宇宙ステーション・ミール

2015-06-19 00:00:05 | 美術館・博物館・工芸品
苫小牧観光の一つの目玉が、宇宙ステーション・ミールの展示。

なぜ、苫小牧に宇宙ステーションがあるのかといえば、極めて簡単に言うと、苫小牧は日本の宇宙開発の拠点になるはずだったからだ。事実、地上実験場とかあったのだが、今はなくなったようだ。例の有名民主党議員が片付けたのだろうか。一般的には片付けは重要だしね。

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それで、宇宙ステーションだけに、大きいともいえるし、小さいともいえる。ソ連製だ。

船内に入ると、外見と異なり、かなり狭い。特に、宇宙飛行士のための個室は、驚異の狭さだ。電話ボックスより狭い。向かって左側の壁がベッドだ。つまり垂直だ。立って寝るというかベルトで固定するわけだ。やはり浮遊状態では眠りにくいのだろう。まあ、潜水艦にも艦長以外は個室がないようだから似たようなものかもしれない。

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しかし、地下鉄博物館みたいな感じで、宇宙船に乗れるというのは、ちょっとうれしい。


ところでこのミールだが、本物でもあるし、本物でもない。

つまり、代替機として2機作られたうちの一つ。なぜ代替機が作られたかと言うと、ソ連の宇宙船は、よく失敗するからだ。ガガーリンだって、宇宙周回中に軍人としての階級の昇進が伝えられたのは、帰還に失敗する可能性が高かったからだし、ソユーズ1号は地上に激突。発射台の上で爆発してたくさんの犠牲者が出たこともある。

ところが、ミール1号機が無事宇宙空間にとどまることができた以上、2号機は要らなくなる。そして、ソ連末期の金欠状態で、世界巡業展示即売会が始まったわけだ。そして、日本にきたときに「買い」が入った。1989年。ここからバブルがはじける。

まず、宇宙関連企業の「堀江企画」が買い、岩倉組に転売。その後、苫小牧市に寄贈される。

そして、本物のミールは、その後、活躍を続けたものの、2000年頃には御用済となり、新たな買い手を探したものの見つからず、南太平洋上空に突入し、処分された。

で、「堀江企画」とは、もしかして「あの堀江氏」のことかと思って調べてみると、1989年には、まだ17歳で、東大教養学部に入学するために、必死に偏差値の上積み作業に没頭していたようだ。つまり無関係。

しかし、北海道での講演会の時に、2000年頃にミールの本物の方の購入候補になっていたと語っている。その時は20億円。まあ、地上に持ってくることは難しいので現場渡しということだろう。当時、アストロリサーチという会社を保有していたようだが、結局購入見送り。会社の方も2006年に燃え尽きる。

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ミール展示場の隣は科学館があるが、ロケットではなくヘリコプターの展示品に乗ることができた。もちろんプロペラがついていないので、どこにも動けないのだが、機内にはなんとなく不安感が漂う。操縦席には大量のメーター類があって、案外、もっとも操縦の難しい乗り物なのかもしれない。今まで、一度もヘリに乗ったことはないが、これから乗ることはあるだろうか。高いところは好きじゃない。