青鷺は何のサイン?

2015-06-10 00:00:46 | 市民A
倉敷の郊外にあるロードサイド天ぷら店に鱧(はも)の天ぷらを食べに行く。店の隣は水田なのだが、巨大な鳥が無造作に立っていた。あまりに動かないので、カラス除けかと思ったのだが、よく見るとわずかに動いている。

さっそく撮影しようと思ったのだが、こういう時に限って一眼レフは手元にないし、デジカメもない。1200万画素のスマホで望遠撮影するが、逆光が少し入る。片足なのは、足を一本失ったからなのか、単に一本の足で立っていたいからなのか、判断つかない。

こういうのを白鷺というのかと思うが、白一色ではなく何色刷りになっている。確か、田螺とか蛙とか小魚を食べるのだろうが、何かエサを探すそぶりもない。

sirosagi


そして、天ぷらを沢山食べてから店を出ると、すっかり忘れていたのに、まだ元の場所に立っていた。今度は二本足でだ。つまり、足を失っていたのではなかった。この段階で、テロで片足を失った後に文字通り失脚した大隈重信元首相のことでも書こうかと思っていた計画は挫折した。

そして、帰宅後、画像の鳥を調べると、白鷺ではなく青鷺だった。やはり主食は水辺の小動物。そして最近、全国的に目撃情報が増えているそうだ。

ということは、青鷺の生息数が増えてきているのか、あるいはクマさんと同様に、エサの小動物が減少して、人家に近いところまで現れて、天ぷら屋の残飯を狙っているのだろうか。

そのあたりを探っていたら、とんでもない話が日本の歴史書の中にあるようだ。

吾妻鏡(あずまかがみ)。東鑑とも表記される。

鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの、幕府の事績を編年体で記している。

その中で、建保3年8月21日、22日、11月8日の条に、「鷺の怪(さぎのけ)に会う」という記述があるそうだ。御所に集まった鷺が鳴くのを、地震の兆しと捉えていたそうだ。どうもその頃、大きな地震が相次いで発生しているようだ。

8月21日 戊申 晴 巳の刻、鷺御所西侍の上に集まる。未の刻地震と。 8月22日 己酉 霽 地震・鷺の怪の事、御占いを行わるるの処、重変の由これを申す。仍って御所を去り 相州の御亭に入御す。信綱御劔を持つ。亭主は他所に移らると。


しかし、鷺が集まることと地震の関係を合理的に説明しようとすると、やはり水生の小動物のことがミッシングリンクになるのだろう。昔から有名なのは「ナマズ」。鷺の大好物だ。それから蛙や小魚。海の動物よりも地殻の僅かな変動を感じやすいだろう。それで危険を察知して大騒ぎする小動物を食べるために鷺も大騒ぎになる。

そして、・・・

さらに、この建保3年だが、西暦でいうと1215年である。つまり800年前だ。

まあ、いずれやってくるその日には、青鷺のようにどこかに高飛びしたいものである。さらに、その前日までにバブルで膨れ上がった日本株を換金しておきたいものであるが、頭の黒い鷺になってしまう。