『007号は二度死ぬ』(イアン・フレミング著 1964年)

2017-12-20 00:00:11 | 書評
今年の読書100冊目。1年を振り返ると経営関係の本をよく読んでいた。もっと小説を読めばよかった。それと、大作を読まなかった。

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さて、「007」といっても映画ではなく、イアン・フレミングによる原作の方だが、フレミングの最後の完成作なのに、映画になるときに、完全に原作は無視された。まったく関係ない筋だ。関係するのは日本が舞台であること、キッシー鈴木というボンドガールが登場すること。それだけだ。

原作は99%が日本を舞台にして、九州にある古城(元と戦った時に使用)に外国人の植物学者が住み着き、世界最高率の日本の自殺希望者をおびきよせて、阿蘇山の溶岩に突き落としたり、毒性植物を使ったりする。思い直して逃げようとしても、捕まえてピラニアの池だ。座間のアパートを予言している。

映画では、米ソ両国が人工衛星を乗っ取られて、お互いに激しく言い争いのだが、人工衛星を捕まえる新型ロケットは日本が一枚加わっているという設営だ。毒薬か人工衛星。

で、圧倒的に映画より小説の方が面白い。ボンドは日本人に扮し、鎖鎌で博士を殺すため忍者訓練を行う。実際、伊賀上野城らしき設営で急角度の石垣を登ることも訓練の一つだ。

また、まったくの勘違いというのもあり、忠臣蔵の浅野藩士らは、警備不十分で主人が暗殺されたのを防げなかった責任を問われ、全員が国元に戻されて切腹した、となっているが、それは桜田門外の変の時の彦根藩士のことだ。だいたい失態で切腹を命じられたら討入りできない。

そういう次々に生じるどたばたにもかかわらず、最後は鎖鎌ではなく宮本武蔵のように長い棒で決着をつける。しかし、ボンドが城に潜入するのは全211ページの159ページ目だ。よほど日本のことを書きたかったのだろう。しかし、小説が1964年、没年が1965年。映画になったのは1967年。原作を基にしても十分に別映画になると思う。