敗者と勝者の神社が並ぶ(2)

2015-06-09 00:00:51 | 歴史
次に、「吉備津彦神社」だが、こちらは勝者である大和朝廷から遣わされた吉備津彦命を祀っているのだが、吉備津神社よりは新しいとされている。場合によっては1世紀以上違うのではないだろうか。

おそらくは勝者の大和朝廷は、温羅(うら)を征伐して、念のため吉備津神社で怨念を抑え込んだと思っていたのかもしれないが、抑えが足りないと思ったのかもしれない。吉備津神社という形態で山を一つの神体と解釈し、さらに山の入口に吉備津彦の側に立った吉備津彦神社を作ったのではないだろうか。二重鍵方式だ。

kibitu1


こちらの神社は明治政府からの庇護も篤かったようで、全体に明るく、近代性すら感じるようで「陽気」ということになるだろう。本殿はかなり大きいのだが、現在は修復中で白い幕の中にある。

初宮参りの家族もいたが、それは当神社の専門分野らしい。朝廷の側に立った神社であるからして、ここで初宮参りを行うと公務員になる可能性が高いのかもしれない。というか。公務員のこどもの初宮参りはここが多いのだろう。

kibitu2


ところで、桃太郎だが、鬼ヶ島に鬼を退治にいくのだが、吉備地方には島はない。内陸だ。その代わりに「鬼ヶ城」という正体不明の山城がある。

考えて見れば、川で拾った桃から生まれたということは、山間部に住んでいたわけで海で一暴れするのは、やや違和感がある。家来にしたキジ、サル、イヌにしても海で戦うのは苦手のはずだ。家来にするならカモメとかイルカとか海亀だろう。「浦島太郎」伝説には海洋生物がたくさん登場するのだから、カモメが出てきても驚かない。それだと吉備団子ではなく新鮮な魚を就職支度金に渡さなければならないだろうが、そういえば「きびなご」という名前の小魚がある。小さいながら刺身で食べる。ますますわからなくなる。