グリーグ物語&ノルウェーの野望?

2007-10-02 06:42:02 | 音楽(クラシック音楽他)
先週、都内のある図書館の視聴覚室で、DVD版「グリーグ物語」を観る。昼休みの一時間。



実は、今年はグリーグ没後100年である。1843年生まれ、1907年9月4日没。ノルウェーの作曲家だが、彼が生まれたときには、ノルウェーはスウェーデン統治下にあり、独立国家ではなかった。母が音楽家で、ピアノを教わっているうちに才能を見出され、15歳の時に、メンデルスゾーンが設立したドイツのライプツィヒ音楽院に入学。ピアノと作曲の勉強をする。そして、ドイツ流に染まろうとする直前に、ノルウェーの作曲家やヴァイオリニストの影響を受け、方向転換。祖国の古典的なメロディを収集し、西洋音楽に組み込んでいく。東欧、ロシアなどでチャイコフスキーはじめ多くの作曲家が同様な試みをしていた。いわゆる国民楽派である。

そして、最初の世界的名曲が「ピアノ協奏曲第1番」1868年。今でもよく聞く曲で、第三楽章まで、緻密に書かれている。ノルウェーの古典説話には、妖怪や巨人など、恐怖をベースにしたものが多いのだが、このピアノ協奏曲のメロディは甘く、少し寂しく、そして構造的にしっかりしている。

ところで、当時欧州の音楽界の寵児といえばリスト。ドイツ、フランスでは絶対的な人気があり、技巧的かつ情熱的なピアニスト兼作曲家には多くの種類の女性が群がっていたらしい。リストは、さらに、さらに、さらにと難解なピアノ曲を作曲し、自分の地位を確固としたものにしていた。

が、彼はグリーグの「ピアノ協奏曲第1番」の譜面を見たとたんに、驚愕したわけだ。「すばらしい。が、・・・」そして、リストはグリーグをローマに招待することにする。当時のイタリアは北欧文化人にとって、高嶺の花の保養地だったらしい。おいしい話だ。一方、リストは、真面目くさって優雅な北欧ミュージックの数々を編み出すグリーグを「飲む打つ買う」の世界で篭絡しようとしたのかもしれない。

想像だが、リストはグリーグの楽譜を見ただけで、実物写真をみたわけではなかったのだろう。現在に残るグリーグの写真を見ると、女性にもてるような感じではない。背が低い。さらに、頭髪がいわゆるM型○ゲ。どうみても篭絡不能型人間。

しかし、リストにとって幸いなことに、グリーグはその後、ロマンテック路線と決別し、さらに民族的メロディの追求に向う。そしてたどり着いたのが、ノルウェーの誇る劇作家イプセンと組んだ「ペール・ギュント」の付随音楽(後に組曲となる)。1875年。ペールギュントはノルウェーの古典説話で妖怪と人間の戦いをテーマにしている。


ところで、現在において、グリーグが完全に理解されているということではないそうだ。小品をたくさん残していて、それぞれ味があるわけで、「グリーグはこういう男だ」と枠をはめて考えてはいけないそうだ。

そして、多くのノルウェー人の希望であった国家独立を果たしたのが、1905年。翌1906年にイプセン没。そして1907年グリーグ没。享年73歳。

ところで、グリーグやチャイコフスキーのような国民楽派の時代というのも、今、考えれば、帝国主義と民族主義のぶつかり合う時代という背景があるのだろう。その後、世界は戦争の世紀に突入していく。

元々、ノルウェーは欧州の北端。傍から見れば、そんな寒くて暗いところに住まなくても、スペインあたりで、パスタとワイン漬けの生活をした方が楽なのにとか思うのだが、そうはいかないのだろう。もちろん食えない時代はバイキングで一暴れとか。伝説が暗く怖いのも無理はない。そういえば、ムンクもノルウェー人だ。

独立した1905年というのも、国際情勢的には「too late」で、既に近代軍事国家の最後の椅子には日本が座っていて、手頃な場所には獲得する領土は残っていなかった。そのため、南米のチリと同様に南極の一部に領土を主張している(アムンゼンの功績を横取り)のだが、南極条約により、文字通り主張を凍結されてしまっている。最近では、温暖化して実用の可能性が生まれてきた北極海に対する権利を主張しているようだし、さらに別のことを言い出している。

バイキングの時代に、アメリカにも上陸している、って。

だからといって、史上最強国家アメリカのことを、最初の発見者ノルウェーの領土だ、と言っているわけではないのだが、言い出す時期を、我慢強く見はからっているだけなのかもしれない。