パンダレンタルの違和感は・・

2008-05-21 00:00:23 | 市民A
上野動物園のパンダ、リンリンが亡くなったのは4月30日の未明。そして、その後、外務省が中国と交渉したのだろう。5月4日、胡錦涛主席は来日直前の北京でのインタビューで新たな二頭のパンダの貸与を公表する。

実際、両国間には次々に実務的懸案事項が山積になっていて、原則友好論だけでは片付かないわけだ。来日の成果も、具体的な話はパンダだけだった、といってもいいぐらいだ。パンダの話は突発的に発生したのだから、その話がなければどうしたつもりだったのだろう。

そして、パンダレンタルの話を持ちかけたのは、日本なのか中国なのかははっきりしないが、どうも日本側だったのではないかという気がする。

そして、その後の「不要論」の嵐が始まる。そして、パンダの故郷、四川省を大地震が襲ったことで、パンダレンタルの話は凍結状態になっている。しかし、いずれ、パンダレンタルの具体的な条件の協議が始まるのだろう。そして、賛成論や反対論が飛び交うはずだ。

まず、反対論からだが、主に石原知事が代弁しているが、

1.レンタル料(つがいで1億がベース)が高い。

2.いまどき、パンダでもない。

3.見に行きたければ、上野以外に行けばいい。(神戸・和歌山・中国など)

4.パンダで諸問題をごまかされそうだ。

 など


一方、賛成論は複雑だ。

1.単にかわいい。

2.親切心を断ってはならない。(シルバーシート論?)

3.1億は安い。

4.中国からの貢物と思えばいい。

 など

いずれの説も、完全に正しいとも完全に間違っているとも言えないのだろうが、思うに、今回の話の最大の違和感は、「時期が早すぎる」ということではないだろうか。

何か、20年間連れ添った妻が腹膜炎で病没したら、直ちに結婚紹介センターに足を運んで再婚相手を決めた、というようなものに感じるわけだ。確かに公的機関の宗教活動は禁止なのだから喪に服したりしないとは言え、おそらくどこの宗教だって、人が亡くなれば葬式になる。リンリンの場合は4月30日に亡くなった後に、5月5日に偲ぶ会が小学生によって行なわれている。パンダレンタルが決まった後だ。

実際、仮に次世代パンダのことを考えるなら、一旦、パンダのいない動物園として3年ほど経過したあと、「やはりパンダが欲しい!」と多くの都民が感じるようになってから「オネダリ」した方がよかったのだろう。

本当は「オネダリ」ではなく、交換できる動物がいればいいのだが、中国にいなくて日本にいるという珍獣は、あまり派手なのはいない。正規版「ドラえもん」くらいだろう。

ところで、強権知事が「みたけりゃ、いるところに行けばいい」と言った先の一つが、神戸の王子動物園である。新神戸駅からタクシーで1000円以下らしい(あるいは阪急電車)。こちらにパンダがきたのは2000年だそうだ。1995年の大地震のあと、復興する神戸のためにと、大目的をもって来日。現在、四川大地震の復興募金を行なっているようだ。また、王子動物園では今年4月10日に65歳の象「スワコ」が亡くなった。4月19日にお別れ会が行なわれている。

神戸王子動物園の方は、まったく正統的のように思える。手順とタイミングが重要なのだ。

亡くなったら直ぐにパンダの跡継ぎを決める、というのでは江戸時代の大名家の「末期養子」のようなもの。当時は、跡取りがいないと、お家断絶、家来全員失業という最悪の事態が待っていたのだが、パンダがいなくても、急には何も起きないはずだ。


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