我、思わざるを思う。ゆえに我あり。ゼロからの出発。

2012-04-25 00:00:57 | 市民A
たまたま、『JAPAN2012』というDATA BOOKを読んでいて、同時に神戸女学院大学名誉教授の難波江和英氏の『思考のリフォーム』という哲学系(哲学以前系?)の本を読んでいたのだが、ネットで配信された「きゃりーぱみゅぱみゅ」さんの『大学生活に未練』という記事を読んでいて、「ああそうか」とひらめくところがあり、哲学以前、社会学以降的に考えてみた。

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モデルで歌手のきゃりーぱみゅぱみゅ(19)が22日、東京・渋谷109前で行われた記念イベントに出席。同世代の友人と話した際に「大学の話を聞いたらすごく楽しそうで。私も行けるもんなら行きたかったんですけど、ちょっと頭が悪くて…」とキャンパスライフに未練を感じさせ、学生生活に「興味はあります」。もし進学していたら「服と音楽が大好きな普通の学生だったと思います」と語った。


注目すべきは、この部分の発言。

私も行けるもんなら行きたかったんですけど、ちょっと頭が悪くて…

まず、言っておくと、どんな大学でもいいと割り切れば、今や大学全入なのである。多くの大学では高校三年の10月頃から、あれこれの方法で入試を繰り返し行っている。何しろ、定員を大きく割り込む大学がたくさんある。入試問題も結構インチキ臭いのが多いのだが、だいたい落とす気が無いのだから、論ずるに値しない。

ある調査では、この10年で世界の平均IQは2から3ポイント上がったというのだが、日本じゃ下がっているに決まっている。ゆとり教育というのを考えたのも教員たちだが、その結果、知識ゼロの学生が大学の教室に座るのだから、教員も楽じゃない。

「ゼロからのスタート」ということになるらしい。

デカルトは、我思う故に我あり、と言ったのだが、世界のことをほとんど知らない自分の存在に気付くところから、自我を認識し、学習が始まるということが基本なのだろうが、今の日本の大学は、「何も知らない上に、何も知らないことがわかっていない上に、何も知らない自分という自我にさえ気付いていない」という三段階的無知という濃い霧に覆われたキャンパス、ということになっている。

有名にならないと学生が集まらないため、手っとり早くスポーツ振興を始め、学費無料学生を乱発した結果、やはり経営難に陥った女子大もあるらしい。

ということで、きゃりーぱみゅぱみゅさんの考え方と言うのは、「一流大学に行きたかったものの、勉強する時間がなかったので、いかなかった」ということだろうし、「ちょっと頭が悪い」ということばの裏側には、「もっと頭が悪いのに、頭の悪い事すら自覚していない学生と一緒にしてほしくない」という気持ちが含まれているのだろうと思うわけだ。


ところで、大学進学率だが、DATA BOOKによれば日本は58%。韓国は94%。米国は54%。ドイツは25%だそうだ。ドイツではサッカー選手が多いのだろうか。合理性の国だから、「無駄なこと」はしないのだろうか。