座り)していたことが判明(というか、見れば一秒でわかるはずなのに、ドライバーは最後尾から席の数を数え始めたわけだ)。そして前から2列目のその女性を見つけて、「お客さん!2席使っちゃいけません」と怒ったわけだ。

後ろの座席からなので、毛糸の帽子をかぶったその非常識女性の年齢も容姿もわからないままに終わったのが、ちょっと残念なのである。