旗本御家人2 幕臣たちの実像(下)

2010-04-21 00:00:50 | 歴史
次に、永年勤続表彰のこと。現代でも公務員の職場は安定しているが、それでも定年はある。あまり、公務員とは友人関係にないのでよくわからないが、65歳位なのだろうか。民間は60歳のところが多く、65歳に向けて努力中といったところだろうか。

ところが江戸の国家公務員というか幕臣たちには、定年がなかった。自ら退職を願い出るまでは勤務してよかったわけだ。さらに60歳になれば、許可を得て、駕籠で江戸城まで通勤することも認められていた(たぶん交通費は支給されないのだろう)。



しかし、永年勤続表彰のことを、「老衰御褒美」と呼んでいた、ということになると、ちょっとしたブラックジョークだ。中には、70年間勤続という表彰も記録に残っている。「極老に至るまで70年勤務した」と、評価され、銀十枚が下賜されている。幕末の幕府軍の歩兵の中には75歳以上のものも相当数含まれていたそうだ。

そして、役人の中には、天下の重罪といったものもいる。その代表が、高橋景保。幕末のシーボルト事件で、シーボルトに日本全図や樺太図を手渡したことが、オランダへ送る積荷の中から地図が見つかったことで露見する。個人的に許せないのは、日本全図は伊能忠敬、樺太図は間宮林蔵が決死の覚悟で完成させたものなのだが、個人の知識欲のため、無造作に流出させたこと。



この展示会には、シーボルトが持っていた樺太図の精密コピーが展示されているが、それよりも捕えられた高橋景保が、獄死したあと、お裁きのため、死体を塩漬けにされた時の塩漬け方が詳しく記録されている。塩の中に埋めるだけではなく、口と尻の穴から塩をどれだけ詰め込めばいいかとか残酷な記載が書かれている。さらに、大きな甕の中に塩に埋めるように全身を入れ、時々点検のために塩を掘って、頭を確認するように指示が出されている。確認する役人もご苦労なことだ。


次に、幕臣の結婚のこと。結構、夫婦ともに離婚や再婚が多かったようだ。

原因の一つは、「幕臣(旗本・御家人)の妻の座」というのは、国家公務員の妻ということで、女性にとってはステータスだったようだ。一方、男の方は、身分が高くなればなるほど、付け届けのような交際費が必要になり、金欠気味だった。

そのため、幕臣の妻の座と引き換えに「持参金制度」になっていたそうだ。愛情や釣り合いというより、単におカネ。もちろん、だからといって夫婦に仲がうまくいかないと決めたものではないが、確率的には破綻しやすい。そうなると離婚なのだが、男性にとって困った問題があった。離婚の時は、持参金全額返済だったそうだ。そうすると、すぐに借金生活になる。それでは困ってしまうので、すぐに持参金を持ってきてくれる次の妻をさがすしかなくなる。一方、離婚した妻の方も、とりあえず持参金が戻ってきたので、それを枕代わりに、次の金欠幕臣のもとに嫁ぐわけだ。