超名門幼稚園の閉園

2007-10-16 00:00:14 | 市民A
9240b635.jpg東京渋谷の東急百貨店の裏からNHKの裏につながる街並み一帯を、「松涛地区」という。世界有数の高級住宅街である。といっても狭い日本の首都なので一戸当たりは200坪程度だろうか。そこに瀟洒かつ歴史のある洋館が立ち並ぶ。

元々は、明治初頭に、明治維新の勝組である鍋島家が越してきた。鍋島家は当初、現在の首相官邸の場所に屋敷を構えたのだが、さすがにそこは東京の中心過ぎたのだろう。そして、戦後、旧名門には冷たい嵐が当たることになり、大磯の別荘はじめこの松涛の土地も、すでにほとんどが人手に渡っているようだ。先日は、ユニマットグループのスパが大失敗したのは記憶に新しい。

そして、この一角には複数の美術館や、大企業の社内料亭のような施設もあり、地価は坪1000万円以上と言われるのだが、知る人ぞ知り、知らない人は知らないある学園がある。

松涛幼稚園。

創立は1947年(昭和22年)。創立者は林貞子さんという方で、普通の幼児教育を超え、こどもの人格の形成を大きな目標に掲げ英才教育を実践していた。結果として、有名人の子女専門ということにもなり、入園するには一苦労。この園となんらかの知己のある人の”ご紹介”がなければ、門前払いとなる。入園料は120万円という説もあるが、もちろん120万円持っていても入園できるわけではない。

有名人では、女優:寺島しのぶ、モデル:森泉、故高円宮憲仁殿下、寛仁親王妃信子さま、中曽根元首相や扇千景元参院議長の孫、元夫婦:森進一森昌子のこども、元夫婦:郷ひろみ二谷友里恵のこども、石原伸晃議員のこども(=都知事の孫)。

そして”お受験”でも慶応、学習院などの有名私立小学校に抜群の入学率を誇っている。

ところが、この春、突然に、3年後の幼稚園閉園が発表された。したがって来年以降の新規の募集は行われない。

ではなぜ、今、このブランド幼稚園が閉園ということになるのだろうか。

2ヶ月ほどあれこれ調べているうちに、わかってきたことは、きわめて人間的な話のようなことである。もちろん人の心の中を探ることは困難なので、客観的な事実を並べてみる。

まず、創立者の林貞子さんだが、昨年(2006年)8月に亡くなられていた。現在は三女の楢原茂子さんが経営をしているそうだ。そして、この楢原さんだが、幼稚園を引き継ぐ前から学習院大学はじめいくつかの大学で教壇に立つ源氏物語の研究者。アカデミックである。経営がお好きじゃないのかもしれない。では、三女というなら長女や次女や男の兄弟は・・ということになるが、男の兄弟はなく、実は長女は、この松涛幼稚園に肉薄するお受験幼稚園である「若葉会幼稚園」を経営されている。つまり、有名幼稚園の一位と二位は親子・姉妹といった関係にあったわけだ。

そして二女は、まったく教育関係には無関係で、長女と三女の名声に、やや、心安らかざる心境であったのではないかという声もある。ということになれば、なんとなく、相続関係の話が背後にあるのではないかと勘ぐりたくもなるのだが、では、この松涛幼稚園の価値は?ということだが、本来は、卒園生の価値とか、現在のブランド価値を含めて考えるべきなのだろうが、たぶん、地面の価値が膨大なのだろう。

それで、現地に行ってみるのだが、実際に、この幼稚園が松涛地区のどこにあるのか、ということは公開されていない。なにしろ電話帳にも載っていない。おそらく、誘拐事件とかのリスクを最低にするために、地番を含め内部情報は秘密にしてあるのだろう。(もし、場所を知りたい方は、まず、松涛地区内にある戸栗美術館に行って、入館料を払ってパンフレットを入手すれば、そこに幼稚園の場所が書かれている。他の方法もあるのだが、事件が起きるとまずいので、ここには書かない)

建物は地上3階、地下1階で、1階と地下が幼稚園。2階がフリースペースになっていて、3階は林園長が居住されていたそうだ。表札には、松涛幼稚園と並び、林と書かれている。実際に林元園長が亡くなられてから1年以上経過しているので、相続については、とある結論が出ているのだろうが、外部には見えない。

さらに、この林貞子元園長だが、母親は牧野純子さんと言われる方。この牧野純子さんは美智子妃の女官長だった方で、さらに鍋島家の末裔である。また純子さんの父は大久保利通の次男。


そして、特に、松涛の地と関係の深い鍋島家の家系図にあたってみた(別途、鍋島家のことを調べていて、簡単な明治以降の家系図を入手している)。幕末の時の鍋島藩主は鍋島直正で、この殿様はきわめて開明的で、明治維新の原動力になっている。よく薩長土肥というが薩長土の主役は殿様ではなく下級武士だったのだが、鍋島は殿様が大隈重信などを引っ張っていった。久米美術館に関係する久米邦武や、東芝創業者の田中久重などを発掘している。

その直正の子で家を継いだのが直大。そしてこの直大は家系図上は5男7女を生み、その4番目(三女)の茂子が牧野家に嫁いでいる。

いずれにしても、前園長の遺産である幼稚園の地面は25億円から30億円と見られる。まあ、資産家にこどもが多いと、色々なことが起こるのだろう。

しかし、庶民には何の関係もない話といえばそれまでなのだが・・

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「タイム・コントロール(上原ひろみ)」

2007-10-15 00:00:29 | 音楽(クラシック音楽他)
151fe4c5.jpg2007年2月にリリースされた上原ひろみさんのCD「タイム・コントロール」。机の上に横倒しにしたまま、早半年といったところで、別のところに彼女が登場。

この11月から東映系で公開される映画「オリヲン座からの招待状」のメイン・テーマを担当したそうだ。浅田次郎原作、宮沢りえ、加瀬亮主演。しかし、ジャズピアニスト一人がメインテーマを作るなんて、ハリウッドではとても考えられない安上がりな方法だ。ある意味でで、彼女らしいといえば、そうなのだろう。ジャズといっていいのか、よくわからないが。

さらに、最近、外国人と結婚したらしい。余計なお世話だが、28歳で結婚したっていいことないだろう。苗字を変えると後で面倒だろう。

それで、このCDの前、2005年に「スパイラル」という元気のいいCDをリリースして、彼女は米国(&日本)での地位を確保。この『スパイラル』は曲名のように、元気のいいアップテンポのメロディがグルグル?がっていって、少しずつ前に進んでいく。その他にも『エッジ』、『古城、川のほとり、深い森の中』など。「ハイ」「快」というのがテーマ。当時、日本では、「負のスパイラル」というコトバに終止符が打たれようとしていた時代だった。

『タイム・コントロール』はどうしたものか邦題(副題)で、”時をかけるピアノ”となっていて、『スパイラル』の流れを引っ張るようなイメージなのだが、実は違うのではないだろうか。だいたい、コントロールってコトバは「走る(かける)」ことじゃない。むしろ、時間の流れに乗るのではなく、時間をピアノでコントロールしているようなイメージだ。止めたり進んだり、疾走したり、戻ったり。前作とからの進化にちょっととまどう。(たぶん自信のかたまりなのだろう)

ある、ミュージシャン(やや、不吉感があるのだが)が、メッセージを寄せている。

「彼女の驚異の薬指と小指、そして美しい心の前では、どんなミュージシャンも、どんな音楽ジャンルも、やすやすとひれ伏してしまうのです。 思いっきりニヤリとしながら。」
 吉田美和(ドリームズ・カム・トゥルー)


ピアノ、ドラム、ギターのトリオではあるけど、全然無視。わがまま。まあ、だから一人で映画のメイン・テーマを作曲し、演奏するのだろう。


ところで、彼女の進化路線だが、たぶん、このまま、何年か進んでいけば、ピアノ協奏曲の作曲みたいな方向に向っているのかもしれない。和製ガーシュイン。逆に、クラシック界からどんどんジャズに近づいていっているのはトルコ人男性ピアニスト、ファジル・サイ。まあ、クラシック崩れは大勢いる。そして、どちらのジャンルであっても、多くのCDショップでは、この二つは店の奥の方にまとめて配置されているので、探すのにも問題は少ないだろう。

これから、11月にかけては、日本でのコンサートが続くようだ。しばらく旦那と別れているのだから、それでよければ、ついでに区役所に○○届けを持っていったらどうなのだろうか・・

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いい仕事集めてますねえ

2007-10-14 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
ea06316d.jpgTV「開運!なんでも鑑定団」で、「いい仕事してます」を連発。司会者の石坂浩司が、「では、鑑定の結果は?オープン・ザ・プライス! ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、一、十、百、千、万、十万、百万、五千万円!!」というような鑑定のお仕事をされている中島誠之助氏のコレクションから精選したオタカラ展が、渋谷の戸栗美術館で開かれている。中島氏は南青山の骨董店「からくさ」を商う一方で、藍と白の作り出す「染付」の美しさを世に喧伝。骨董ブームの立役者になっている。著書も多い。また、「からくさ」は南青山の”骨董通り”の命名の所以にもなっている。

ところで、一般に商売は、”売り物に手を出したら終わりだ”という人もいる。書店の店主がベストセラーの読書に耽ったり、証券会社の社員が信用取引の山を作ったり、神社の神主が宝くじを買って神に祈ったりとか・・要するに、商売と趣味は別、ということ。

ea06316d.jpgとくに古本とか骨董の類を趣味で集めはじめたら、商売にならないような気もする。バランスシートの流動性がなくなり、現預金が商品になるわけだ。そのうち、店の在庫なのか、個人のコレクションなのか判然としなくなって、行き詰る。

もっとも、中島氏がそんなタイプだったら、骨董店「からくさ」は倒産してしまい、南青山には別の名前の通りがあって、TV東京は人気番組を一つ失い、「石坂浩司の温泉鑑定団」などやっているかもしれない。

そうならなかったのは、中島コレクションが、同じ唐津でも「豪華絢爛」方向へ向かわずに、「凛とした清々しさの美」、「たまには実用にも使う親密感」という二つの基本を持っているからだろう。


ea06316d.jpgというわけで、染付の基本という「たこ唐草」「花唐草」を中心に、コレクションには小品が多い。小皿、組食器、猪口、鉢など。主に18世紀の作を中心に、僅かに17世紀、19世紀の作が混じる。つまり、かなりこだわりを持ったコレクションで、一つ一つが高額な資産というよりも、全部まとまて、中島コレクションの意味や彼の好み、骨董に対する考え方が見えてくるという構造だ。


入場料は1000円と小規模美術館として割高に思えるかもしれないが、中島コレクション108点を1点10円で鑑賞できて、なお80円お得ということを考えれば割安かもしれない(と、骨董屋のような言草だ)。あまりの美しさのため、鑑賞にはスーツとネクタイをお勧めしたいが、もともとスーツとネクタイ自体が似合わない人はせめて無精ひげは剃ってきたほうがいいだろう。

ea06316d.jpgそして、今回、戸栗美術館の所蔵品はほとんど展示されていない。ほぼ全館が中島コレクション。おそらく『鑑定団』の出演料がこれらのコレクションの財源になっているのだろうが、コレクションに、なお一つ欠けている物があるとすれば、それはこの”中島からくさコレクション”を常時展示すべき「中島美術館」ではないのだろうか(10月2日~12月24日)。


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免状にもこだわりが・・

2007-10-13 00:00:34 | しょうぎ
5764c811.jpg最近、日本将棋連盟に知人への将棋免状を申請した。一応、二段までの推薦権がある。いわゆる「免許皆伝」。ただし、他のお稽古事の世界とは異なり、申請料は公明正大に将棋連盟のホームページに明示されているので、あいまいな金額を希望者に提示して中抜きしようとしても、人間としての信頼を失うだけ。全部、将棋連盟の財布に入るだけだ。

そして、今回は初段免状。実際にこの方の実力では三段強といったところなので、「初段」はいかにも変なのだが、まあ、予算上の問題もあって・・

今回の例ではないが、普通、私が初段を推薦する時には、「まだ初段の実力には少し足りない」という方を対象にする。それには意味がある。

画像でわかるように将棋の免状というのは、結構立派だ。桐箱に入っていて、取り出して広げれば、横が1メートル近くある。つい、額縁も買いたくなる。そして、この将棋の免状というのは、持つと、つい他人にしゃべりたくなる。「初段になった・・」。今回の方も、会社で同僚に見せびらかせたらしい。何しろ、初段と言っても柔道や剣道と違って、頭脳ゲームだ。「俺は頭がいい」というような気になる(錯覚)。

ところが、実際には初段には僅かに実力が足りないわけだ。そうすると、昼休みに会社で指すといっても、うかうかできないわけだ。「有段者」という重みが付いて回る。そうした場合、その「免状有段者」はどうするか。二つに一つだ。1.人前で有段者として恥ずかしくないように努力(勉強)をして、免状に腕前を追いつかせる。2.免状を記念品として、もう指さないことにする。

本当は、知人に渡す免状の桐箱を開けて、中身を確認するなどやりたくなかったのだが、一応、仲介者として確認したわけだ。ずっと以前のことだが、大問題があった。名前が違ったわけ。書き違えである。そして、誰のミスかで連盟ともめたわけ。申請書のコピーがなかったので、身の潔白が証明できず、困った。その時は3文字の方で、「○△ 勇さん」というのを、「○ △男」となっていたのだ。


5764c811.jpgところで、この免状は最後に三人の署名が入っている。三番目の渡辺竜王は、免状を書くために必死に習字の練習をしているようだが、「習字は一日にして成らず」ということがよくわかる。そして、さらに署名を良く見ると、連盟会長の署名が一番大きい。”日本将棋連盟”という文字よりも大きい。そんなものなのだろうか。もっとも署名は右の人から書くのだろうから、相対的大小は左側の人のせいなのだろう。

ところで、私は既にこの免状を三枚も持っている。二段、四段、五段。いずれも、これで免状は最後だと思いながらも、そのつど将棋連盟に寄付をしている。そして、ある将棋雑誌の出題コーナーにトライした結果、さらに上の段位の免状を申請できる権利を取得している。ただし、相当高額。親方株みたいに六段位を後で他人に売れればいいのだが、そんなことはできない。そして、実は、どうせ申請するなら、羽生善治さんと谷川浩司さんの署名が免状に並ぶ日をずっと待っているのだが、その機会は長く訪れていない。そして、私以外にも、同じことを考えている人がいることもつかんでいるのだ。

5764c811.jpgしかし、谷川・羽生という当代の人気棋士が竜王と名人を獲得した場合、次世代の星である渡辺明竜王の署名がなくなってしまうわけだ。それももったいない。そこで、もう一度免状の署名欄をよく見ると、実際には3人が署名していることがわかるではないか。となれば、両巨頭と渡辺明竜王の3人の名前が並ぶことは可能のように思えてきた。そのためには、まず渡辺竜王には竜王防衛を頑張ってもらうこと。次に羽生二冠には順位戦で勝ち抜いて名人に復帰してもらうことだ。そして最後に谷川九段に期待するのは、・・・・


さて、9月29日出題作の解答。

▲1八金引 △同飛 ▲同金 △2九玉 ▲3七金 △1八玉 ▲2八飛打 △1九玉 ▲2九飛 △1八玉 ▲2八飛引 △1七玉 ▲2七金 △同と ▲同飛 △1八玉 ▲2八飛引 △1七玉 ▲1八歩 △1六玉 ▲2六飛 △1五玉 ▲2五飛 △1六玉 ▲2六飛上まで25手詰。

まあ、最後までつきあってもらってありがとう。ということか。特に5手目が妙手(というほどでもないけど、相対的にという意味で)。

この収束は、我ながら、どこかで見たことあるなあ、という感がある。玉方の1四歩がなくても詰むのだが、まあ、きりのいいところでおしまいにするため。


5764c811.jpg本日の問題は、初手逆王手問題。

6手目に気付けばスイスイ解けるはず。なぜか、初型の使用駒数13枚と詰上がりの駒数は同数になる。

解けたと思われたら、コメント欄に最終手と手数を記入してもらえれば、正誤判断。







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民営化後の二つの話

2007-10-12 00:00:02 | マーケティング
10月1日から、郵便局が大きくいって金融会社と郵便物運送会社に分かれた(正確には五社?)。

なかなかログインに時間のかかる”ゆうちょ銀行のホームページ”を開くと、迷惑な話があった。

2007年10月03日 (株)クレディセゾン様が発行する「郵貯カード《セゾン》」お取扱い終了のお知らせ
 このたび、(株)クレディセゾン様が発行する「郵貯カード《セゾン》(「《セゾン》カード」に「ゆうちょキャッシュカード機能」が一体となったカード)」について、弊行と(株)クレディセゾン様において協議しました結果、今後のお取扱いを終了させていただくこととなりましたので、お知らせいたします。


聞いてない!!

実は、そのカードを使っているわけだ。郵便局でずいぶん熱心に勧められたカードだ。郵便局のキャッシュカード+セゾンカード+VISAカード。そして、年会費無料でセゾンカードが永久不滅ポイント。実際に、このカードで引き落としにも使っているし、個人的にはVISAカードとして使っている。そのために郵貯におカネをわずかだか入れているわけだ。

そして、10月3日に発表したこの内容は、まだ、大きく報じられていないようだが、これからジワっと拡がっていくだろう。一体、どういうことなのだろう。そして、私の永久不滅ポイントはどこに行ってしまうのだろう・・そして、残高数万円の郵便貯金はどうやって引き出さばいいのだろうか??VISAカードの未精算金を帳消しにしてくれるのならば大歓迎なのだけど・・

ところが、ふと、思い出す。・・・そういえば、請求書と一緒に何か入っていたのでは・・資源ごみにまとめた紙袋をひっくり返すと、資料が出てきたわけだ。

”永久不滅ポイント 3倍”

ようするに、今の郵貯+セゾン+VISAのカードが、ゆうちょICカードとセゾンNEXTカードの二枚に離婚するということが書かれていた。離婚後にセゾンカードを見捨てないで使ってもらえれば、永久不滅ポイントは3倍もつく、ということだそうだ(ただし12月までだから2ヶ月間)。

そして、セゾンカードのポイントは永久不滅とは言っているが、たとえば、今回の郵貯との関係解消で、ポイントをすべて精算して、解約してしまおう、という人ばかりになったらクレディセゾン社自体がひっくり返らないのだろうか。

実際は、セゾン社が倒れたところで大丈夫なのである。むしろ、そちらの方がポイント還元が永久にできなくなるのだから、まさに、「永久不滅」のままポイントだけが永遠に残ってしまうのである。


次は、ある企業ユーザーの話。

知人の知人の知人の話である(詳しく書き過ぎると、巨大迷惑を被る人や会社があるので、もやっと書く)。その人は、ある教育産業の非正規社員。通信添削教育の会社で働いていた(仮にA社とする)。そのA社の基本パターンは、参加者へテスト問題を郵送し、毎月決められた日までに解答が戻ってくると、その解答用紙を束ね、格安料金でご禁制のアルバイト契約している全国の学校の先生宅へ郵送。添削された後、戻ってきたテスト問題を次の問題と一緒に参加者宅へ郵送するわけだ。要するに仕事のツボはきちんとした番号管理とか、住所管理とか、仕分け業務とかそういうマニュアル的な事務作業。

そういう作業に、あまり要領は要らないので、郵送センターには非正規社員が多いらしいのだが、その非正規社員のお仕事の一つに、不思議な業務があったそうだ。

全国からセンターに集まってくる膨大な封筒類には、それぞれ何枚かの切手が貼られているわけだ。中身のテスト用紙を取り出した後、それらの封筒は、本来、ゴミになるはず。ところが、仕事はそこから始まっていたそうだ。

空の封筒の山を机の上に積み上げ、一つずつ、使用済みの切手を確認していたそうだ。そして、切手にスタンプが押し忘れになっていたり、スタンプの位置がずれていて、切手にインクがついていないものを選別する。もちろん、切手にスタンプが押されていればゴミ。というかほとんどはゴミになる。たまにキレイな切手があると、その封筒を選別し、あとで切手部分を切り取るそうである。そして、もちろん切り取られた切手の行き先及びツカイミチは、非正規社員には不明。

ところが、1年前くらいから、突如、この作業はなくなったそうである。郵便局側の体制が官から民に変わった場合の対応を予想したのか、あるいは単にコンプラの問題なのか、あるいは正社員のお仕事になったのか?・・・真相は闇の中だ(というか、大体見当はつくが)。


あるいは、「A社がやっていることは、普通の企業じゃ当たり前に行われていること。あんたの会社だけがいい子ぶってるだけじゃないの」ってことなのだろうか。そうであるなら、会社経営の勉強のためにも、またも次の会社に変わってみるべきなのだろうか・・。希望職種は、「切手の使い回しをしている会社」です、って。

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売り出された城、福澤諭吉、時津風部屋

2007-10-11 00:00:37 | The 城
昨日、「六本木のイタリア料理店”キャンティ”について書かれた『キャンティ物語(野地秩嘉)』は、冒頭に、事故で亡くなったレーサー福澤幸雄の葬儀から書き始められている」と、書いたのだが、そのレーサーの祖父が慶応大学創始者、福澤諭吉であることは、広く知られている。そして、福澤諭吉は、現在の大分県の中津藩士の子として生まれた。しかし、実は彼が生まれたのは、大分ではなく、大阪。現在のJR福島駅の南側にあった中津藩大坂蔵屋敷だった(この福島駅の北には関西将棋会館がある)。そして、生後直ぐに父の死により、本来の中津に戻る。そして聡明だった彼は19歳で長崎に派遣され、蘭学を習得。その後再び大坂で学問に励んでいるうちに幕末の大騒動となり、ついに江戸に出てくることになる。その時、藩主である奥平家とは思想的折り合いがつかないままだったそうだ。坂本龍馬が土佐藩を脱藩したようなものだ。

6fc76f85.jpgで、きょうの話の中心は別なので、次・・


その幕末の中津藩主である奥平家の末裔が、明治以降、長く維持していた中津城および公園をついに手放そうとしている。既に、福岡県の不動産会社のホームページに希望価格3億2000万円と公開されているようだ。

地元では、市を代表する観光名所が売り出され、場合によってはマンション用地になったりすると困るだろうと、有志による買取とか話題になっている。一体、どうなるのだろう。いかんせん、入場収入が少ない。売り上げは年間1000万円と言われるが、入場料は400円。一日70人ぐらいの計算になる。

そして、今回の城売却騒動で見えてきたのは、この城の天守閣。実際に、ここには天守閣はなかった。しかし昭和39年にいわゆる模造天守閣を建てている。そこに、大きな問題がある。


昭和39年当時の事情がどうだったかは、わからないが、現代の常識から言えば、「ニセモノはNO!」。鉄筋コンクリートの天主閣は外形は美しいが、やや嫌悪感を持つ人もいるだろう。おそらく、「中津藩の歴史的資料を納め、展示するには立派な建物が必要。それならば、天主閣を建ててしまえ。どうせ奥平家のものなのだから・・」というようなことだったのだろうか。

例えば、姫路城の入場料は600円である。ホンモノである。十分に安いと思う。中津城の入場料400円はどうだろうか。千葉市にある天主閣の形状をした千葉郷土資料館は入場料60円。要はどうにもならないのだろう。それに、市が3億円で天主閣を買い取ったとしても、中津藩伝来のお宝は別。既に、どうにもならないのかもしれない。

あるいは、中津出身の福澤諭吉関連で慶応大学に出資を頼めばいいのだろうか。否。奥平家とは150年前に仲違いでサヨナラしたばかりだ。さらに諭吉は咸臨丸で米国視察旅行に行った際、元大統領(リンカーン)の子孫が何をしているのか米国民の誰も興味がないことを知り、驚愕狂喜したらしいほどの血縁否定論者。ニセ天主閣でクビが回らなくなった奥平家の窮地を知れば、高笑いしただろうと思う。

6fc76f85.jpgそして、さらにもう一人の有名人がいる。この模造天主閣の中に化粧まわしを贈呈した大分県出身の大力士のこと。

双葉山。不滅の69連勝である。引退後、春日野一門に対抗する名門部屋を興す。

時津風部屋である。奇しくも、年寄株のピーク時はこの城と同じ3億円だったはずだ。こちらの方からの寄進類もまったく見込み薄だろう。


ところで、この中津城、自分で行った記憶があるような、ないような。古い写真を当たると、似たような画像があった。ホームページなどで紹介されている天主閣は、水城として有名な、海水を引き込んだ濠の側からの画像だが、この写真は反対側からのようだ。ただ、若干異なるようにも見えるし、整理が悪いので、今や、よくわからない。そのうちキャッスルマンション中津とかに建て直されてしまえば、わからずじまいになるのだろうか。


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アッコちゃんの時代(林真理子)& More

2007-10-10 00:00:55 | 書評
6b03b4c9.jpg確か、一昨年の初版だったか、本棚に横積みになっていた本『アッコちゃんの時代』を開いたには理由がある。バブルの時代の六本木の女王だった主人公厚子の男性遍歴の数々と、そして現在。不動産王早川、イタメシの「キャンティ」の息子。そして普通の人(高志)。最近、現れたIT系社長。

読み始めた理由は、まったく別の角度の話から。

「globe」のメンバーであるニセ外人、マーク・パンサーさん(35)の妻、S井薫子(29)容疑者がケタミン他の麻薬類を所持&検出された事件。この薫子容疑者、某建設会社の令嬢と報じられていて、アッコちゃんとの相似点が多いなあ、と思い出したわけ。

ところが、実際、アッコちゃんはもうすぐ40歳に近づいているのだから、まったく別人。小説の中でアッコちゃんは、キャンティの創業者の息子(五十嵐)の妻になっているが、実際のキャンティの創業者は五十嵐ではなく川添浩史氏。薫子容疑者の夫の方は、同じ食べ物でもイタリア料理ではなく”健康食品”を売るマルチ商法の会社の副社長になっていて、最近では「マルチ・パンサー」と呼ばれているらしい。



6b03b4c9.jpg一方、奇妙なことに『アッコちゃん』に「キャンティ」が登場することなど夢にも思わず、少し前に『キャンティ物語(野地秩嘉)』を読んでいた。トヨタ車のテスト中、何らかのトラブルで事故死したレーサー(&慶応大学創設者の孫)福沢幸雄を中心に物語は展開をはじめ、当時の文化人、芸能人、皇族たちが次々に、このイタリア料理店に集まり、そして日本が大阪万博に突入していく過程が見事に描かれている。その「キャンティ」に不肖の息子がいたわけだ。



そして、この小説の『アッコちゃんの時代』だが、いささか評判が悪い。小説家、林真理子にして、「当時のバブルの世相を表層的に捉えてどうする」。ということなのだろうか。それも15年経って、やっとみんなが当時の狂乱を忘れた頃に・・

もちろん、経済の話をここに書くのも野暮だが、世界の経済史の教科書に今後1000年くらいは書き続けられるだろうバブルの実態とその後の没落について、書の記述は、やや皮相的に過ぎるように思える。おそらく、バブルがほころぶ一瞬の刹那に、六本木のあちこちで、ひび割れのきしむ音が聞こえてきたのだろうから、そこを書いてもらいたかった。と思う。

作家がアッコちゃんに語らせた一節がある。

 ”それほど踊りたいわけではなかった。

この一言を書きたかったのだろう、と想像。


ところで、今、別の伝記を読んでいる。『星新一(最相葉月)』。亀の歩みで読み進んでいる。なにしろ、精密かつ長編。1/3まで読み進んでも、まだ星新一は、星製薬社長、星親一のまま。この後、親一は経営不振の責任をとり社長を引退し、小説家に転進し、「ショート・ショート」という新分野を発明し、後年、とあるブロガーにこの「ショート・ショート」というタイトルを剽窃されるわけだ。

で、その本の残り2/3の中に書かれているかどうかはよくわからないのだが、この星新一もイタリア料理が好物。というか、ピザとパスタが好きだったはず。彼が通っていたのは、三島由紀夫ご愛用の「キャンティ」ではなく、六本木から西麻布に向う途中にあった「アントニオ」。こちらは、地味目な文化人、俳優、歌手が集まっていた。

ところが、バブルの風をうまく泳いだ「アントニオ」は今や「キャンティ」など眼中にない高級イタリアンレストランに変身。

とかくバブルは負け組の話ばかりだが、勝ち組だってたくさんいる。もちろん、口に出すと妬まれるから、黙っているのだろう。

さらに、あちこちの書物に同じような人物や、同じような店や、同じような事件が登場するのを考えるにつけ、日本の文化人の底の浅さ&層の薄さ&質の低さを感じざるを得ないのである。(と、殆んど書評じゃない話ばかりになってしまった)

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大相撲大改革私案

2007-10-09 00:00:04 | スポーツ
大相撲が、大相撲以外の話題で揺れ動いている。およそ三つの問題があった。

 1.横綱の品格問題

 2.リンチ殺人事件

 3.八百長問題

このうち、1と2の二つの問題が、破裂した。3については、まだ当事者が来日していない。よく考えれば、2と3は裏でリンクしている話で、1と3もリンクしている。1と2の関係は直接的にはないが、日本人力士と外国人力士という捉え方をすれば、つながっている。

要するに、日本人の力士希望者が激減し、外国人頼りになり、品格はだいなし、たまに入門する日本人には手荒な稽古で即戦力に仕立てようとしている。ところが、日本の人口ピラミッドと同様に、相撲界の力士も、本来、番付の下の方が大勢いるはずなのに逆。だから入門したての力士をよってたかって先輩がいじめることになる。逆効果でまったく強くならない。さらに外国人頼みになる。

そこで、抜本的な対策を考えてみた。残念ながら、相撲協会の財布についてはわからないので、経済学的な分析ではなく、機能的な対策と言う程度の話。

8ee06af7.jpg1.実力横綱制の廃止
  江戸時代のように、横綱は名誉職にして、番付最高位を大関にし、大関5年勤めると、『横綱』という称号を与える。5年も大関していれば品格も身についてくるはず。(史上最強力士、雷電為右衛門にその例がある)

2.序の口(序二段、三段目でも)の廃止
  要は力士が少ないのだから、6段階も作ってもしょうがないのだから1ランク廃止。

3.部屋の統合
  現在、幕内と十両(いはば関取)は70人強だが部屋は50以上ある。要するに1部屋に関取一人強。これでは稽古にならない。現在、5つの巨大一門(出羽の海、二所ノ関、時津風、高砂、立浪)の傘下に各部屋がぶらさがり、さらにこの下に小部屋がある。5大一門が少なくても10部屋程度まで集約すべきだろう。

4.取り組み数の削減
  現在は、一場所15日で、年6場所で90番取ることになっている。年6場所を変えるのは実際難しそうなので、1場所11番をお勧めする。土日、火水木、土日、火水木、土までで11番。残る最終日の1番は部屋別団体戦。もちろん、場所中の休日は休息日なので、サッカーをしたり、銀座に繰り出したりは厳禁。

5.取組み時間の繰り下げ
  休日は昼間でもいいが、平日は夜間に幕内対戦をシフトしテレビ放映は民放にも自由化する(といっても視聴率はとれないかな)。

6.マス席の改造
  4席まとめて一場所買うのは、企業交際費に頼った経営にしかならない。バラ売りや二人マスとか必要ではないだろうか。さらに、あのマスは狭い。

NHK改革よりも、ずっと簡単とは思う。

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在日ふたつの「祖国」への思い(姜尚中著)

2007-10-08 00:00:25 | 書評
姜尚中氏は、1950年熊本生まれ。現在、東京大学の政治学の教授である。基本的には日本で育ち、日本で教育を受けている。自ら在日と言うのだから、日本国籍ではないのだろうとは思う。



そして、比較的、日本と朝鮮半島の関係を、テレビでは分析的かつ冷静に話されている。一般に半島から聞こえてくるエキセントリックな群集主義とは一線を画しているように見える。

一方、個人的な話だが、在日の方とのビジネスや、話をする機会が多くなっているのだが、会話の途中で、まったく理解できなくなることがある。歴史観の差とか、「現在」の捉え方の差とか、それらが大きいような感じがある。

それに、江戸の歴史のことなどを調べていると、秀吉が朝鮮出兵した後、どうも強制連行した事実があるように思えるわけだ。有名なのは、伊万里焼。それから加藤清正が連れてきたといわれる城垣作りの石工たち・・。以前から調べてみたいとも思っていた。

ところが、その辺の、つまり李朝朝鮮に関する歴史やその前といったところが、よくわからない。大部分の歴史書というのは、20世紀朝鮮半島史なのである。そして、それらの歴史書のすべてが「日本の占領によって朝鮮の歴史はなくなった」というような論調である。


さて、『在日ふたつの「祖国」への思い』は、題名からして歴史書ではなく、おそらく現代の日本に生きる在日の人たちの微妙な思いを書き綴ったタイプの書ではないか、と錯覚していたのである。関川夏央氏による『海峡を越えたホームラン』のような、在日プロ野球選手が韓国野球に行って、ボロボロになる話。

ところが、冷静なる日朝間のアナリストでもある姜尚中氏の書籍を開いてみると・・

これが、やはりメンタリティの違いなのだろうか。やはり、ハードパンチなのである。日本占領から始まり、米ソ中対決構造に巻き込まれた朝鮮半島の悲劇を書き連ね、そして、現在に至った、という論調。やはり、テレビで短時間でしゃべるのと異なり、一冊の本にまとめるという長い時間をかけた仕事になると、「つのる思いが爆発する」ということなのだろうか。


まあ、世界をすべて楽観的に考える戦後生まれの日本人と、すべてネガティブで出口封鎖状態の中で生きている朝鮮半島との差が、まったく異方向の思考方法になったのだろうと、思うしかないのである。


先日の南北首脳会議でも南側の代表者が「日本に追いつくためには『南北融合するしかない』というような意味のことをしゃべっていたが、『そんなこと考えていたんだ・・』ということ。世界には200も国があるのだから、別に日本に追いつかなくたっていいじゃないかと、ちょっと思ってしまう。

そして、姜尚中氏の考え方とはまったく違うのだが、仮に南北融和が進むと(簡単には進まないだろうが)、日本で「在日」を続けていられる方々の考え方も、変わってくるだろう、というように思っている。「在日」か「日本」かという選択ではなく、「南」か「北」かという選択において「在日」の身分にとどまっている方が、案外、多いような感じをもっているからだ(単に、大いなる誤解かもしれないが)。

港区名所図会と鉄道事故

2007-10-07 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
ちょっと調べ物があって、田町駅の近くにある三田図書館に行く。図書館のそばにある建築会館の中にある(はずの)「建築博物館」の看板が目に入り、建物に入って見るが、何か妙だ。矢印にしたがって進んでも、そこには、何もない空間があるだけ。村上春樹の小説みたいな話だ。いや村上龍の方かな・・。ビルの守衛さんに聞くと、そういう紛れこんでこられる方が結構いるそうだ。何か、展示物のある時だけ博物館になるそうだ。そんなのないだろう・・それを博物館って言わない。学芸員っているの?姉歯事件みたいな話だ。

もう一つ、近くには「平和博物館」というのがある。と、いうか地図に記されている。平和博物館ってアウシュビッツ関係だったのではないかと思い出すが、関係あるのだろうか?まさか小球賭博関係?いずれ・・・


d961a065.jpgそして、ロスタイム5分で図書館に入り、調べ物をすませ、その図書館の4階にある港区郷土資料館に行く。こちらは本物の博物館で、毎年、気合の入った展示を行っている。そして、今回覗いたのは、『港区名所図会(みなとくめいしょずえ)』。実は、この10月の末から、11月にかけて、港区の歴史についての講義を聴く機会があるので、事前に、その気分に慣れておこうかと・・

そして、資料の中で、鉄道関係の新橋駅の写真と絵があった。

写真は新橋駅を建設中のもの。実は、以前、その辺の事情を調べたことがあったのだが、明治政府は、鉄道建設そのものは英国へ発注したものの、駅舎については米国に発注。別途、品川駅の写真も見たことがあるが、品川駅には屋根がない。それに比べて新橋駅は立派だし、ダンスホールのような感じさえする。おそらく駅前にはタクシー乗り場ならぬ馬車乗り場があったのだろう。その駅の中を描いた絵画も展示されている。

d961a065.jpgところで、話は飛ぶが、もともと秋葉原にあった交通博物館が、模様替えして、さいたま市に「鉄道博物館」としてオープンすることになった。10月14日、鉄道記念日に開業だ。

そこで、私が、時々初期鉄道の話をコトバ巧みにしゃべることを知っているある鉄道マニアの男性から、「今度、行きませんか」って言われているのだが、体よく逃げ回っている。なぜかと言うと、私は、「鉄道マニア」というのではなく、「鉄道事故マニア」とか「鉄道雑学マニア」みたいなもので、運転席でシミュレーションをしてみたいとか、食堂車の椅子に座ってみたいというようなことではないからだ。ある種のクラシック音楽のファンの話が、真空管とスピーカーの話ばかりで辟易するようなものかもしれない。

と、書いてしまったので、おまけに有名な鉄道事故のエポックを紹介。

1.1830年9月15日、英国パークサイド駅旅客轢死事故
  世界最初の鉄道事故。なにしろ鉄道の公式開業日。開業に尽力した代議士が逃げ遅れて、轢死。なんというか・・無念!

2.1879年12月28日 英国テー長鉄橋崩壊事故
  巨大事故のはしり。死者78名。世界最長3552Mの橋から強風で湾内に7両が転落。全員死亡。

3.1917年12月22日 フランス・列車脱線転覆事故
  超巨大事故のはしり。フランス・セニストンネル線モダース付近で、クリスマス休暇の兵士を乗せた臨時列車が下り勾配を暴走し、急曲線木橋上で脱線転覆し炎上。犠牲者数は425、534、543、800名以上など諸説。

4.1923年9月1日 根府川駅列車転落事故
  この日は、災害史上別の意味を持つ。関東大震災である。根府川駅と熱海駅の間(現在の東海道線)で線路脇の土砂が崩れ、全9両が45メートル下の海中に落下。(死者112名)


そして、さらに鉄道博物館で気に入らないのは、10月14日の鉄道記念日(新橋-横浜開通)に開館しようということ。

この10月14日は、日本で最初に鉄道の運行が始まった日ではないからだ。本当は、半年前の明治5年5月7日。まだ新橋と品川間の線路が完成していなかったため、横浜発で品川まで。正しい汽笛一斉開業日は5月7日である。10月14日は、天皇御乗車の上、新橋横浜間を往復した日。この日を鉄道記念日にしたのは、まさに中央集権国家の発想である。


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ある強豪棋士に勝つ?

2007-10-06 00:00:53 | しょうぎ
6df1c09c.jpg数年前だが、羽生X冠と平手で対戦。開始数十手で、よくある急戦型になる。

強い人と指すときには、極端な手を指さなければならない。この局面で、いくら考えてみても、私の棋力では詰みまで読むわけにはいかない。が、要するに攻め始めたら、最後まで行かなければ勝てるわけない。そして勝負は、たいてい最後に、もし端歩を突いていればとか、なる。ならば、早過ぎるとは思うが、ここで突いてしまえと左端の歩を突き捨てようと、▲9五歩とぶつける。

しかし、これに対して、羽生X冠が考え始めたわけだ。これまではノータイムだった。しかし、時間の関係で、最初から30秒の秒読み将棋ということにしていたのにだ。やがて、秒は進み、20秒、25秒、6・7・8・9・・・・・

しかし、だからと言って、羽生X冠に対し、時間切れ負けを通告する記録係はいない。秒読みはあいまいになって、そのまま、2分、3分、・・10分となったところで、私が宣言。「時間切れです」。これで、勝利を宣言したのだが、実は、次の一手を羽生X冠が指さなかったのには理由があった。

夢の中だったのだ。つまり、先手も後手も両方とも私の脳内で組み立てた図面である。だから時間切れ負けは自分自身のわけだ。


こういうように、将棋の夢を見ることがあるのだが、それは大会とかで、グリグリガリガリと連続5局ほど考えた後とかだ。何時間も将棋のことだけを考え続けていると、こういう現象がある。最近はあまり個人戦には出ないが、5人一組で1チームとなる職団戦のような時だ。団体戦は5人なので3勝すれば勝ちなのだが、段々疲れてきて、自分だけ負け出しても、残る3人4人が元気だと、指し続けなければならず、ボロボロになる。脳の限界を超えても指さなければならない。そういう状況がもっとも疲れ、またストレスになる。


ところで、二日後の10月8日(祝)は秋の全国職団戦。前にも書いたことがあるが、会社を変わっているので、現在の参加ルールで言うとOB社員ということになる。とりあえず、二つの会社の合法的非常勤補欠になっている。結構、度々出場していたが、今回は声掛からず。つまり、補欠と言うのは、1チーム出場なら4人、2チームなら9人というように、あと一人で定数に満たされる状態でのみ、参加チャンスに恵まれるわけだ。だから確率的には1/5である。ニチームに登録していると、二倍かというと、両チームから声がかかったらどちらかは断るから、出場確率はこういう式になる。

 1/5+1/5-1/25=9/25=36%

ところが、ややこしいのは、今回もそうなのだが、この10月の上旬の休みというのは体育の日に絡んでいるのである。つまり、幼稚園や小学校の運動会である。こどもの運動会と将棋団体戦のメンバーとどちらを選ぶかという人生観に関わる選択を求められる父親(あるいは母親)がいるわけだ。

さらに、将棋大会の日そのものが運動会なら話は簡単だが、前日(あるいは前週)が運動会予定日で、雨が降って順延になった場合、将棋大会の日にずれ込むという場合も多いのである。実は、今回も一つのチームにそういう事情があって、そういう場合のみでもいいかと打診されそうになった(が、逃げた)。前日が雨の確率は30%くらいだろうし、さらに当日が雨でなく晴れという条件でそういう事態が生じるとすれば、確率的には30%×70%=21%ということになる。

6df1c09c.jpg以前の会社で将棋部の幹事をしていたことがあり、常に秋の大会で、運動会の順延パターンの時、前日に頼んでも出場してもらえる、「人が好く暇な代打」というのを確保するということで汲々としていた。こういうのが将棋部のチームワークを乱し、幹事が精神的に行き詰まり、ぶん投げちゃう一因ではあるのだが、数十年にわたって「相も変わらず」の大会運営だ。


さて、9月22日出題作の解答。

▲3二飛成 △同玉 ▲6二飛不成 △4三玉 ▲5三歩成 △同玉 ▲6三歩成 △4三玉 ▲5二飛成 △3四玉 ▲3五歩 △2三玉(途中図) ▲1四金 △同玉 ▲1二飛成 △1三合 ▲2六桂まで17手詰。

この問題のハイライトは3手目の▲6二飛不成。仮に▲6二飛成だと玉方が△5二歩(失敗図)と絶妙の中合をして、どうしても打歩詰に誘導される。問題は、この詰将棋を解くときに、この中合いが見えないと、「妙に易しい問題」となる。収束は、よくある既製品風。初手の変化を色々と考えているうちに、この収束の所だけをあらかじめ読んでしまうかもしれないのだが、だからといって最初の2手がないと、狙いが単純で、ちょっと卑しい感じになるような気がする。



6df1c09c.jpgさて、今週の問題には、ちょっとした紛れがある。もしも7手、または15手で詰んだ場合は再考の余地がある(というか、間違いだ)。詰将棋パラダイス誌9月号の易しい問題(解答付き)のコーナーに配置されていた。紛れに気付かないのが幸福なのか、あるいは不幸なのか。

人生にはよくある話だ。

解けたと思われた方は、最終手と手数と酷評をコメント欄に記していただければ正誤判断。




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相似形のもの

2007-10-05 00:00:29 | The room of Sora
最近、飼い犬の表情が色々と多彩になってきた。まあ、もうすぐ2歳なので、色々な生活パターンを覚え、人間の行動を先回りして予測するようになったのだろう。怒られる前に隠れたり、好きなことをする前からゴキゲンになったり、嫌なことが起きる前に不快感をあらわにしたりする。



特にミニシュナという犬種は、確立されてから日が浅いため、まだ、野性味がかなり残っていて、一瞬にしてカッとなることがある。が、すぐに自己反省するようだ。某相撲部屋あるいは某力士とは違う。

そして、怒った時は顔をゆがめて、細めでニラむクセがある。最近、わかったのだが、ある女性と似ている。


しかし、無邪気な笑顔を見せることもある。笑うと、口の横の方の歯まで見せてくれる。これもある女性のこども時代に似ている。



こうなれば、政治家を目指すべきなのだろうか。大統領ではなく犬統領。



「わたしを犬統領に!ワン!」「誰が犬統領になっても同じです。ワン!」



オス蜘蛛のお仕事

2007-10-04 00:00:50 | 市民A
昨日のエントリで、横浜在住の蜘蛛を車に乗せて千葉県南部に引越しさせたことを書いたのだが、少し、気がかりな点があった。それは、連れて行った「緑色で黒の縦じま」の蜘蛛が、千葉県に引越しして仲間がいるかどうか。一人では寂しいだろうし、子孫が残せない。飼えなくなったミドリガメを明治神宮の池に放つのとはわけが違う。まあ、こどもが生まれなければ不幸せと決め付けるのは封建的過ぎるが、まあ、常識的な意見としてだ。しかし、その前に、蜘蛛の種類もわからないし、もちろん雌雄の見分け方も不明。話にならない。

それで、種々の図鑑を読んだのだが、わからないことだらけだ。だいたい蜘蛛のことってあまり研究されていないようだ。おおまかに言うと世界には数万種類もいて、日本にも極めて多くの種類の蜘蛛がいることになっている。そして、そのほとんどは日本全土で繁殖していることになっている。結構、未知の新種もいるのではないだろうか。しかし、ざっと見る限り、緑色で黒の縦じまではなく横じまの種はいくつもあるのだが・・本当に縦じまだったのか、あるいは横じまだったのか、自分の記憶もあまり信用できなくなる。

そして雌雄の差だが、「見ればすぐわかる」と多く書かれていて、「メスの方が大きい」となっている。しかし、「見てもまったくわからない」というのが本当ではないだろうか。オスとメスの成体を並べてみれば大小はわかるが、一匹だけ見てもわからない。さらに子蜘蛛なのか成体なのかの問題もある。

さらに、図鑑を読んでいて驚いたのが生殖方法。まあ、動物には色々な方法があって、四本足の動物は、良く知っている方法による。二本足の地上動物の場合はさまざまな48種類もの方法があるらしい。一方、魚のようにニ匹の共同作業でありながら、あまり楽しくない方法もある。人魚姫も残念ながらこの方法だ。しかし、昆虫の場合はだいたいが直接結合タイプである。

ところが・・・、蜘蛛はまったく異なるらしい。

まず、オスは8本ある足の前足で、あらかじめ自分の精子を採取するらしい。そして、それを前足の一部に貯めておくそうだ。そして、メスに近づいていって、その前足をメスの生殖器にくっつけて受精するそうだ。

まるで、人間の人工授精そのものではないだろうか。まあ、人間の場合は手にとってそれをやたらに人にくっつけたりすると、逮捕される。

さらに蜘蛛のオスにとってやっかいなのは、前述した体型差だそうだ。メスが大きい。しかも蜘蛛は普通は一匹単独で蜘蛛の巣に住んでいて、近づく虫を生け捕りにしてから食べてしまう(実際には獲物に毒を注入して、体内を溶かしてから体液を吸い取るパターンが多いらしい)。虫だけでなく小鳥や小動物を食べる種類もあるらしい。うかつにオスが近づくと、メスに食われてしまうらしい。決死の覚悟でそっとメスに近づき、サッとタッチして逃げ去るのが正規の作法らしい。タッチする前に捕まったら食われてしまう。タッチしてから捕まっても食われてしまう。

人生最大の楽しみが、ワンタッチだとしたら、ちょっと悲しい。


ところで、蜘蛛には足が8本もある。さらに昆虫は体が頭部・胸部・腹部と三分割なのに対し、蜘蛛は頭胸部と腹部のニ分割。頭と胸が一体化している。その差はなぜか?ということは、どこの本にも何も書かれていない。まあ、蜘蛛ってそんなものだ。

それで、禁断の「蜘蛛の体型の秘密」を少しだけ考えてみた。

例外はあるものの、蜘蛛の巣は地面に垂直方向に張られる場合が多い。蜘蛛の動きは地上(つまり重力方向)に対して垂直である。一方、昆虫(だけでなくほとんどの生物も)の動きは地面に対して平行である。地面や植物の葉の上や下を歩く場合や空を飛ぶにしても地面に平行飛行が基本。ほとんどの生物は、体が長細くできているのもこの重力に平行運動というところから来ているのだろう。体の長さは方向性と、バランスのため。アリや犬のような前後方向にスリム体型がいい。蜘蛛は逆に重力に逆らって上下に運動するのだから、腕の力はいるし、体が長いと運動性能に支障がある。体長が短く8本の足が手のように動くのは、そのアナーキーな生態に起源があるからではないだろうか。

ただし、この説は、私だけの仮説なので、口外すると失笑されると思うので、ウルトラ・コンフィデンシャルということで・・。

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新車で引越し

2007-10-03 00:00:54 | 市民A
10日ほど前に、横浜市の自宅から、千葉県南部の大多喜の近くへゴルフに行った。首都高で湾岸線からアクアラインを川崎から木更津まで走り、さらに房総半島を横断するルート。アクアラインは最近、さまざまな割引制度を設けていて、さらに東京湾北岸周りよりも距離が短いため、通行料は高いが、時間もガソリン代も有利。それに道も空いている。ただし、事故などで渋滞すると、東京湾の上では、ぜったいに抜け道はない(魔術師セロなら、絶対監禁状態からの脱出技をもっているかもしれないが)。

一方、ガソリン代高騰の折、最近、セカンドカーとして低燃費の小型を入手。(やっと2台目を買う身分になった。クルマの次は別荘?それとも・・。二台足したところで世田谷住民のセカンドカーよりずっと安いのだが・・)敷地の隅の植え込みのそばに雨ざらししていた。

ゴルフバッグをクルマに積み込み、走り始める。予定では、三車線の太い幹線道路を10分ほどで高速道路に入り、さらに30分ほどで川崎からアクアラインのトンネルに入る。10分後に「海ほたるPA」。そこから海の上の橋を数分で木更津。さらに山中のワインディングロードを抜け、ゴルフ場に到達するはず。


ところが、幹線道路に出て気付いたことがあった。運転席の反対側、つまり左側のミラーのあたりに、蜘蛛の巣(Web)が付いている。さらによく見ると緑色で縦縞の蜘蛛が蜘蛛の網にしがみついている。夜の間に植え込みからクルマまで蜘蛛の網を渡したようだ。が、ここは蜘蛛の世界じゃないわけだ。クルマの表面はツルツルなのだから、走るクルマに直接しがみつくことはできない。蜘蛛はクルマから吹き飛ばされると風に乗って飛んでいき、また別の場所で新しいネットを張るのだろうが、三車線道路だと左端の方を走ってやらなければ、飛ばされた蜘蛛がクルマに轢かれてしまう可能性がある。しかも、アクアラインで飛ばされるとさらにかわいそうだ。トンネルの中か、海の上。さぞかし餌に困るだろう。

一方、最近、特に交通取締りがきびしいので、無謀に速度を上げることはできない。60キロ以下で走っていると蜘蛛はしがみついたまま。そのうち、高速道路に入り、蜘蛛のことは頭の片隅に追いやられる。しばらく高速で走っていると、蜘蛛の糸の残骸はすべて吹き飛んでしまい、もう蜘蛛のことは考えないことにした。

そして、計画通り首都高速からアクアラインを通り、千葉の曲がりくねったローカル通りを走り、ゴルフ場に到着。そして混雑する駐車場の一番奥、森の際に車を止め、ドアを開けると・・・

どこに潜んでいたのか、ミラーのカゲから現れたのである。1時間半前に見た緑の蜘蛛である。感動的な再開・・


で、当日は、蜘蛛をイジメたタタリでスコアカードに8が並んだり、ボールが8個なくなったり・・


そして、夕暮れの駐車場で帰宅前にふと左側のミラーを見ると・・

既にクルマと2メートル先の森の樹木との間に、おおきなネットが完成していたのである。まったく仕事熱心だ。

発車する前に、よくネットを点検したのだが、緑色の蜘蛛を見つけることはできなかった。今度は危険を察知し、森の方を住処に選んだようだ。

こうして、クモさんの引越しは終わった。

つづく

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グリーグ物語&ノルウェーの野望?

2007-10-02 06:42:02 | 音楽(クラシック音楽他)
先週、都内のある図書館の視聴覚室で、DVD版「グリーグ物語」を観る。昼休みの一時間。



実は、今年はグリーグ没後100年である。1843年生まれ、1907年9月4日没。ノルウェーの作曲家だが、彼が生まれたときには、ノルウェーはスウェーデン統治下にあり、独立国家ではなかった。母が音楽家で、ピアノを教わっているうちに才能を見出され、15歳の時に、メンデルスゾーンが設立したドイツのライプツィヒ音楽院に入学。ピアノと作曲の勉強をする。そして、ドイツ流に染まろうとする直前に、ノルウェーの作曲家やヴァイオリニストの影響を受け、方向転換。祖国の古典的なメロディを収集し、西洋音楽に組み込んでいく。東欧、ロシアなどでチャイコフスキーはじめ多くの作曲家が同様な試みをしていた。いわゆる国民楽派である。

そして、最初の世界的名曲が「ピアノ協奏曲第1番」1868年。今でもよく聞く曲で、第三楽章まで、緻密に書かれている。ノルウェーの古典説話には、妖怪や巨人など、恐怖をベースにしたものが多いのだが、このピアノ協奏曲のメロディは甘く、少し寂しく、そして構造的にしっかりしている。

ところで、当時欧州の音楽界の寵児といえばリスト。ドイツ、フランスでは絶対的な人気があり、技巧的かつ情熱的なピアニスト兼作曲家には多くの種類の女性が群がっていたらしい。リストは、さらに、さらに、さらにと難解なピアノ曲を作曲し、自分の地位を確固としたものにしていた。

が、彼はグリーグの「ピアノ協奏曲第1番」の譜面を見たとたんに、驚愕したわけだ。「すばらしい。が、・・・」そして、リストはグリーグをローマに招待することにする。当時のイタリアは北欧文化人にとって、高嶺の花の保養地だったらしい。おいしい話だ。一方、リストは、真面目くさって優雅な北欧ミュージックの数々を編み出すグリーグを「飲む打つ買う」の世界で篭絡しようとしたのかもしれない。

想像だが、リストはグリーグの楽譜を見ただけで、実物写真をみたわけではなかったのだろう。現在に残るグリーグの写真を見ると、女性にもてるような感じではない。背が低い。さらに、頭髪がいわゆるM型○ゲ。どうみても篭絡不能型人間。

しかし、リストにとって幸いなことに、グリーグはその後、ロマンテック路線と決別し、さらに民族的メロディの追求に向う。そしてたどり着いたのが、ノルウェーの誇る劇作家イプセンと組んだ「ペール・ギュント」の付随音楽(後に組曲となる)。1875年。ペールギュントはノルウェーの古典説話で妖怪と人間の戦いをテーマにしている。


ところで、現在において、グリーグが完全に理解されているということではないそうだ。小品をたくさん残していて、それぞれ味があるわけで、「グリーグはこういう男だ」と枠をはめて考えてはいけないそうだ。

そして、多くのノルウェー人の希望であった国家独立を果たしたのが、1905年。翌1906年にイプセン没。そして1907年グリーグ没。享年73歳。

ところで、グリーグやチャイコフスキーのような国民楽派の時代というのも、今、考えれば、帝国主義と民族主義のぶつかり合う時代という背景があるのだろう。その後、世界は戦争の世紀に突入していく。

元々、ノルウェーは欧州の北端。傍から見れば、そんな寒くて暗いところに住まなくても、スペインあたりで、パスタとワイン漬けの生活をした方が楽なのにとか思うのだが、そうはいかないのだろう。もちろん食えない時代はバイキングで一暴れとか。伝説が暗く怖いのも無理はない。そういえば、ムンクもノルウェー人だ。

独立した1905年というのも、国際情勢的には「too late」で、既に近代軍事国家の最後の椅子には日本が座っていて、手頃な場所には獲得する領土は残っていなかった。そのため、南米のチリと同様に南極の一部に領土を主張している(アムンゼンの功績を横取り)のだが、南極条約により、文字通り主張を凍結されてしまっている。最近では、温暖化して実用の可能性が生まれてきた北極海に対する権利を主張しているようだし、さらに別のことを言い出している。

バイキングの時代に、アメリカにも上陸している、って。

だからといって、史上最強国家アメリカのことを、最初の発見者ノルウェーの領土だ、と言っているわけではないのだが、言い出す時期を、我慢強く見はからっているだけなのかもしれない。