なにわ歴博は想像以上

2013-12-15 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
大阪歴史博物館には、たいして期待していなかったのだが、いざ行ってみると、内容がかなり充実している。江戸東京博物館は建物は立派だが、なにしろ「歴史」的には、江戸が華やかだったのは、徳川家康や一歩譲っても太田道灌から。一方、大坂の歴史は難波宮からだから、日本の古代政治につながる。

もともと難波宮というのが、有名じゃないのは、実在そのものが半信半疑だったせいだ。日本書紀に記載されていたものの、所在地不明だった。それらの実在が遺跡という形で発掘されたのは戦後のこと。

聖徳太子が亡くなった後、蘇我氏の勢力に対し、乙巳の変というクーデターがあり、大化の改新につながっていくのだが、その時に登場した都が(前期)難波宮。そのあと大火災になり都は灰燼に帰す。

しかし、奈良時代の最後の方では、複都制が導入され、再び大御殿が建つことになる(後期難波宮)。そして桓武天皇は、長岡京に総まとめしたあと、平安京(京都)に都を集約することになる。

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その難波宮の跡地に立つのが、二つの大きなビルで、NHKと大阪歴史博物館。博物館はともかくNHKには圧倒される。もしかしたら東京に直下型地震が来て、壊滅したら大阪を臨時本社にして地震情報を流すつもりかもしれない。「ほんま、あきまへんな。早う、逃げなはれ。」とか、・・

そして、博物館に入館すると、10階までエレベーターに乗り、順次、下の階に降りていくことになる。10階には大宮殿があった。これが難波宮である。江戸博には存在しない古代都市だ。

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そして、次の時代は、本願寺の時代。織田信長と戦い、数千人が全滅した。世界史的にも巨大な宗教戦争である。これも同じような場所。そして、色々あって大坂は徳川幕府の重要拠点として商業の街に変わっていく。結構、一つの町の歴史としては、スペクタクルだ。

そして、幕末には大塩平八郎の乱があり、大坂の何分の一かが焼失。資料をみるとかなり大がかりに武器を使用したようだ。226事件並だと思う。

個人的には、大塩平八郎の乱以降、幕府は浮足立ち、折からの外圧もあって、日本が騒擾状態に突入していったと思っている。

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そして、明治になり、この博物館で触れられていないいくつかの問題があり敗戦。そして戦後の復興となる。東京では「銀ぶら」という言葉があり銀座通りの散歩という時間つぶしが流行ったのだが、大阪では「心ぶら」が流行ったそうだ。「ぎんぶら」と「しんぶら」。どちらが本家でどちらがマネなのだろうか。よくわからない。

しかし大阪という町、もし自分が、20歳代の中盤あたりで、在阪の大学で「大阪学」でも研究していたら、楽しかっただろうな、と思うが、「都市」として研究するようなものではないのかもしれない。