太平洋海戦史(高木惣吉著)

2013-12-26 00:00:36 | 書評
まず、本著の著者である高木惣吉氏だが、海軍少将だった。海軍兵学校を首席で卒業。実際には戦場で戦うよりも軍政を担当していたのだが、どうにもこうにもならない太平洋戦争の末期、昭和19年には、東條英機の暗殺を計画。海軍から持ち出した機関銃で、首相の車を包囲し、一斉に銃撃する予定だったようだ。しかし、直前に東條内閣が自壊してしまい、決行の期を逸した。(本人によれば、暗殺が成功しても海軍と陸軍の決定的な対決を招き、さらに終戦が遅れただろう、とのこと)

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戦後は、軍事評論家に転身し、1979年に85歳で他界している。

戦争については、実際にインサイドにいた人たちの多くが口を閉ざしているが、彼は特に海軍サイドからみた戦局の推移を本著に記している。物資の不足、米国に対する研究不足、レーダー技術の遅れに気付きながらも開発が遅れたこと。戦局の途中で、陸軍を縮小し海軍と空軍(新設)の強化が議論されたにもかかわらず、漫然と決断しなかったこと。

戦場で幹部の多くが、攻撃の時期を見失って勝機を失っていったことを、人道主義とは全く異なる視点で分析している。

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戦争の末期において、海軍は沖縄戦に海陸の力を総動員して、「最後の一戦」として戦うべきといって、陸軍は本土決戦を主張し、それぞれの力を統一することができなかったというのが自説のように感じた。実際、そうだったのだろう。

本書を読んで、さらに『大本営』という組織の構造は、どうなっていたのだろうと思い始めているところだ。

結局、ミッドウエー以降、戦局逆転のきっかけは訪れなかったのだが、真珠湾の一撃の後、戦局有利のうちに講和条約を結ぼうという楽観的戦略自体が、米国人の本質を見誤っていたということなのだろう。


仮に、日本が次の戦争に巻き込まれた場合、前回と同様の愚策により国土の全部または一部を失ったりしないように願うしかないのだろうか。