講演会(エネルギーの過去と未来のはなし)へ

2019-07-24 00:00:18 | 市民A
三週間ほど前に、都心で行われたある講演会に出向いた。『エネルギーの過去と未来のはなし』というお題で、財閥系の総合研究所出身でエネルギー問題の提案会社の方が講演者である。

実は、エネルギー会社にまとまった期間勤めていたので、結構、リアルなオペレーションを知っていて、外の世界からエネルギーの世界を観察や研究している人たちの間違いをよく知っているのでそれほど行きたくはなかったのだが、付き合いも大事だし、たまたま、会場から1ブロックのところに用があったということもある。

一般の庶民が対象の講演会ということで、衝撃の事実をいくつか並べてみると、日本に輸入されるLNG船について、「原油は備蓄があるがLNGは備蓄がない」というような話があったが、LNGはマイナス162度という超低温で運ぶため、輸送中も含め温度と圧力の管理が重要で、基本的にはタンク内の液を減らしていきながら圧力を下げながら温度調整をするという方式。超低温だから備蓄しないというのは、備蓄する気がないからというべき。しかも原油の備蓄と言っても備蓄基地から製油所へ運ぶための中型の原油タンカーは地球上にそうたくさんあるわけじゃないし、そもそも別の仕事をしているわけだ。福一の原発が予備電源の喪失ということで大惨事になったことと同じような問題。というか、備蓄原油というのは、使うことよりも「見せ金」効果のはずだ。

そして2003年のNYの大停電。原子力を含めた電源の多様化という講演の最終到着点に向かう印象操作なのだが、あれは電源が理由ではなかったはず。

ということで、本論に入り、エネルギーの過去ということで日本に限れば石炭の時代がはじまったのが富国強兵政策と一致している。ペリーが日本にやってきたのが石炭船の軍艦だったことがトラウマになり、石炭を燃料とする軍艦に頼ったわけだ(日露戦争の時代)。

石炭と水力に頼った結果、石油資源の開発が遅れてしまう。戦前、日本はすでにイランの油田開発も始めていたのだが失敗。後世思えば満州国の大慶油田とかサハリンには大きな油田があったのに、オランダ領のインドネシアの油田を手早く手に入れようと戦争を始め、破綻。

戦後は、自民党、社会党とも戦争の原因が石油不足にもあるという認識で。原子力発電を推進していくことになった。

ところが、原発の多くは老朽化して、大中小の事故が多くなってきていて、ついに初歩的な安全思想の欠如から福島第一で巨大事故を起こしたわけだ。

本講演の方向としては、このあと太陽光発電や輸入LNGは割高という話になり、結局、原子力を動かした方がいいというところに落ち着き、どうもそういう会だったことに多くの人が気付くことになる。


エネルギーを多様化するべきという主旨なら、太陽光をやめて原子力にするというのは変な話だし、原子力発電の問題は、発電の問題ではなく、まもなく大地震が起きるという時に、原子炉をおくべき安全な場所が見当たらないという問題と、原子力発電でもっとも重要な施設は「予備電源である」ということが認識されているようには思えないこととか、かなり人為的な問題も多いようにみえる。

ところで、日本の原油輸入量の過半量がホルムズ海峡経由ということで、湾岸戦争が始まればパニックになるというのも暴論で、なぜ、中東から買うかというと、近いから運賃が安いということ。どこの会社も好ましい原油を探すためにコンピューターで計算するのだが、1円でも有利な方を選ぶため、アフリカでも北海でもなく中東を選ぶのだが、その差は僅かな数字なのだ。ホルムズ海峡が通れないと原油は高騰するので、そもそも運賃の僅かな差など気にならなくなるはずだ。