大山崎山荘美術館、やや微妙

2010-04-04 00:00:08 | 美術館・博物館・工芸品
関西には土地勘がないのだが、特に京阪神地区は、歴史のふるさとである。あちらにも遺跡、こちらには城跡、そちらには合戦場とか・・

そして、大阪と京都の間にある「山崎」という場所は、「山崎の合戦」といわれる明智光秀と羽柴秀吉による、ポスト信長争いの場として有名だ。そして、そこにある天王山の中腹で合戦が行われたはずだ。

また、山崎といえばサントリーのウイスキー工場でも有名だ。さらに、最近、アサヒビールの大山崎山荘という美術館が評判になっている。

それらのイメージからして、かなり山里離れた場所に美術館があるのではないかと、錯覚していた。さらに、HPには送迎バスの時間が掲示されていて、いかにも遠そうだ。

そして、ついにJRの山崎駅で降りてみたわけだ。別に遠いわけじゃない。京都から10分ほどのところだ。慣れない駅でまごまごしていると、送迎バスが行ってしまった。

時間的に、次のバスを待つことができない。近いのか遠いのかよくわからないが、10分ほどで着きそうなので、歩き始める。



すると、すぐそばだった。もっとも私の「すぐ」は徒歩30分、標高差100メートル以内のことだから。心臓のスペアが欲しくなった。


それで、このクロード・モネを中心とした朝日麦酒創業者の山本為三郎コレクションを堪能することになるのだが、なぜ、アサヒビールとサントリーの工場が天王山の合戦みたいにニアミスしているのか、後で調べると複雑だった。それは、もう一つのキーである加賀正太郎氏という実業家が関係していた。

この加賀氏は、サントリー(寿屋)のスポンサーの一人で、山崎にあるサントリーのウヰスキー工場を立ち上げた一人だったそうだ。そして、近くに山荘を買ったわけだ。ところが、ウヰスキーの醸造に関してサントリー首脳陣と考え方が一致せず、別にニッカウヰスキーを立ち上げる。

そして、いつしかニッカはアサヒビールの子会社になり、荒廃していたこの山荘の修復にあたり、山本コレクションを抱えたアサヒが、美術館として再利用することを思いついたわけだ。



さらに、旧館とは別に、安藤忠雄作の、地中型美術館があって、そこにモネの睡蓮が何点か展示されている。どうも瀬戸内海の直島にある『地中美術館』の試作品みたいに感じてしまう。また、どうも旧館と新館があまりにもデザインに親密性がないため、ちょっとまとまりに欠ける。

目玉商品のモネの睡蓮の連作だが、描かれている色調や構図、池の水の色などから、かなり短期間に連続して描かれたものと推測できる。まあ、いかにもモネである。



庭園にもさまざまな彫刻が展示されている。桜と兎。こののどかな風景の中で、天王山をめぐる激しい攻防があったのだろう。