月刊「経団連」いただく

2016-10-06 00:00:01 | 書評
経団連の月刊誌を時々いただくことになる。こういう雑誌の存在は知らなかったのだが、誰のための雑誌なのか今一つよくわからない。500円とは今どき安い感じだ。誰のための何のための雑誌なのかよくわからないのは記事の方向性がよくつかめないことにもよるのだが、特集が、

現実空間とサイバー空間の融合による新たな経済社会「Society 5.0」の実現。

keidanren


ということで、さらにわからない。そういうゲームがあるが、関係ないのだろう。どうもドイツの「インダストリー4.0」の次の段階のようだが、ロボット、AI、Iotといった言葉が並び、簡単にいうと全産業がインターネットでつながり、その中心に仮想『神』がいて、考えることはAIで行い、実行するのはロボットになるということのようだ。

人間がいなくなった後の世界をイメージすればいいのだが、人間は70億人もいて、さらに増加中だ。AI化が進んだ場合の各国別失業率というような恐ろしい推計もすでにあるようで、複数の予測は上下に幅があるのだが、米国では20年以内に47%が失業し、日本は49%が失業するというのが一つの数字で、それほどAIは優れていないという仮説では不要な人は10%くらいという説もある。

それで、そういう(悪)夢のようなすばらしい世界に到達するためには5つの壁があるそうだ。「省庁の壁」「法制度の壁」「技術の壁」「人材の壁」「社会受容の壁」。

というか、そんなに壁があったら無理じゃないかと思うが。

ところで、ロボットやAIの研究が進めば進むほど人間との違いが明らかになってきてという話が少し書かれているのだが、頭がごちゃごちゃしてくる話で申し訳ないが、

人間の脳や行動というのは、人間的には合理的でも、人工頭脳的には合理的じゃないということだそうだ。俗な言葉でいうとAIは、「KY(空気読めない)」的なことがあって、絶対的な合理性を追求するのに対し、人間にとっては何が合理的かということ自体の価値観は時間軸やその所属する社会の状況によってコロコロ変わるわけだ。

例えば、小泉劇場のあとにハトポが登場して安部政権に至る構造のどこに合理性があったのだろう。日本はなぜ米国と戦争したのだろうか。共和党はなぜトランプを候補者にしたのだろうか。

もっと身近なところにだって、その時は合理的だったが、まったく状況が変わることなんか毎日、日常的に起きる。科学なんかその歴史だし、人間がAIに頼るだけの社会で、アポロに乗って月面を歩こうなんてことにはならなかったのではないだろうか。

良し悪しは別として、人間が仮定と推測と実験を組み合わせて原子核の構造とか量子の重さとか考えたことをAIは再現できるのだろうか。病気の判定と治療法の選択はできても新しい治療法は新薬の発見とかAIで到達できるのだろうか。

例えば自動車の自動運転化が進んで、かなり部分的にはできあがっているのだが、究極としては運転席に座って目的地を入力すると、あとは眠っていて、自動的に目的地に到着すると起こしてくれるシステムが到達点なのだろうが、それって「タクシー」ってことであるわけだ。