みすゞ(映画 2001年)

2016-10-26 00:00:00 | 映画・演劇・Video
金子みすゞの映画である。こども時代に育った仙崎(長門市)を離れ、下関の祖父の家に移り住んでから、26歳で亡くなるまでの伝記である。正確にいうと、自死に至る前日の夜までを描いている。

主演は田中美里、監督は五十嵐匠。金子みすゞについては、松たか子や上戸彩がテレビドラマでも主演している。実際にみすゞの人生のあらすじを知っているので、かなり悲しい人生の結末について、観ていて少しずつ気が重くなっていく。

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数々の新鮮な視点での詩を書き、西条八十に見いだされ、新進文学者として立つコースにいたにもかかわらず、祖父の家業(文具店)を引き継ぐべき後継者(実弟)が軟弱で、番頭と結婚することとなる。そして、その番頭が放蕩に走り、祖父から追放されることになる。みすゞは愛娘を引き取り、離婚したものの、東京に行った元夫は、娘の引き渡しを強烈に要求し、彼女は抵抗する(あるいは諦めたのか)ため、娘の教育を祖母に託し、自死を選ぶ。

結婚生活は不愉快そのもので、夫は詩を書くのを禁止し、みつからないようにノートに走り書きしたものが後に発見される。それでは「歌を忘れたカナリヤ」ではないかと思い、作詞家を調べると西条八十。西条がこの詩を書いたのはみすゞが結婚した時期に当たるので、その関係については、調べてみたいというか、誰かに調べてもらいたい。

映画が公開された2001年の段階では、まだ十分な研究がなされていなかったのか、特に新たな発見はなかったが、映画を機に冷静に考えると、金子みすゞの墓が仙崎の金子家の墓であるということは、彼女の骨は下関ではなく実家に戻ったことを意味していることがわかる。

さらに調べていると、彼女が守ろうとした娘(上山ふさえさん)は、一時、放蕩夫の元に引き取られてしまうのだが、祖父がなくなり跡継ぎがいなくなり窮余の策として放蕩夫は下関に戻り、この段階で祖母と同居することになる。ところが、経営能力のない上山某は、経営破綻させてしまい、一家は困窮。ふさえさんは若くして結婚し、娘を出産するのだが、ビデオ再生のように夫と不仲になり離婚することになる。

しかし、金子みすゞの再発見後には、活躍することになり、母の原稿の整理や出版、記念館の竣工式や記念碑に関する事業などで、熱弁をふるわれている。

確認できた最も近い時期では2015年の12月に仙崎にみすゞのブロンズ像が立った時の除幕式に参加されている。89歳ということで、女性の平均年齢を超えたところだが、かなりお元気そうである。

ふさえさんの歴史を見ると、娘さん(つまり金子みすゞの孫)がいることになっているのだが、その方もいずれ登場することになるのだろうか。

ところで、上に書いた完成間もないブロンズ像だが、台座の裏側には、思わぬ人の書が彫られている。

 みんなちがって
  みんないい

   内閣総理大臣
    安倍晋三 筆

2016年12月に予定されているロシア大統領との長門市での首脳会談の後、披露するのだろうか。みんな=四島。違って=四島はそれぞれ別のプロセスで。みんないい=それでいい。

あまり文学者を政治利用してほしくないのだが。


ついでに、仙崎(長門市)は、終戦後、短い期間、海外残留邦人引揚港であった。しかし、今回の首脳会談の後には、うかつにもロシア大統領に、シベリア抑留者で日本に返してもらえなかった30余万人の話を出したりしない方がいいだろう。決まったことも破談になるかもしれない。ナホトカ港から抑留者が帰還するまで都合10年もかかったのだが、大部分は舞鶴港(一部函館)で、上陸している。

さらに言うと、仙崎への帰還船は、大陸(中国、韓国)から日本への帰還船というだけではなく、意に反し日本にいた人たちの朝鮮半島への帰還船でもあるわけだ。