ノーベル文学賞

2016-10-18 00:00:58 | 市民A
ボブ・ディラン氏がノーベル賞候補であるというのは、何年も前から知る人はいて(私も知っていた)、問題は他の賞と違って米国人には厳しい賞で1993年のトニ・モリソン以来受賞者がいなかったことだ。もう一人、候補者の常連が、フィリップ・ロスなのだが、それなら村上春樹の方が上のような気がする。

ディランの詩は以前練習で邦訳していたのだが、段ボールの中なので、確認できないが、最近は、結構俗っぽい詩が多いような気がする。吟遊詩人(アンデルセン)を最近読んだので、シンガーソングライターの仕組みは知っているのだが、西欧人は吟遊詩人を好む特徴がある

で、戦後の文学賞の傾向を列挙すると、

1.人権派が好き
2.なかなか科学部門で受賞できない国への配慮
3.本格的小説家
4.高齢者
5.非白人枠は6年に一回
6.小説家が続くと、時々戯曲家とか詩人が登場
7.米国人が嫌い

といったところだ。

2005年のハロルド・ピンター(英)は、4と6。
2008年のル・クレジオ(仏)は、3と4。
2010年のマリオ・バルガス・リョサは2と3。
そして、2016年のディランは、1と4と6。

そして5の非白人枠だが、
1988年エジプト 1994年日本(大江) 2000年中国 2006年トルコ 2012年中国ということになれば、仮に村上氏が受賞するのは、2018年か2024年といったことになる。

本格小説家+高齢者+非白人枠の年という条件がそろわないとならない。案外、谷川俊太郎氏もあるのかもしれない。詩人で高齢だ。鉄腕アトム作詞者。

ところで、人権とか平和といった分野の小説家は、現代日本にはいないと思える。わずかに、それらしいのは「貧乏」を描くのが得意な作家もいるのだが、貧乏を差別とはあまり言わないし、貧乏本は売れない。蟹工船だって、自分で船に乗ったのだ。奴隷ではないわけだ。

また、平和といっても日本人の生活は平和そのものなので、戦争と平和ということを書いても実感が伴わない。

そう思うと日本人がノーベル文学賞を取りにくいというのは、むしろ好ましいことなのではないだろうか。