在日ふたつの「祖国」への思い(姜尚中著)

2007-10-08 00:00:25 | 書評
姜尚中氏は、1950年熊本生まれ。現在、東京大学の政治学の教授である。基本的には日本で育ち、日本で教育を受けている。自ら在日と言うのだから、日本国籍ではないのだろうとは思う。



そして、比較的、日本と朝鮮半島の関係を、テレビでは分析的かつ冷静に話されている。一般に半島から聞こえてくるエキセントリックな群集主義とは一線を画しているように見える。

一方、個人的な話だが、在日の方とのビジネスや、話をする機会が多くなっているのだが、会話の途中で、まったく理解できなくなることがある。歴史観の差とか、「現在」の捉え方の差とか、それらが大きいような感じがある。

それに、江戸の歴史のことなどを調べていると、秀吉が朝鮮出兵した後、どうも強制連行した事実があるように思えるわけだ。有名なのは、伊万里焼。それから加藤清正が連れてきたといわれる城垣作りの石工たち・・。以前から調べてみたいとも思っていた。

ところが、その辺の、つまり李朝朝鮮に関する歴史やその前といったところが、よくわからない。大部分の歴史書というのは、20世紀朝鮮半島史なのである。そして、それらの歴史書のすべてが「日本の占領によって朝鮮の歴史はなくなった」というような論調である。


さて、『在日ふたつの「祖国」への思い』は、題名からして歴史書ではなく、おそらく現代の日本に生きる在日の人たちの微妙な思いを書き綴ったタイプの書ではないか、と錯覚していたのである。関川夏央氏による『海峡を越えたホームラン』のような、在日プロ野球選手が韓国野球に行って、ボロボロになる話。

ところが、冷静なる日朝間のアナリストでもある姜尚中氏の書籍を開いてみると・・

これが、やはりメンタリティの違いなのだろうか。やはり、ハードパンチなのである。日本占領から始まり、米ソ中対決構造に巻き込まれた朝鮮半島の悲劇を書き連ね、そして、現在に至った、という論調。やはり、テレビで短時間でしゃべるのと異なり、一冊の本にまとめるという長い時間をかけた仕事になると、「つのる思いが爆発する」ということなのだろうか。


まあ、世界をすべて楽観的に考える戦後生まれの日本人と、すべてネガティブで出口封鎖状態の中で生きている朝鮮半島との差が、まったく異方向の思考方法になったのだろうと、思うしかないのである。


先日の南北首脳会議でも南側の代表者が「日本に追いつくためには『南北融合するしかない』というような意味のことをしゃべっていたが、『そんなこと考えていたんだ・・』ということ。世界には200も国があるのだから、別に日本に追いつかなくたっていいじゃないかと、ちょっと思ってしまう。

そして、姜尚中氏の考え方とはまったく違うのだが、仮に南北融和が進むと(簡単には進まないだろうが)、日本で「在日」を続けていられる方々の考え方も、変わってくるだろう、というように思っている。「在日」か「日本」かという選択ではなく、「南」か「北」かという選択において「在日」の身分にとどまっている方が、案外、多いような感じをもっているからだ(単に、大いなる誤解かもしれないが)。