特別展「大名」国立公文書館(~4月27日)(2/2)

2006-04-24 07:29:02 | 美術館・博物館・工芸品
昨日分では、藩の史書を中心とした書籍類について書いたが、そういった文書類だけでなく、現代の東京に残る江戸時代の大名の名残が紹介されている。

しかし、残念ながら、大名の江戸屋敷については、ほとんどが消失しているらしい(断定できないが)。明治維新、大震災、空襲などによるのだろう。今回写真で紹介されていたのは、屋敷の門構えが6件。書院が1、庭園が1である。庭園というカテゴリーなら、他にも何箇所かあるような気もするが。

カテゴリー・・「門」6件
加賀藩 昨日の名君シリーズでも書いた前田家の門は、現代の東京大学赤門である。6件のうち、ただここだけが、元の場所のままで、移設されていない。つまり、キツネが井戸に落ち、落命して足軽5名の死罪が申し付けられたのは、本郷であったわけだ。丹念に展示を見ていると、こういうことがわかる。余計な補足だが、この赤門は絶倫将軍徳川家斉の40人の妻妾が産んだ55人(お手付きはもっといる)の男女の中の35番目位の溶姫が前田家に嫁ぐ時の将軍からのプレゼントだったはずだ。しかし、妙なものが残ったものだ。

鳥取藩 国立博物館内(上野)に移設
徳島藩 世田谷区の下馬の西澄寺に移設
岡山藩 大田区下丸子の蓮光院に移設
彦根藩 世田谷区豪徳寺に移設 彦根城へ行くと、井伊家の豪華絢爛の歴史がわかる。彦根城天守閣も本物。
姫路藩 文京区向丘の西教寺に移設

カテゴリー・・「書院」1件
佐倉藩 世田谷区豪徳寺に豪徳寺書院をなす。豪徳寺は大名物を集めているようだ。門と書院。行ってみるか・・

カテゴリー・・「庭園」1件
大和郡山藩 文京区本駒込の六義園。ただし、なんとなくだが目白の細川邸などは、このカテゴリに入るのではないだろうか。


次の話題は、各大名の花押(かおう)。10名ほどの大名の花押が展示されていた。この花押、現代ではめったにお目にかからないが、閣議における閣僚の署名に使われている。たまたま、この公文書館の設立にかかわる閣議決定の文書も展示されていて、各大臣が1.5センチ大の花押で署名を並べている。江戸時代は大名の発する公式文書には、もっと大きな5センチ角ほどの花押が使われている。現代で言えば「本契約書は署名押印の上、各1通を保有する」といった場合の署名と押印が同時に行われるような優れものである。

しかし、前々から不思議に思っていたのは、花押のような文様をいつも同じ筆跡で書けるのだろうか?ということである。文字であれば筆跡ということになるのだが、あれだけ大きなものは筆で書くのも大変だろうということだ。そのことについて、解説されていた。型紙をおいて、墨を塗るそうだ。ようするに手ぬぐいの染めとか年賀状の製作と同じようなレベルの話だ。ナゾが一つ解けた。

と思ったのもつかのま、しばらくするとまた別の疑問がわいてきた。

花押の書体には各種あるものの、たとえば、「おおた」の「お」のような文字とか漢字の「日」といった形の文字の場合、黒塗りの文字の中に白抜きの空間が必要になる。型紙を作って墨を塗る作戦では対応できない。もしかすると、型紙ではなく、もっと立体的な大げさな道具があったのだろうか。白塗りの部分を後ろからサポートするようなアイロンくらいの大きさの型があったのだろうか。こういう問題こそ、現物があれば「百聞は一見にしかず」ということになる。

で、なぜ、こんなことに異常な興味があるのかということだが、例の「竹島問題」である。現在、どういうわけか韓国側が徹底的に嫌がっている「問題の国際裁判所送り」が将来決まった場合、外交文書の真贋や途中での書換えが行われたかどうか、あるいは当事者はそれに気が付いたかどうかというようなことも論点の一つになりそうだからである。が、妙なことを書くわけにもいかないので、興味と根性のある方は各自調べていただきたい。