『帰艦セズ』(吉村昭著 短編小説集)

2019-08-15 00:00:00 | 書評
先週、『戦艦武蔵』を読んだあと、続けて同じ著者の『帰艦セズ』を読む。7編の短編小説集で、7編合計ではずいぶんたくさんの人が死んでいく。ある意味、死体ゴロゴロ小説。

最初の3編は戦争とは関係ない小説で、市井の人たちの様々な死に様を書いたもので、概ねやり切れない気持ちになる。人間と運命の戦いのようなテーマだ。「鋏」は殺人罪で服役も刑期短縮で出獄した男の行く末をめぐる話で、料理を作るのに包丁を使わずに鋏を使うのはなぜなのか、というのがテーマだ。「白足袋」はある経営者の入院とその男が認知した愛人の娘の両方が瀕死の重体になり、遺産相続をめぐってどちらの側も死なせるわけにいかず延命措置を続けるという喜劇である。



4編目の「果物籠」は中学同窓会の席に紛れ込もうとする元教練の鬼軍人とそれを嫌う元生徒たちの心の行き違いが書かれる。現代のパワハラ問題と同じで、ハラスメントした方は気にかけてなく、された方がいつまでも恨んでいるという構造だ。

5、6、7編が本格的な戦史小説で、「銀杏のある寺」は戦時中、潜水艦の事故で沈没寸前に脱出して助かった2名のうち一人が、引き揚げられた他の遺体の遺骨のうち、引き取り手のない1柱をその兵士の故郷の寺に預かってもらうのだが、月日が流れ定年退職した後、その遺骨の行方を追いかける話だ。「飛行機雲」は昭和16年の対英米戦争開始直前に、極秘指令を日本から中国の部隊に運んでいた軍人の飛行機墜落と、その後の軍人の消息について。小説家(つまり著者)が調査を進め、軍人の妻は、大陸で生きているのではにないかとのかすかな希望を小説家の調査によって打ち崩されてしまう。

そして短編集の題名にもなっている『帰艦セズ』だが、著者の傑作長編戦記小説である『逃亡』と表裏一体の関係にある。『逃亡』の主人公は、海軍の基地でのちょっとした失敗から米国側スパイの日本人に取り込まれ、航空機を爆破したあと逃走した。見つかれば死刑になるため、偽名をつかい北海道で働いていて終戦を迎える。そしてスパイと言われないように東京郊外に引っ越し公務員の生活を送っていたが、ある日、小説家から「体験を聞きたい」と連絡を受け、動揺するということになるのだが、この『帰艦セズ』は、その戦後まで生き延びた脱走兵が、北海道で海軍を脱走し、数か月の山籠もりの末、餓死した海兵のことを調べ始める。そして、今回も真実に突き当たると、残された遺族に心に大きな傷を与えることになるわけだ。

吉村昭氏の手に限らず、逃亡小説は読み物としては面白いことが多い。というのも逃亡者が逃亡に成功したからこそ作家は事情を聴きとって小説を書けるわけで、失敗した場合、事情を聴けなくなるため小説は書かれないはずだ。本作は逃亡失敗ということで、本来はわからないはずだったのだが、さらに深く調べることにより知るべきではなかった事実を掘り返してしまった。

吉村昭氏の本は記録によると26冊読んでいるのだが、第二次大戦を中心にしたものも多い。その特徴というと、戦前のできごとは、きわめて淡々と書くこと。時に膨大な記録を披露する。一方、戦後の視点で戦前の出来事を書く時は極めて手厳しく批判する。そもそも著者は悲劇的な題材が大好きなのだった。