藤堂高虎家訓200箇条(6)

2006-04-16 00:00:00 | 藤堂高虎家訓200箇条

家訓200ヵ条解題も1/4を超えた。50ヵ条までは、体系的に、殿様向け、家臣向け、家来向けとセグメント分けしていたが、徐々にルーズになる。あれこれ思いつきながら進む。まあ、それの方が面白いが・・

第51条 少事ハ大事大事ハ少事と心得へし大事の時ハ一門知音中打寄談合するにより大事には不成なり少事ハ大事と言は一言の儀にて打はたす也然ルゆへ少事は大事と可慎

小事は大事であり、大事は小事であると心得るべきだ。大事の時は、親戚一門が寄り合って相談するから大事にはならない。小事は大事、というのは、一言で済ませるからである。だから小事は大事と慎むべきである。

デモクラシーの起源もそうだ。重要なことは衆議する。高虎は藤堂藩が愚者の集団になるのではないかと心配していたのだろう。心配性。


第52条 かりそめに寄合共座敷の衆の縁者親類を思ひ出し咄にも気を付害にならさる事のみ可咄

かりそめに寄り集まっても、座敷にいる人々の縁者や親戚のことを思い出して、話題にも気をつけ、害にならない事だけを話すべきだ。

宗教の話とか、婚期が遅れた娘の話や、子供に恵まれない話とか、いわゆる「場のタブー」を覚えておけということか。新入社員の宴会マナーのような話。


第53条 窮屈成所を好み楽成所を嫌ふべし

窮屈なところを好んで、楽なところを嫌うべきだ。

この53条には、理由が書かれていない。含みが多くて解釈は難しい。文字通りとらえると、ネズミや犬の世界になるのだが、仕事の話だろう。窮屈なサラリーマン生活がいやだと言って、自由生活に逃れてはいけない、というくらいに考えておく。


第54条 我役目ハ武芸也作法勤ハ身の楽をも可致楽とて人嘲事ハ可慎

自分の役目は武芸である。作法や勤めは体が楽である。楽だからといって、他人を嘲笑うことは慎むべきである。

54条は53条とは筋が違っている。武士はあくまでも武芸、つまり剣道や弓や鉄砲といった「戦闘士」であることが基本であって、実際にはデスクワークばかりになったからといって、そういったガテン系の人たちの所作を笑ってはいけない、ということだろう。そういう謙虚な気持ちは、幕府が永続する中で武士階級の中でも薄れていくだろうと、予感していたわけだ。


第55条 傍輩衆おとつるる時ハ何様の事あり共逢へきなり心易衆におゐてハ急用候間調可申と断急用可達なり

友達衆が訪れた場合は、どんなことをしても会うべきである。心易い人たちならば、急用があるので、と断り、急用を済ますべきである。

毎日、会っている近くの人たちには、当座の不義理をしても、たまにくる遠方の友を優先すべきだ、というごく常識的な意見であるが、実際は、遠くの友より、近くの不義理先の方が身分が上だったりする。そして、友がたくさんいると、毎日、遠方より違う友が訪問して、毎日、不義理が続くことになったりするものだ。


第56条 主人被召候時朝夕給かけ候共箸を置可出何様の急成御用もしれず食給仕廻出る事無忠節たるへし

主人がお呼びの時は、朝夕食べかけの時でも箸を置いて出勤すべきだ。どんな急ぎの用かも知れず、食べ終わってから出かけるのは忠節のないことである。

高虎は、ずいぶん朝食にこだわる。180cm超の大柄だったせいか、「メシ抜き」は天下の一大事と思っていたのかもしれない。ところで、以前、あるヤクザの中堅に聞いた話だが、「クルマのガソリンは、いつも満タンにしておかなければならない」ということだった。親分から呼び出しがかかった時、他の子分たちより先に駆けつけなければならないので、呼び出しがあってからガソリンスタンドに行くようではダメだ、ということだそうだ。


第57条 毎朝早天に起き先髪を結ひ食を早く給可申事奉公人ハ何様の事にはしり出る事も有へし共嗜也

毎朝、早く起き、まず髪を結って、食事を早く食べるべきだ。奉公人は、どんな事で走り出ることになるかもしれないから、そのための嗜みである。

またしても朝食にこだわる。現代人は、朝のたしなみには個人差があるが、同じようなものか。ただし、高虎式だとトイレはいつ行くのだろう。便秘症だったのか?


第58条 夏冬共に不断帯堅くすべし急にはしる時尻をつまけ刀脇指うこかさる程に常々帯堅くむすび付べし常に帯ゆるく尻げたに掛ケ仕付れハ急にはしる時すね腹痛み出る先にて役に不立物也

夏冬とも普段から、帯は堅く結ぶべきだ。急に走るとき、尻をはしょり、刀・脇差の動かないように常々帯は固く結び付けるべきだ。常に緩く下の方に締めていると、急に走る時、すねや腹が痛み、出た先で役にたたないものだ。

三流私立高校の校則のようなものだ。子孫の大部分は守らなかったような気がする。急に二本差しで走り出すことなど、考えられなかっただろう。それとも抜き打ちの緊急訓練でもしていたか・・


第59条 急に走り出る時三尺手拭はなすべからす大小指様有之刀をぬく共鞘落さる様に心得有事なり

急に走り出すときに、三尺手ぬぐいを手から離してはいけない。刀類は差し様がある。刀を抜いても鞘を落とさないような心得があるからだ。

まるで陸上部のコーチだ。今一つ三尺(90cm)手ぬぐいの効用が見えないが、酔っ払って人を殴るときには、自分の手を痛めないように拳にハンカチを巻いてからパンチを出せというようなことかな。


第60条 家来手討にするハひが事也理を以言付仕廻ふ事本意なり又一僕仕ふ者ハ格別なり能分別して仕そこなハざる様肝要なり

家来を、手討ちにするのは、心得違いである。わけを言って言いつけるのが本意である。また、召使が一人だけの者は、格別よく分別して、しくじらないようにするのが肝要である。

時々、こういう怖い家訓が散りばめられる。やたらと、家臣を切り殺していたら、みんな逃げ出す。まして、召使が一人しかいない者が、その召使を斬ると、自分の髪も結えなくなるから注意が必要だ。

あいかわらず、細かな話が多いが、同じような話が続くのは、若干、認知症が出ているのだろうか。70歳頃の口述筆記である。それより、やはり高虎は、単に口うるさいオヤジだったということなのだろうか。

続く


将棋名人戦の争奪戦の勝者は?(毎日VS朝日)

2006-04-15 06:51:44 | しょうぎ
折から、第64期名人戦7番勝負(森内名人対谷川九段)が始まったのと同時に、「将棋名人戦」そのものの争奪戦が始まった。現在の主催権のある毎日新聞を攻めるのが朝日新聞である。原因は契約金。将棋は白黒の出るゲームであり、名人戦争奪戦も引分けは考えられず、どちらかに決まるわけだ。

攻められる毎日新聞は、経緯についてこう書く。(毎日新聞 2006年4月13日 東京朝刊)

「毎日の名人戦」守ります=東京本社編集局長・観堂義憲

日本将棋連盟は名人戦七番勝負が始まる直前の3月末、毎日新聞社に対し、「来年度以降の名人戦の契約を解消する」と通知してきました。連盟が12日の棋士会に報告して公になりましたが、ここに至るいきさつと毎日新聞社の考えを読者の皆様に明らかにしたいと思います。

将棋界で最古の伝統と最高の権威をもつ名人戦は、1935年に毎日新聞社が創設したものです。いったん朝日新聞社の主催に移った時期もありましたが、77年からは再び毎日新聞社の主催に戻り、将棋連盟と協力して運営してきました。私たちは、名人戦の単なるスポンサーではなく、将棋連盟とともに最高のタイトルを育ててきたという自負があります。

ところが、通知書の郵送に続いて来社した中原誠・将棋連盟副会長は「長い間お世話になり、感謝している。名人戦の運営には何の問題もなく、あのような通知書を出して恐縮している」と切り出しました。

なぜ契約解消なのでしょう? 中原氏によれば、朝日新聞が高額の契約金や協力金を示し、名人戦を朝日新聞にもってくるよう強く要請しているから、というのです。

毎日新聞は将棋連盟と名人戦の契約書を交わしていて、これには来年度以降も契約を継続する、と明記しています。ただし書きで「著しい状況の変化などで変更の提案がある場合は両者で協議する」となっています。

「著しい状況の変化」とは、たとえば将棋連盟から棋士が大量脱退して経営が立ち行かなくなったとか、毎日新聞が契約金を払えなくなった場合を意味し、他社の新契約金提示などの介入はそれには相当しないというべきでしょう。連盟に通知書の撤回を求めます。

毎日新聞は名人戦の契約金を将棋連盟の要請に応じて徐々にアップしてきました。このほか王将戦をスポーツニッポン新聞社と共催しており、合わせて年に4億円以上の支払いをしています。

関係者によれば、朝日新聞が将棋連盟に提示した条件は年間5億円以上を5年間払う、というものです。日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのでしょうか。

30年前、朝日新聞と連盟の契約交渉が決裂しました。この時は、連盟がそれを公表したことを受け、毎日新聞は復帰交渉に入ることをあらかじめ朝日新聞に通告したうえで連盟と契約しました。毎日新聞はきちんと手順を踏んだのです。

ところが今回の契約解消通知は、私たちにとりまさに寝耳に水でした。将棋連盟から契約金の値上げなど契約の変更要請は一切なく、朝日新聞からはいまだに何の連絡もありません。長年、共同で事業を営んできて、しかもその運営には何の不満もなかったパートナーに対して、社会通念上も許されない行為と言えるでしょう。

毎日新聞は全国の将棋ファンのためにも、名人戦を今後も将棋連盟とともに大切に育てていきたいと思います。


要するに、毎日新聞によれば、3月末に将棋連盟を代表して中原誠副会長がやってきて、「朝日が、もっと高い契約金を払うので、毎日との契約は終了!」と宣言されたのだが、これは契約違反だ、と言っているわけだ。そして、あとは信義上の問題を提示。長く付き合ったのにひどいじゃないか・・ということだ。

一方、朝日新聞側の報道は次の通り。2006年04月12日21時03分ASAHI NET

名人戦「契約更新せず」 将棋連盟が毎日新聞社に通知

日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会は12日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で開かれた「棋士会」で、将棋名人戦に関する毎日新聞社との契約を来年度以降更新しないとの方針を示した。同時に、朝日新聞社から新たな契約条件の提示を受けていることを、所属棋士に明らかにした。

名人戦契約とは、名人位決定戦とそれに付随する順位戦の棋譜を新聞社が独占使用する権利。連盟は毎日新聞社と3期ごとに名人戦契約を更新してきたが、同連盟理事会の経営諮問委員会が赤字対策として、昨年夏、朝日新聞社に契約移管を打診。朝日新聞社は今年3月17日付で新たな契約条件を提示した。これを受け理事会は第66期(名人戦は08年度、予選は07年度)からの更新を打ち切る方針を決め、3月末、毎日新聞社に通知した。5月末の棋士総会で最終決定する予定。

同連盟の西村一義専務理事は「理事会としては将来のことや連盟の財政事情を考え、決断した」と話している。

名人戦は、1935年に世襲制から実力制に移行し、第1期から第8期まで毎日新聞社、第9期から第35期まで朝日新聞社、第36期からは再び毎日新聞社が主催し、新聞に棋譜を掲載してきた。

毎日新聞社社長室広報担当は「日本将棋連盟会長から事前協議なく届いた第66期以降の契約解消通知は、法的・手続き的に問題があり、信義にもとると考えています。毎日新聞社としては撤回を求めており、第66期以降も日本将棋連盟との契約は継続するものと理解しております」とのコメントを出した。

〈朝日新聞社の荒木高伸広報担当・社長室長の話〉 日本将棋連盟理事会の諮問機関である「経営諮問委員会」から、昨年夏ごろに「名人戦をやるつもりはないか」と打診をいただきました。名人戦は長年にわたって要望してきた棋戦であり、弊社の考え方を理事会にはお伝えしてあります。現時点では、日本将棋連盟と毎日新聞社との話し合いの行方を見守りたいと考えております。もし主催させていただけるなら、将棋の普及・振興に一層力を入れていきたいと考えています。


こちらの記事によれば、名人戦の移管時期はあと1年後になるわけだ。前回(第36期)の移籍時には、将棋連盟と朝日新聞の契約交渉がこじれ、結局、毎日新聞が引き受けるまで1年間のブランクが生じ、各方面に多大な損失が発生したことからの反省なのだろう。

そして、朝日の書き方では、朝日が仕掛けたのではなく、「名人戦を主催したいと前から思っていたところ、運良く将棋連盟から誘いの言葉があって、対価を決めた」というように自分を悪者にしないようにしている。


ここで、将棋界(男子棋士)のタイトルについて書くと、七大タイトルというのがある。竜王・名人・王将・王位・棋聖・王座・棋王

このうち、竜王(読売)・名人(毎日)・王将(スポニチ・毎日)・王位(東京新聞等地方紙)が7番勝負。棋聖(産経)・王座(日経)・棋王(共同)が5番勝負ということになり、卑しい話ではあるが、タイトルの序列も契約金の順になっている。朝日は名人戦を毎日に奪われた以降タイトル戦を持っていない。密かに狙っていたのは間違いない。何しろ発行部数では読売1000万部、朝日800万部、毎日400万部ということで、毎日が名人・王将と由緒あるタイトルを二つ持って、朝日がゼロというのはバランスからいっても奇妙である。

では、両者が発表しているように、3月になってバタバタと話が進んだのかというと、まったく違うのだろう。名人戦の朝日への移籍論は私が知っている限り10年ほど前からずっとくすぶっていた。要するに「おカネ」の話。基本的には読売と将棋連盟の間の、最高額で最高タイトルという「竜王戦」との関係もあるのだが、毎日から名人戦を高額で朝日に移管すると、半自動的に読売との契約料も上がるわけだ。さらに、毎日新聞が持て余している王将戦をリニューアルして権威を上げ、毎日にも顔を立てれば、毎日からの収入減もなくなり、大増収が期待できるわけだ。機を窺っていたのは確かだろう。

そして、今回の問題が具体的に表面化したのは、おそらく3月初旬だったのではないだろうか。実は、将棋連盟会長米長邦雄氏が公開しているさわやか日記というまったくさわやかでなく生臭い日記の3月18日の項に以下の危ない内容が書かれていたのに気付いていた。朝日の記事からいえば、前日の17日に朝日から将棋連盟に契約金の提示があったはずだ。

3月18日(土)20時26分28秒
大阪から内藤國雄関西本部長が来ていました。「中原さん、内藤はんとコーヒーどうですか」久し振りに3人でコーヒー。将棋界の現状や昔話に花が咲きました。

読売新聞社・小田次長来訪。
新しく創設した「経営戦略本部」についてご高説を乞いました。とにかく一番先に相談するのは読売新聞社です。

夜は朝日新聞社の鈴木文化部長と会いました。とにかく二番目に相談するのはこの人です。朝日アマ名人戦の前夜祭。会長挨拶をしました。将棋、特にアマチュア棋界にご尽力の朝日新聞社に感謝します。

夜9時からは毎日新聞関係者に面会。とにかく酒ですね。デジタル社会への進出について各社に協力を求めました。

今日は14時間半勤務でした。


つまり、読売・朝日・毎日に順番をつけているわけだ。一番が読売というのはあまり問題ない発言だが、二番が朝日、というのがミソである。

この三社との話をよく考えると、読売には「今度、名人戦が朝日に変わり、契約料が上がるので、読売さんもアップよろしく」ということだろう。朝日の部長とは、「こまかな条件の確認」を行う。管理費が高いとか値下要求していた毎日とは、「まあ、色々ありますが、きょうは酒にでもしますか」と肩透かし、ということなのだろう。


実は、棋士の登場する方の名人戦七番勝負は4、5、6月と3ヶ月内では終わるのだが、名人戦獲得一本勝負の方は1年間、ダラダラと続くのであろうと予想される。しかし、もともと先読み型思考の人間たちの集まりである将棋連盟には、何か秘策があるのではないかと思って、米長さわやか日記を辿ってみると、3月14日の記載で以下のエントリがあった。

昨日の会長挨拶は大いなる波紋を広げました。お世辞を言って下さったのはマスコミの管理職や協賛会社の人達です。
戸惑ったのはプロ棋士、女流棋士、現場の担当者。大別するとそうなります。契約金や協賛会社に対して費用対効果を堂々と持ち込んだのは初めてでしょう。

女流棋士諸君。よく意味をかみしめてや。

今日は弁護士や教育関係者と何人かに個別に会います。


この1ヶ月前頃から、米長会長は女性棋士会の代表たちと頻繁に会合をもっている。私の勘ではあるが、主催者が今一つはっきりしていない女流名人戦などの大型女流タイトル戦を毎日に渡すことなどでバランスをとろうとしているのではないだろうか。


実は、今回の主催紙移籍騒動の前兆をかなり前に予想していたエントリがある(と手前ミソに)。
昨年5月の対局で、元名人である加藤一二三九段が、「待った」をした、6月に処分された事件について触れた弊ブログ2005年06月13日「待った大王」処分は陰謀か?である。文中の後半で朝日=米長密約陰謀説を書いている。

この加藤一二三氏、朝日新聞派なのである。現在は不明だが、以前は朝日の嘱託であった。昭和52年に発生した名人戦移籍紛争で名人戦の主催権は朝日から毎日に変わった。それ以後、朝日は大タイトル戦を持つことがなく、常に巻き返しのスキを狙っていたわけだ。そのため、棋界内部に朝日派を拡大すべく、長く加藤氏を支援していたわけなのだが、もう彼の、内部での力はまったくなくなり、将棋連盟会長には、宿敵、米長邦雄氏が座ってしまったわけだ。

それでは、米長氏が毎日派かと言うと、そういうわけではないはずだ。できれば財政困窮の折り、スポンサーとして、今度は、名人戦を毎日から朝日に移籍することを思い描いている可能性はあるだろう。となれば、この事件は、どうも将棋連盟と築地新聞が「絶好の機会」と「加藤斬り」で新局面を狙ったものではないかと睨んでいるのだ。つまり「捨駒」だ。


つまり、朝日が送り込んだシンパである加藤一二三氏が棋士間では全く人望のない(敬虔なクリスチャンであり、勝負に負けそうになると将棋連盟ビルの屋上に出て讃美歌を歌い、神に祈るという逸話もある)ことから邪魔になり、排除したのだろうという推測である。


ところで、毎日新聞の論を支持する気もないが、すべての基準が「カネ」であり、それもマスコミという主催者に頼るという構造では、果たして、将棋ファンは納得するのであろうか。それより、平日深夜とか週末にネット上で対局中継でもした方が、よほど未来的指向だとは思うのだがどうなのだろう。

追記1:本質的問題は、朝日がいいのか毎日がいいのか、ということではなく、そこまでして収入アップをはからなければならない将棋連盟の収益悪化なのだろう。そして、その原因は社会構造の変化に対応できない硬直性と棋士の怠慢にあると考えられる。

追記2:将棋連盟からHPにアップあり。契約は3年単位の自動延長条項がついていて、契約期間終了の1年前通知が義務付けられていたところから、3月31日までに意思表示をしたものとの内容である、とのこと(契約内容を開示してもいいのだろうかとは心配だが有効期間位はOKかな)。
名人戦についての交渉経緯

皆様からお問合せの多い名人戦交渉の経緯についてご説明いたします。
昨年夏、日本将棋連盟理事会は外部の有識者による経営諮問委員会を設置しました。委員会からは、現在の財務状況改善、将来の展望等々ご意見を承りました。その中でタイトル戦見直しの話があり、名人戦を朝日新聞社に主催させてはどうかと提言がありました。朝日新聞社は30年来名人戦主催を熱望していることから、委員会のメンバーが朝日新聞社に打診しました。
委員会が仲介する形で朝日新聞社との交渉を開始しました。3月17日に朝日新聞社から正式に申し入れ書を受け取り、将棋連盟は毎日新聞社に対して契約の自動延長をしないという申し入れをしました。(申し入れないと第66期から第68期まで自動的に契約が更新される。契約変更は一年前の3月31日までに申し入れなければならない)
日本将棋連盟は契約書に則って毎日新聞社と交渉中です。
なお、現在行われている第64期名人戦(森内-谷川)に続いての第65期名人戦は毎日新聞社主催で行われることは間違いありません。
2006年4月14日 日本将棋連盟理事会

ガメラに遭遇

2006-04-14 21:43:40 | マーケティング
9a3cda85.jpg地下鉄(東京メトロ)でパスネット(1000円)を購入したら、ガメラに出会った。2006年4月29日公開のシリーズ第12作である「小さな勇者たち」のプロモーションの一環なのだろう。

前作(1999年)から7年を経て、監督も平成ガメラ三部作の金子修介から田崎竜太に交代。ただし、シリーズに一環して流れる「こどもに優しい怪獣」というスタンスは変わっていないようだ。ただし、「こども」に優しいからといって、大人や団塊世代や、老人にも優しいかどうかはよくわからないから、映画館で確認してほしい。

周知の事実を書くのも気恥ずかしいが、怪獣シリーズは東宝の「ゴジラシリーズ」が基本型。1954年に始まり、50年経った2004年に終了。寿命が尽きた表面的理由は観客減(正確には制作費の元がとれない)だが、たぶん、CGを多用したことが、観客離れの原因なのだろう。一方、対抗して大映(現角川映画)が考え出したのがガメラ。1965年からだから今年で41歳。確か、東宝がカラーバージョンだったのに、大映は白黒バージョンだったのではなかっただろうか。制作費を浮かすため、大暴れしてミニチュアの建物を全壊したりはしないことが多い。

結局、系列を超えた「ガメラVSゴジラ」は実現することなく、ゴジラの方が先に消えてしまったのは「ウサギと亀」の寓話のとおりだが、もともと亀は長寿。今年3月23日、インドのコルカタ動物園で肝不全で亡くなられたアルダブラゾウガメは推定年齢250歳。ガメラも250歳まで歩き続ければ、23世紀まで行く計算だ。


ところで、首都圏で時間とおカネのロスなくスピーディに移動するためには、あれこれ多種類のカード類が必要だ。しかし、この前は、SuicaでJR内を移動して東京駅で新幹線の新横浜まで自由席を買おうと思ったら、うまくいかないことになり、25分も無駄にした。JR東海の新幹線は20分で新横浜に到着するのに、である。 

毛蟹で思い出す稚内の外国人

2006-04-13 15:37:26 | マーケティング
9965a5d8.jpg虎ノ門にある、少し有名な北海道料理店に行く。北海道は食べ物の宝庫なので料理を選ぶのも大変だが、はずせないものがある。

「毛蟹」だ。

この店は朝、北海道で浜茹でされた毛蟹を、東京までANA便で空輸する。別に北海道に限らず、食べ物は早朝に取引が行われるのに反し、実際にごちそうとして食べられるのは夜になる。本当は昼食こそ新鮮な食材が食べられるのにモッタイナイ話だ。

そして、毛蟹は単価が高いため、必ず前日に店側から予約確認を入れてくる。約8,000円程度のカニを4人でつつくことにする。足とハサミは合計10本で4で割り切れないが、まあカニミソの配分比率などでおのずと均衡点があらわれる。

それにしても、毛蟹は旨い。しかし高い。この店は一匹8,000円だが、新橋で有名な「蟹銀」に行くと半身で18,000円もする。一匹だと36,000円になる。この店の4.5倍。ちょっと考えてしまう。

そして、宴席は盛り上がるのだが四人のうち二人は、酒を飲まない。一人は大酒のみ。もう一人は私。最悪のパターンだ。なるべく蟹の解体実演で遊んでもらい時間の浪費をはかるが、ものには限度があり、結局は日本酒4合程度飲むことになる。

ところで、この蟹の国籍のことはわからないが、何年か前に、12月に北海道の北端である稚内に行ったことを思い出す。たまたま、市営の公共岸壁に近いところにいたら、ロシア船が入港してきた。蟹船だそうだ。実は見てすぐにロシア船だとわかるのは、船体全体が真っ赤な錆で覆われていることからだ。現地の方の話では、いくら錆びていても鉄板の鋼材が厚いので穴はあかない、とのこと。さらに驚くのは、船員だけでなく、家族で蟹船に乗っていること。入港すると、続々と上陸し、稚内の町に消える。雪の中を4キロくらい歩くのは平気だ。そして家族の同乗以上に驚きは犬まで乗船していたことだ。日本ではあまりみかけない巨大な犬も許可なく上陸していた。お願いだから逃がさないでくれ!ということ。

そして、おもわず稚内プリンスホテルで飲みすぎてしまい、ホテル前の広場でいい年して雪合戦などしているうちに携帯電話を落としてしまった。結局、電話機は見つからずしまいになったのだが、運のいいことに、その電話機からロシアあての国際電話が行われた形跡は認められなかったのである。ホッ。
  

ポジション調整のことから話は広がる

2006-04-12 15:08:39 | MBAの意見
昨日の続きになるが、両親別に、入院、手術、介護などの対応に追われ、自宅(横浜)、会社(東京)、病院・実家(近郊)、その他出張や若干の宴席などで住所不定状態になっている。従って、交通費は猛烈に膨らむし、自分のカラダは大切だから、特急(含む新幹線)やグリーン車やタクシーを多用。つい、会社で「交通費だけでも、おカネがかかって大変」とこぼしたところ、周りからは意外な声が・・

「株で儲けているんだからいいじゃないか・・」

う~~~ん・・・・・。そう見られていたか・・。まあ、貧乏人と論戦してもしょうがないが、きっとそういう発言をする人間は、日頃私が、会社のパソコンで、時折カチャカチャと猛烈な勢いでキーボードの上でピアノ狂詩曲を弾いているのを見て、「デイトレみたいなことしているな」と疑っていたわけなのだろう。まあどうでもいいが。

実際は、株価と損益を見ることはあるが、それは一瞬。数秒で終わる。だいたい、会社でデイトレなど物理的にできるわけない。それに、あまり日本株そのものをやっているわけではない。リスク分散で10社近くは持っているが、基本的には3ヶ月単位で見直していて、あとは他の金融資産とのバランスを見ているわけだ。日本株、国債、中国株、内外のREIT、商品ファンドに、金、プラチナ、パラジウム、何本かの危険なエマージングファンド、数種類の外国通貨、食用動物など・・。要するに価格変動するものの時価評価をしょっちゅうしている(もちろん深夜にだが)。

それは何のためかというと、いわゆるポジション調整ということ。たとえば、株が急騰すると、株で持っている資産の比率が上がる。そうすると、全体としてリスクが増えるので、少し売却し、比率の低くなったものを買いなおす。これを繰り返しているだけなのである。結果、「利益確定」と「底値買い」ということになっているのだと思う。さらに、長くやっていると、日本株が下がってもあまり損が出ないようなポートフォリオがわかってきて、狼狽しないようになってきた。

ところが、確か今年3月の後半に株が下がった局面があって、世間では年金筋の運用上の「ポジション調整」とか言っていた。ああいう大手は半年とか一年に一回しか調整しないのかとちょっと驚く。まあサラリーマン仕事とはそういうものだろうか。

それで自分の話になると、株は3ヶ月ごとにまとめて買って、時々、現金化するというのが現状で、あまり動かさない(もちろん考えていたシナリオが崩れれば損切りしてあきらめる)。ところが、そういうことは、株をやっている人にしかわからない話なので、いずれそういう話のわかる友人が増えてくる。数あるクライアントさんと酒を飲んでも、話して盛り上がるのは仕事の話ではなく、個人的な投資の話であるのは夜の席の定番だが、時々、わけのわからない人間が混じっている。「投資は定期預金だけ」というような人間である。当然ながらあまり持っていない。

会社というのは奇妙なもので、勤務中は、同じような生活をしているのだが、勤務時間が終わると突然、身分が変わる。極端な言い方をすると、金持ちと貧乏人である。金持ちというとおおげさなので、「ゆとりのある人」程度でいい。

歯の治療をするときに、多少は自費負担でいいと思っている人は多いが、中には全部保険でなければ・・という人もいる。3人でちょっと離れた飲み屋に行こうとすると一人だけタクシーはやめようという。そういう人間に限ってタバコを吸って、こちらのスーツに臭いを移す。中年になると腰痛になるのは、人類がアフリカ大陸で直立した日から始まる宿命なのだが、上手なカイロプラティックは時間単価は高いが数回で終わる。下手な整形外科医は保険が利くが、一向に直らず、いずれヘルニア手術に追い込まれる。しかし、カイロ派はあまり貧乏人には紹介しない。ああだこうだと理屈をつけておカネの必要なところには行かないことを知っているからだ。

ゆとりのある人は会社では、わざと小さくなっていて、ゆとりのない人は、逆に背伸びをする。

まあ、そういうのを見分けなければ快適な会社ライフは過ごせないのだが、見抜くのは難しい。経験的には、ケチを見つける最良の方法は、「靴を見る」ということだ。ゆとりのある人は10,000円以下の靴を履くことはない。

スイカはグリーン

2006-04-11 21:05:46 | マーケティング
b6faa407.jpg個人的事情で、東京の周辺部を行ったり来たり、行ったままになったり、ウロウロしている。不確実ではあるが約1ヶ月はこんなことを続けることになるのだろうが、まだ不規則生活は始まったばかり。体力には別に不安はないものの、今後のことも考え、移動には特急電車やグリーン車、さらにタクシーとか多用パターンになっている。地方都市の生活はクルマがないと不便だが、よそ者が無理矢理クルマを持ち込むと、それが逆に足手まといになりフットワークが悪くなる。タクシーか、運がいいとバスになる。千円札の20枚綴りの回数券のようなものが必要だ。

先日も、深夜にA市から東京駅を経由して横浜へ向かうのにJR線だったのだが、グリーン車を使うことにする。偶然にもたまに愛読するisologueさん 3月24日号でグリーン券の買い方が紹介されていて、熟読していたので助かった。以前のように駅ホーム上のグリーン券自販機で買うのは中止になっていた。方法は主に3種類。

1.電車の中で現金買い。欠点は、「高い」「SUICAを持ってないケチな奴と思われる」。
2.ホーム上のSUICAグリーン券チャージ機を使う。利点は250円安い(1000→750)。
3.モバイルSUICAで、乗ってから買う。利点は、電車に飛び乗れるし250円安い。

磯崎先生は3を選んで、DOCOMOを5分間操って購入成功。私は2でカードにチャージ。好き好き。

そして、空席ばかりの座席の一角に座り、天井のSUICAマークにカードをくっつけると、赤ランプが緑ランプに変わる。あとは眠るだけ。車内の検札は緑の人には声をかけない。若い女性アテンダントなので声を掛けられないのも寂しいというのが欠点かな。普通車の検札は男で、グリーン車の検札が女というのは、グリーン車には、色々ごたくをならべて因縁をつけるような人間はいない、とJRが判断しているのだろうが、実際にはグリーン車に乗っている人間の方が悪人比率が高いような気がする。運賃にクレームをつけたりしないだけだろう。

そんなことを考えているうちに、眠り込む。起きたのは、東京駅で車内清掃をしているオジサマから。「お客さん、終点です。」肩を叩くのは女性アテンダントではなかったのだろうか?あわてて、横浜方面の電車に乗り、SUICAをグリーン車の天井にタッチするが、今度は、一瞬、緑に変わったと思いきやすぐに赤に戻る。しょうがなく色々と説明書を読むと、「購入区間内で列車や座席を乗り換える時」という特殊操作が必要であった。降りる前に、前の電車で一回天井にタッチすればいいということ。つまり、車内清掃員に寝込みを襲われて、逃げ出す前に、SUICA操作が必要だったのだ。

まあ、おかげで女性アテンダントと無料でお話しすることができたわけ。

そして、当たり前の話ではあるが、グリーン車の最大の欠陥は、いくら追加料金を払っても、電車自体が早く到着するわけではない、ということなのだ。ヤレヤレ。と村上春樹風に。

第64期名人戦に登場する谷川浩司の投稿発見

2006-04-10 20:59:51 | しょうぎ
2c5832bc.jpg4月11日から、第64期名人戦7番勝負が始まる。

この「名人」というタイトルだが、古くは江戸初期1612年に大橋宗桂(そうけい)が幕府より認可されてから約400年の歴史を持つ。囲碁界の本因坊と同じように権威がある。江戸時代は大橋家と伊藤家という家元輪番制で10世名人まで世襲している。同じ世襲制でも徳川家は15代まで進んでいることを考えると、一代当たりの寿命は約1.5倍。要するに、うまいものを食べるよりも、頭をうんうんと使うほうが健康にはいい、ということだろう。

そして明治になり、新聞社の後押しもあり、3人の名人が誕生したが、やはり世襲制の問題点である「年を取ってから名人になるから弱い」という欠点が表面化する。そのために、英断をもって実力名人制がはじまる。この制度改革のはざまで割を食ったのが阪田三吉。実力名人制がはじまった時には既に50才台半ば、すでに指し盛りを過ぎていた。

その後、制度としては時の名人に対して毎年行われる挑戦者決定リーグ(A級順位戦)でトップになった棋士が名人戦7番勝負をあらそい、さらに名人位に5回(5年間)座ったものが、「永世名人」として、江戸時代から続く連番制の名人記録に名を残すことになる。実力名人戦64期のうちでも、木村義雄(14世)、大山康晴(15世)、中原誠(16世)、谷川浩司(17世)とわずか4人しかいない。史上最強といわれる羽生善治も4年間しか名人位には座っていない。

そして、現在、名人位に座っているのは森内俊之である。35才。羽生と同じである。そして、挑戦者は谷川浩司44歳。挑戦者リーグで8勝1敗という高率をあげたにもかかわらず、羽生と同星で、決定戦までやって登場。名人の座はなかなか遠い。棋界の外から見ても中から見ても、どうみても、羽生・谷川という二人が中心であるべきと思われていたのにかかわらず、ここ数年、谷川は不調だった。

実は、私は、この数年の谷川浩司の不調ぶりには、ある原因があるのではないかと推測していたのだが、それを裏付けるエッセイを谷川浩司自身がある雑誌に書いていた。将棋とは似て非なる世界である「詰将棋」界の最高峰といわれる「月刊・詰将棋パラダイス」2006年4月号に「詰将棋という引き出し」という一文が掲載されている。谷川は、ここ数年、あまたの詰将棋専門家(ツメキストという蔑称もある)に混じり、プロ棋士ではただ一人難解作を発表し続けている。

彼の説明によると、トップ棋士を続けるためには、将棋に打ち込む以外にいくつかの「引き出し」が必要ということだそうだ。その中の一つが「詰将棋」ということなのだが、普通の棋士は難しい詰将棋を適当に解くことで終わるのに対し、彼の場合は、「創る」というところにのめりこんだそうである。そして、彼の反省のことばを読むと、将棋が不調なときは、いくつかの引き出しをバランスよく開けることが重要なのに、詰将棋創作の引き出しばかりに逃避していたそうである。

さらに、彼は自らに課した目標として、江戸時代の名人たちが生涯のうちに「詰物百番」という百題の難解詰将棋を創っていた史実に習い、難解詰将棋を創り続けているいるそうである。エッセイには「納得できる作品は90は完成した」と書かれている。

完璧主義だったわけだ。が、そういう自分自身の内幕を書くということは、ちょっと気持ちがかわったのだろうか?

名人戦開幕直前の彼の言葉は、妙に自信満々なのである。あるいは、最近流行の「イメージトレーニング」で自分が勝つところだけを思い浮かべているのだろうか。一方、迎え撃つ森内名人の方もイメトレをしていた、などということはないのだろうか。「対戦する相手が、イメトレをしてきた場合でもそれに打ち勝つイメトレ」とか。さらに、「(対戦する相手が、イメトレをしてきた場合でもそれに打ち勝つイメトレ)の対策に対しても打ち勝つイメトレ」とか・・・  

「桜さくらサクラ・2006」展(3月11日-5月7日)

2006-04-09 07:41:21 | 美術館・博物館・工芸品
4c7dabb6.jpg山種美術館は元々山種証券(現SMBCフレンド証券)創業者でもある山崎種二氏が兜町の証券会社の本社ビル内に美術館として開館。もちろん証券会社の利益と、収集された日本画の枚数は比例関係にあったのだろうとは思う(逆かもしれない)が、よくわからない。もちろん、この手の個人財閥の常として、種二氏の逝去後、跡目紛争がおこる。

そして、のれんわけとなり、美術館は証券会社ビルから追い出され、森ビルが六本木に建設する巨大ビルの中に納まることになっていた。しかし、実際に「六本木ヒルズ」という名前のビルが建つまでには、長い時間が必要となり、当座の間は千鳥が淵に仮寓をもうけ、展示品の一部だけを公開することにしていた(ホームページにも、現在は仮移転中となっている。)。しかし、六本木ヒルズには既に森美術館が陣取り、アジアの現代美術の発信地を目指し外国人館長が頑張っている。

将来的には不安定でおもしろい話だとは思うが、きょうは書かない。ちょっと、生臭い話を書く気分になれない状況なので。


3月の後半に、美術館をのぞいてみた。「桜さくらサクラ・2006」展が開催されている。5月7日まで。桜の季節は短いが、何らかの事情で花見に行けなかったらここへきてもいい。

ところで、桜というのは、本来、美しい花であり、一本の立木でも美しいし、吉野の山桜のようにまとめて群生している情景も美しい。一方、残念なことに、咲いた後は僅かな日数で、きれいに散ってしまうことから、戦前は愛国軍人の象徴のように讃えられていた。君が代、日の丸、などと同列になっていたわけだ。実際、桜は花が散れば若葉が出てくるが、軍人が散っても若葉はでてこない。喩えてはいけないものなのだ。

さらに、花見のシーズンはスギ花粉症のシーズンとも重なるので、どうも実際に花見に行く元気はなかったわけだ。しかし、絵画で見るなら室内だから、まあ大丈夫ということである。それに、桜をカメラで美しくとらえるのはきわめて難しいが、絵画であるなら、その固有の美しさを十分に表現できるはずだ。

4c7dabb6.jpgもちろんサクラ尽くしの展示なので、展示された絵画はすべて桜が主題となっている。およそ、色々な捉え方がある。ただ、少し意外だったのは、われわれが通常の花見で体験するような桜の描き方の作品は非常に少なく、桜の持つ華やかさで山一面が桜霞に包まれる図が多かったこと。そして、もう一つの特徴は「夜桜」である。「桜+月+闇」という艶やかなコントラストは、なにか現世を離れた場所へ我々をつれていくような錯覚を感じさせる。このパターンの作品は数多く展示されている。個人的な好みでいえば石田武の「春宵(平成12年)」は背景の闇に藍色を入れることにより、昼と夜の間のありえない時空間を予感させる。また、加山又造の「夜桜(昭和61年)」はこれまたありえない茶色の空を表現している。

そして、夜桜の横綱とも言うべき横山大観作「夜桜」は会期最終1週間である4月28日から5月7日までの間だけ、大蔵集古館から出張してくることになっているそうだ。


ところで、まったく私事だが、最近、介護関係の会社の方とお話をすることが多いのだが、それらの会社の多くは老人ホームを経営していて、そこを事務所としていることが多い(誤解されないように書くが、別に親をホームに無理やり押し込んで問題解決をはかろうとしているわけではまったくない)。そして、老人ホームには桜が多く植えられているのである。聞いたわけではなく、私の勝手な解釈なのだが、桜の花を見ることで、老人達は季節感を得ることができるのだろう、と表読みしたあと、何となく頭の裏側に浮かんできたのは、老人達が桜を見ると、「これが、桜の見納めか・・」と諦念の境地に落ち込み、結局ベッド回転率の向上につながるのではないかとの妄想が浮かんでくるのである。  

国際問題に巻き込まれなければいいのだが

2006-04-08 07:19:21 | 市民A
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元ペルー大統領アルベルト・フヒモリ氏(あるいは日本人藤森謙也氏)が、片岡都美さん(国籍未確認)と結婚するそうだ。年の差は26歳。



フジモリ元大統領が婚姻届 拘束下、日本人実業家と

南米チリで拘束されているペルーのフジモリ元大統領(67)と東京都内でホテルを経営する片岡都美(かたおか・さとみ)さんの婚姻届を、双方の代理人が6日未明、都内で提出した。

 フジモリ氏は代理人を通じて「人生最高の日」との談話を寄せた。片岡さんは共同通信に対し「ペルーを訪れてフジモリ氏の支持者を目の当たりにし心を打たれた。命を懸けて彼を守るつもりだ」と語った。片岡さんは3月11日、リマでの支持者の集会に参加し、フジモリ氏と結婚すると表明していた。

 フジモリ氏は今月9日のペルー大統領選への出馬を目指し昨年11月に日本を極秘出国しチリに入国。立候補は認められず、現在、チリ最高裁でペルーへの身柄引き渡しの可否をめぐる司法審理を受けている。(共同)

他人の結婚のことなど、どうでもいいとはいえるが、何となく嫌なムードが広がる話のようにも思える。国際問題に発展しなければいいなあ、と心配になるのは、次のような部分だ。

まず、藤森氏あるいはフヒモリ氏のこと。実際、日本語の話せない日本人というのは多くはない。その一人だ。ついこの前まで日本にいたのは、「政治亡命ではなく」、単に日本人が日本に住んでいたということである。日本人である以上、日本政府は彼の生命を守る必要があるのは、日本人旅行者が海外でパスポートをなくした時に、領事館員がしぶしぶ対応してくれるのと同様である。

そして、昨年末に、密かに日本を出国し、まずチリに向かったのは、日本政府発行のパスポートを使ってである。しかたがない。ところがチリに入国しようとした時に使ったのは、ペルー政府発行のパスポートであったわけだ。そして、現在、チリ政府はこの男を拘束しているものの、まだ、誰にも引き渡していない。そして、彼は実際日本人かと言われれば、ほとんどの人は、首をかしげてしまうだろうとは思う。せっかく保護していたのに、勝手に出国して、いまさら日本人と強調されても・・・ということだろう。元々、日本に来ていた状態を亡命ではなく、「単に住所の変更」と片付けてしまったところからボタンの掛け違いははじまっている。

次に片岡都美さん。ブログ上でも”日本国籍ではない”とする説も流布しているし、両親の一人は日本人ではなく、東アジア系である。個人的には、国籍なんかどうでもいいとは思うし、まあ、本人にとっても国籍は大した意味はないように思えるが、実は思想的には特定方向に偏っているのである。特攻隊を礼賛し、靖国神社の移転に反対し、要するにウルトラライトウィングということだ。実業家としては、名古屋地区の遊戯店やゴルフ場を経営。さらに、東京にあるプリンセス・ガーデンホテルを所有している。

0cc263c8.jpgこのホテル、品川区といっても、品川ではなく、目黒駅から恵比寿方面に歩くと5分ほどのところにある。以前、この道を歩いた際、ちょっと周りの風景と違和感があり、スナップ写真をとっていた。画像を表示したからといって、私を朝鮮海峡に沈めようとは思わないだろうが、庭園が立派だそうだ。なぜ庭園が立派かといえば、このホテル、元の所有者は貴族さまである。ミスター三條実美が経営していたものを、片岡女史が入手するまでの過程は、不透明だ(ついでにランチバイキングはたったの1000円と格安)。また、彼女の伯父はある商銀理事長であった(破綻)。

そして、フヒモリ氏が「生涯最良の日」と発言するまで骨抜きとなった原因は、わからないでもないが、ミズ片岡の目的はなんだったのだろうか。ここから先は、勝手な想像なのだが、フヒモリ氏は日本在住中は、ミズ片岡の自宅に長く泊まっていたりしていたそうなのである。あくまでも想像の域は出ないが、彼の入浴中に上着の財布の中に入っている世界のどこでも使えるにもかかわらず、世界のどの国にも口座が存在しない、「オフショア口座」のバンクカードでも発見したのではないだろうか(と勝手に想像)。

そして、なぜ今、急いで結婚なのか? これまた、正しい答えが用意されるわけではないが、まさか「チリで拘束中」というところから、ある女優兼歌手兼エッセイストの女性にバンクカードを横取りされると勘違いしたわけではないだろう(その女性の名は、”ミズ・アニータ・アルバラード”)。

フヒモリいや今度は藤森氏の遺産は日本法により相続されるのか?!?まったく二重国籍はややこしいかぎりだ。

(妄想的に)ポスト小泉は?

2006-04-07 21:13:02 | 市民A

1月に行なわれた日本経済新聞社コラムニスト田勢康弘氏の講演会での録音CDが届く。リアルで聴いた後の感想は、2006年1月26日号「<a href="http://blog.livedoor.jp/ota416/archives/50356528.html">田勢康弘氏講演会</a>」で書いたとおりだが、今回の民主党代表選びをめぐるキーが落ちていないかと聴きなおしてみた。(何しろ、先週末から、とある事情で長い移動時間を余儀なくされ、車中の有効活用(ヒマツブシ)の一環)

<b>なぜ、横路孝弘は一早く小沢支持に回ったか?</b>

田勢講演会の最大のテーマは「ポスト小泉」は誰か?ということだったのだが、ポイントは、
A.後継者候補のうち、誰も強く支持していない。
B.その中でもあえて言えば、竹中平蔵だろうが、それは微かに支持しているくらいだ。
C.安部を支持はしていないだろう。むしろ前原の方がお気に入りだ。
D.最大のポイントは、小泉チルドレンと言われる新人議員83人の動向だろう(つまり小泉が83票持っているということ)。

しかし、講演の中で触れられていた小泉首相の話題の中で、聴きなおしていてハッとした部分があった。彼の政友ということなのだが、「自民党内には友人はいない」ということだそうだ。YKKも終わってしまえばそれまでということだそうだ。過去には民主党議員を応援したりして党内で懲罰をうけているくらいだ。「あえて探せば、酒飲み友達でもっとも親しいのは、<b>土井たか子</b>」だそうだ。

このあたりを妄想的に考えているうちに、一つのラインが見えてきた。
<b>小泉純一郎→土井たか子→横路孝弘→小沢一郎</b>(各電話密談による)。

となると、少なくても衆議院で100票を持つ小泉票が小沢一郎と合計され「ポスト小泉=小沢」という線が見えるのではないだろうか。チルドレンの多くは民主党の候補を破って当選しているので、そのまま民主党に移っても大きな問題はない。

しかし、もちろん、その前に代表選で小沢が負ければ、それで終わり。たぶん政界引退ということになるのではないだろうか。彼は「小沢グループ代表を続けるため」に政治家をやっているわけではないだろうからだ。

そして、そうなれば小泉総理の方は、いつもの冷血宰相風に、かつてのYKK同様に「コンニチワ、サヨウナラ」ということになるだけなのだろうか。


遅れてきた老人の戦術は?

2006-04-06 21:10:10 | 市民A
「遅れてきた青年」はノーベル文学賞作家である大江健三郎(1935年生71歳)が、25歳の時発表した小説だが、大江氏よりは若干若いが小沢一郎(1942年生64歳)が民主党の第何代目かわからないが党代表になりそうな様相である。

今回、党内でもっとも意見が離れている横路グループが小沢支持を表明したことで、もう決まったな、って思っているのであるが、横路グループが、もっとずっと前に動けなかったのが、この政党の大問題なのだろう。ようするに、他に選択肢がなくなってからというわけだ。

若干、「遅過ぎた」とは思うが、弱いエールを一声と、ちょっと一考。


小泉が首相の椅子に座ってから、ずっと感じていたのだが、日本は「ソ連→ロシア」と似ていると思っていた。企業の社長論でもそうだが、歴史の変針点に必要な人間、荒海を突っ走る人間、広い海を安全航行する人間。段階的に別に必要となる。ロシアでは、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチン。と、この公式がそろっている。

ゴルバチョフ(1931年生)がソ連共産党書記長になったのは1985年(54歳)。以後1991年までに共産党をほぼ解体。外務大臣をクビにしたのも小泉と符合する。1991年のクーデター未遂事件を機に政権はエリツィンに移るが、実はこの二人は同年生まれ。エリツィン(1931年生)は60歳で政権に座る。そして、1999年、69歳でプーチン(1952年生)に交替。

実は、ゴルバチョフとエリツィンが同年生まれであるのと同様に小泉純一郎と小沢一郎も1942年生まれ。(ついでにどちらも慶応大学経済学部。たぶん、小泉は2留したところから考えれば、授業にはほとんど出ていないだろうから面識があったかどうかは不明。名前もよく見ると似ている。)

政策的には小泉の後継としては、色々ととりざたされる自民党の首相候補者の誰よりも小沢(あるいは前原)の政策が小泉路線との継続性があるような気がする。横路グループが小沢支持を打ち出した理由はよくわからないが、政界もネジレが激しい世界だから、そんなものかもしれない。

しかし、実際には首相を選ぶのは衆議院。民主党代表が政権獲得を狙うのは手段が見えない。1991年8月19日にクリミア半島で起きた大統領拉致拘束ような、奇怪な事件の画策でも思い巡らせているのだろうか。

近況

2006-04-05 21:05:51 | 市民A
実は先週後半から、ピンチに追い込まれている。ブログは手持ちネタを整理して、livedoor blogの特長である「予約機能」で何本か並べておいたので、藤堂家家訓200ヵ条とか詰将棋とか連発させたのだが。これで品切。


老老夫婦の片方がやや知的問題が出てきたもう片方の世話をしていたのだが、知的には健全な方が1ヶ月間の(緊急入院+手術入院)ということになり、少し離れたところに住む子供たちやその家族が、「予想される困難」の通りの、「現実化した困難の渦」にまきこまれている、という図に陥っているわけ。

結局、しばしの間「横浜の自宅」と「東京の会社」と「地方都市の実家」と「病院」という4ヶ所の住所不定者なので、まあ、無理無理書くブログでは、「おおた流」としてはいかがなものか?ということ。

ということで、更新もボチボチと。リアルタイムで起きていることは、心の中で熟成できていないし、私小説にはしたくないので、その他周辺のことを表層的に爪で引っかく程度に・・。

まず、藤堂高虎の家訓第43条から。
「親たる人に不孝行ハ人外也如何行末あしかるへし主親ハ深くうやまふべし」
(親に不孝行は人ではない。行く末はどんなにか悪いことか。主親は深く敬うべきだ。)
うーん。解題したばかりだった。

親不孝は人でない=つまり動物。まあ、動物の子供は親の面倒はみない。人間類の特徴。
行く末は不幸だ=高虎らしい書き方だ。ちょっと脅迫する。親孝行で不幸になる人もいる。
主親は深く敬うべき=両親同時ピンチ発生の時、どちらが大事かはっきりしない。


さて、現在、起きていることからの教訓1
 「老いては、子に従え」 (現実は、「病んでは子に従え」がほとんど。)子に従わなくても、子の意見を聞くくらいは必要と思うのだが・・

このことわざは、「イロハかるた」にも収録されていて、儒教精神とされるが、どちらかといえば「実用的な格言」のにおいがする。論語に書かれているようにも見えないし、むしろ孔子は、「年を取ったら頭が固くなるものだから、もっと柔軟に頭をつかうよう」に勧めている。「論語読みの論語知らず」というのもカルタの定番だから、あまり気にしないようにしておく。

しかし、孔子は、年取ると「固くなるのはアタマだ」。と断定しているのだが、一般的には、年を取ると逆に「柔らかくなるもの」もあるのだが、それには触れていない。超人だったのだろうか。

急な事情

2006-04-04 00:00:50 | 市民A
皆様、
急な事情で、4月4日以降は断続的あるいは一時中断することも考えられます。もちろん、一定の期間の後には旧に復しますのでまたよろしくお願いします。蛇足ながら、私が急病になったということではありませんので・・

藤堂高虎家訓200箇条(5)

2006-04-03 22:14:41 | 藤堂高虎家訓200箇条

家訓200ヵ条はいつ書かれたのかというと、江戸時代に入り、江戸の藩邸で口述筆記されたということだそうだ。本来、大名は領地と江戸の間を毎年往復していたのだが、高虎はいわゆる幕府の建設大臣のような立場にあって、現場方の要職として、江戸や日光の普請事業にかかわっている。多くの時間は江戸にいたのだと考えられる。60歳台に書かれたのではないかと思うが、一気に書かれたわけでなく、したがって、長短交じっているのだろう。

始めの50条くらいまでは、四角四面の話が多いが、その後、徐々に人間的な思い付きの愚痴のようなものも増えてくる。

第41条 よき主人善き家老よき侍といふハ十に一つ二つ三つ悪敷ハよきなり悪きをゆるすとてひけ有人か一心の不叶か口をたたき人の中言或は手の悪敷ぬす人同前の事たらは以の外可成免しても不苦ハ立居の不調法物言こと葉のひくき事なと言ハ若しかるましきか此外ハ不可免

よい主人、よい家老、よい侍というのは、十に一つ、二つ、三つ悪いところがあってもよい。悪いのを許すと言っても高慢な人間が自分の心に合わないとして、かげ口をいったり、つげ口をいったり、手の悪い盗人同様のことをするものは、もってのほかである。許せるのは、立居振舞の不調法なもの、物を言う言葉の能力の低いことなど、このほかは許すべきではない。

高虎は面白い言い方をする。普通なら、「十に一つ二つは」だろうが、「十に一つ二つ三つは」悪いところが3/10もあったら、現代では「クビ!」だろうが・・。「陰口、告げ口」は世の習いとしても、手の悪い盗人のことまで書き残さなくてもいいとは思うが、どうも主君に恵まれないだけでなく、部下にも恵まれなかったのかも知れない。伊賀上野藩主に座ってからは転職もできなくなったわけだ。尾張と紀州に挟まれていたわけだ。

第42条 婬乱なる人ハ風上にも不可置事

婬乱な人は風上にもおいてはいけない

「風上にもおけない奴」とは現代でも使う表現だが、当然ながら風下にもおけないということだ。何か、風上と風下には、複雑な隠喩が隠されていそうだが、頭が悪いのでよくわからない。

第43条 親たる人に不孝行ハ人外也如何行末あしかるへし主親ハ深くうやまふべし

親に不孝行は人ではない。行く末はどんなにか悪いことか。主親は深く敬うべきだ。

親不孝は人にあらず、というのは当たり前の話ではあるが、戦国時代には多々見受けられる事象である。この200ヵ条は江戸時代になり、江戸の藩邸で作ったものであることから考え、「時代は変わった」ということを彼が認識していたということか。

第44条 大身小身侍によらす理非を改へし理に二つハ有へからす

大身であれ小身であれ、侍は理非を改めるべきだ。理に二つはない。

「武士に二言はない」というような表面的なことを言わないところがいい。「武士に二理はない」ということだ。しかし、二次方程式は解けない。

第45条 人間に生れ臆病なる者ハ有間敷也常に心かけなく無嗜なる人たるへし子細は詰腹を不切者ハなし然ハ臆病なる人ハかいもく無嗜ゆへ成へし用心ハ常に嗜深く先祖の恥をかなしみ命をおしまさる事是可為本意

人間として生れたら臆病者ではいけない。常に心がけがなく、たしなみのない人だということだ。細かくいえば詰め腹を切らない者はいない。臆病な人は、まったくたしなみがないからだ。用心は常にたしなみ深く、先祖の恥を悲しみ、命を惜しまないことが本意だ。

この条は41条と通じるところがある。細かく言えば、詰め腹を切らない人間はいない、というのは、多少の不始末があってもいいが臆病だけはだめだ、ということだろう。臆病とは、「弱気であって意識が低い」状態を指し、経営者には向かない。「弱気であっても意識が高い」のは、慎重という単語になり、「強気であって、意識が低い」のは、無謀といわれる。では、「強気で意識が高い」経営者は、何と呼ばれるかというと、「強運」と呼ばれる。

第46条 我しらさる諸芸ハ嫌ふ者多し我得たる芸能ハもてはやすなり無理なる沙汰也面々の数寄数寄たるへし

自分の知らない芸を嫌う者が多い。自分の得意な芸能はもてはやす。無理な話だ。それぞれの好きずきである。

まったく、そのとおりだが、「家訓」としては・・

第47条 慇懃にするハ徳意多し慮外する人ハ損多かるへし

慇懃な人は徳が多い。ぶしつけな人は損が多い。

「慇懃」ということばには、少しカゲを感じるのだが、それを勧めている。昔はいいことばだったのだろうか。

第48条 大名大身小身侍下々迄諸事に付早しわるし大事なく遅しわるし猶わるし心得へし

大名大身小身侍下々まで物事の決定が早くて悪いのは大事ではないが、決定が遅くて悪いのは、なおその上、悪いと、心得るべきだ。

マーフィーの法則にでてきそうだ。即決で失敗する方が、熟慮の末、失敗するよりましだ。


第49条 惣而人の落目を救ふ事尤なり

すべて、落ち目の人を救うことは、もっともなことだ。

これは、失脚寸前の人を救うことはもっともだ。あとで返ってくる。しかし失脚してしまった人を救えという意味ではなさそうだ。人が落ち目の時には助けてやれ、ということだろう。瀬戸際大関の八百長相撲(片八百長)のはしり。

第50条 我か贔屓成人言イ事する時善悪のひはんに及ふ時ひいきなる人を大にほめあい手を悪敷不可申あい手ひけをとりたると思ひ打はたす也ひいき成人を思ハハ両方難も不付様にて言あひてきつくひけ取たらハ不及是非事也

自分がひいきしている人が言い争いをする時、善悪の批判をする時、ひいきしている人をほめ、相手を悪くいうべからず。相手は負けたと思い、打ちはたすからである。ひいきしている人を思うなら、両方難をつけないように言い、結局負けるならば、これはしかたがない。

あくまでも、言い争いの時の話で、決闘の場の話ではない。しかし文中の「打はたす」というのはもしかしたら、ギラリということなのだろうか。その場で抜かずとも、言い争いから河原デスマッチになることは多かったはず。まさに口は災いの元である。

つづく


おおげさ詰め

2006-04-02 22:10:44 | しょうぎ
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将棋界では、財政再建とかファン離れとかネット将棋の問題とか女流棋士の身分問題とか色々軋轢が生じているようで、特に将棋のタイトルを提供している新聞社と何かと意見が対立しているようである。

そういう難しい話は論を改めることとして、今回は中ぐらいの難易度の問題(といってもあまり難しくない)。どうも、チマチマと駒を手順どおり捨てていくような毛糸の手編みマフラーのような問題を作るのは苦手である。満員電車の中など頭の中で作る関係上、チマチマ作はうまくいかない。

たまに、夢の中で詰将棋が浮かぶがそういうのは、単に夢の中だけで、実際には穴だらけである。夢の中で、ブログの筋書きが浮かぶことは何度かあるが、そういう日は、考えなくてすむから楽だ。夢のとおり書いて、あとは補足と修正を加えれば完成する。

さて、この問題、初手と11手目が限定打でないのが痛いところだ。何枚か駒を足すと限定打にはなるが、ちょっと美的感覚上、動かない駒が多すぎるのは避けたい。


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ついでに、前回問題の解答:▲1二飛成 △同角 ▲3一飛成 △2一角 ▲3三角 △1二玉 ▲2二角成(竜)まで7手詰

4手目、後手側が合駒を打つと5手詰になってしまう。攻方4四桂の配置は5手目の角打を限定打にしているのと、初手から▲2一飛成 △同玉 ▲1二角 △1一玉 ▲3一飛成 △1二玉 ▲3四角という詰みそうな筋を演出している。実際は、その後、△2三合 ▲3二竜 △1一玉で僅かに逃れる。