郵送された一冊の詩集

2007-10-29 00:00:28 | 書評
もう1年ほど前だろうか、一冊の詩集が「おくられて」きた。



”原 子朗詩集”。私の師の一人で、宮沢賢治の研究者でもある。「おくられた」というのは『贈られた』のではなく、購入したわけだ。というか、「詩集を出しました。つきましては・・」と2000円の振込用紙が『贈られて』きて、振込んだ後、本が『送られて』きたわけだ。効率的な販売戦略だ。

すでに80歳を超えている大御所であり、最近では詩の世界から書の世界へ重心を移しているようだが、本当のところはよくわからない。

氏の生涯を通じての名作選のような書で、要するに、少しずつ読んでいて、読み切るのに長時間がかかったということだ。



ところで、ここで話は飛ぶのだが、少し前の防衛大臣に久間氏(以下、Q氏と略。)というのがいた。原爆容認発言の方である。「しかたなかった」と、いささかアメリカ人に理解が良すぎる発言だったわけだ。このQ発言だが、「生理的な違和感」や「理想論的反核運動」その他ありとあらゆる方面からの非難を浴び、事実上のクビになった。個人的に追い討ちをするなら、「Q氏のような弱気な防衛大臣では、近隣諸国から『一発お見舞いしてもいいんじゃないか』とか誤解されそう」と付け加えておく。

一方、日本全国で非難の嵐が巻き起こっている中、彼は長崎出身であり、地元でも非難は多いのだが、一部、そういう『被虐的思考』があるのも事実らしい。もともと長崎はキリシタン弾圧の歴史のある地で、そういう「生か死か」というような大悲劇が市民の思考に沁みこんでいるのかもしれない。


と、唐突な枕を挟んだのは、この原子朗氏だが、長崎出身の被爆者である。多くを語らないので(というか。こちらが聞かなかったからだろうが)、推測まじりだが、年齢からいって南方の戦場から傷病で帰還している時に運悪く被爆したのだろうか。たぶん、二重被害。

ところが、原氏の詩を読んでみても、そういう「被害者意識」は感じられない。原爆を「生の洗礼」と感じているのだろうか(もちろん、『ヒバクシャ』といっても、亡くなってしまった人には抗議の機会もないし、生き残った人が、『生きていてよかった』ではそういうことになってしまう)。


そして、こういう詩の読み方は間違っているのだが、1985年に完成した長編詩「石の賦」の第Ⅱ節に『眼鏡橋』という長崎を題材としたパートがある。『眼鏡橋』といえば、日本三大ガッカリとまで酷評される期待と現実の落差のある小さな橋なのだが、堅牢強固を誇っている長崎の名所である。

しかし、その堅牢強固であり、かつ小さいという結果が、ある悲劇を生んだと詠まれていた。1957年7月25日に長崎を襲った大雨は、950ミリの降水量で、ピーク時は1時間で125ミリに達した、と記述される。しかし、その大量の雨量を海に流す途中に眼鏡橋があり、そこが奔流をダムのように塞き止めたがため、結果として大洪水を招き、死者・行方不明者539名という大災害になったと書かれている(そのうち資料で検証するつもり)。

そういう、悲劇の連鎖する街なのだろうか。


そして、またしても話は飛ぶが、この詩集を出版したのは砂子屋書房という老舗の出版社。ホームページには60年の実績と書かれているのだが、確か中原中也もここから詩集を出している。計算が合わない。よく作家の伝記など読んでいると、登場する出版社である。赤福みたいに、老舗でも一回つぶれたのだろうか?この出版社のこともそのうち調べなければ・・