王将の頓死

2013-12-20 00:00:43 | 市民A
王将フーズ社長が襲撃者により惨殺された事件で、すぐに連想したのは安政7年(1860年)3月3日に江戸城桜田門の前で起きた井伊直弼襲撃事件。桜田門外の変である。

一部には、早朝に待ち伏せされたのは犯人が社長の行動パターンを知っていたのではないかと報道されているが、実際、社長が毎朝、6時半頃から本社の前を掃除していることは、以前から報道番組などで紹介されていたということらしい。「掃除をする社長」として有名だったようだ。だから特に内部の人間でなくても、社長の行動パターンは明らかだったわけだ。

一方、井伊直弼も井伊邸(今の憲政記念館)から江戸城までという極めて短距離の通勤途上を襲われている。襲った方の水戸藩士はずっと遠くの愛宕山に集結してから犯行に及んだわけだから、見込発進のわけだ。井伊直弼が時間に正確だったからこそ成り立つわけだ。

そして、両事件ともピストルが使用され、被害者が動けなくなったところを刃物で斬りつけている。

井伊直弼の事件の裏には諸説があるのだが、その中の一つには野田で作られていた醤油の原料の大豆について、井伊直弼の圧力で、それまでの水戸産から彦根藩領だった下野佐野産に変わったことに対する恨みという説がある。今回の事件では、餃子の材料に関する問題があるのだろうか。あるいは、店内でふざけたためにバカッターとして将来を失った元バイトとか関係があるのだろうか。


とりあえず、私の場合は、恨みを持たれている人は浜の真砂の如く数限りなくいるのだろうが、幸運なことに生活不規則の極みにつき、先の行動を読まれることはないようだし、毎日の忘年会で、自分の部屋の掃除だって行き届かないわけだ。

(以前、自分の行った場所に、しばらくすると事件が起こることが続いていた時期があり、なんとなくこの前京都に行ったことを思い出す。その後、行った場所は名古屋、大阪、神戸三宮とかかな)