もう一つの放浪記『浮雲(林芙美子著)』

2019-07-18 00:00:19 | 書評
林芙美子と言えば事実上のデビュー作である『放浪記』が、その後の彼女に期待された作風を既定していたのかもしれない。『放浪記』は自己の半生をもとに第一次大戦後の世界に広がっていった社会不安の中で底辺を放浪する主人公(ほぼ自分の分身)が描かれていた。

そして大戦を経て、彼女は女流の第一人者として次々に舞い込む出版社やジャーナリズムからの原稿依頼をこなしていく。ただ、それらは小説の長さや筋立ての中に「期待される林芙美子らしさ」を求められ、自作の自由度を制限されていたようだ。その中で持病の心臓病は徐々に悪化をしていったわけだ。

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そしてマイナー雑誌から引き受けた長編小説の中で、彼女の意図する構造の中で、「ゆき子」と「富岡」という生々しい二人の主人公を書き上げるわけだ。それが『浮雲』である。大戦中にゆき子は農林省のタイピストとしてベトナムの奥地に向かうのだが、赴任する道中で、農林省の官吏である富岡と運命的な出会いをするわけだ。その後、二人は現地で関係を持つことになる。

この小説の特徴として、ゆき子も富岡も多情人間として描かれ、三角関係や四角関係が次々に登場するのだが、それらの記述の中に二人のバックグラウンドが挟み込まれ、二人とも過去の男女関係を引きずっていることがわかってくる。なにしろ林芙美子は小説のストーリーが巧いのだ。

そして敗戦。二人は東京に戻るが、富岡は病気がちの妻のもとに帰ったのだが、何しろ仕事もお金もない。ゆき子も富岡にしがみつき妊娠したり一緒に死のうと温泉にいったりするが、ぐずぐずになる。ある意味、どちらもダメ人間なのだが、すべて戦争のせいなのだ。

さらに、別の男たちや女たちが登場し、脇役は次々に病死したり殺されたりして、ついに二人とも首が回らなくなり、富岡は屋久島の森で働くことになり、ゆき子はバイト感覚で勤めていた新興宗教の金庫から現金を着服して富岡に「自称妻」として付いていくことになる。(以下省略)


すさまじい力作である。そして、林芙美子の筆は冴えわたっているように思える。1948年から3年越しに書かれた本作が単行本となったのは1951年4月。その2か月後6月に彼女は他界した。人生のおまけとして、葬儀委員長の川端康成が文学史上有名になった弔辞を述べている。