下天を謀る(上・下)安部龍太郎著

2010-04-08 00:00:45 | 書評
歴史小説である。一般にあまり人気のない藤堂高虎の人生を追ったもの。



一般に人気のないのは、彼が7回も君主を変えたことから、ようするに権力になびき、武士道の風上にもおけない、と考えられているからで、歴史上の人物を白黒つけようという、有名歴史小説家のせいである。

おそらくは、NHKの大河ドラマでも秀吉や家康を描くときには、ちょいちょい登場して、忍者を使ったりして、さらに人気を貶めている。

ところが、ある意味、藤堂高虎と伊達政宗(こちらも人気がない)は、武将としては一流だったのだが、歴史に登場したのが20年(いや10年か)遅すぎた。駅のホームについたら新幹線のドアが閉まりかけていて、あわてて16号車に乗って、1号車まで車内を歩こうとしたが、もはや空いている席がなかった、という感じだ。

で、ある意味、本書は安部龍太郎による高虎の名誉回復のためのものなのだが、かなり小説らしくフィクションが仕込まれている。歴史小説の常として、限られた歴史上の史実を、歴史をゆがめることなく、培養して大げさに書くことが多いが、本書では、フィクションっぽい場面を史実らしい記述が、いかにもわかりやすい。

安部氏は、「高虎が主君を次々と変えたのは、高虎の理想としっくりくる主君が少なかった」という理由をあげている。

その彼の政治家としての理想が「下天を謀る」。

下天とは民衆の生活のこと。その民の生活の安定を求めていた彼にとって、秀吉の弟であり、若くして亡くなった豊臣秀長と徳川家康の二人こそ、この下天を謀る武将だった、と結論を出している。

まあ、そういうことだったのか、真実はもっと複雑だったのか、よくわからない。

よく言われるのは、高虎は家康の参謀といわれながら、本人は家康から信頼されていないのではないか、とずっと疑っていた、というのは、本書では否定されている。また、関ヶ原の戦いの前に、西軍側の何人かの大名の裏切り工作を彼が画策していたというのも、本書では書かれていない。

そして、大坂夏の陣で、江戸幕府の長い平和時代が始まるのだが、高虎の仕事もそこまでが記されている。事実は、その後も家康の参謀として、上野の山に屋敷を構え、さらに家康が駿府(静岡)に引っ込んでからは、静岡駅の近くに屋敷を移している。そういうゴマすり行為で、さらに現代人は彼を嫌う。

ただし、「潔い」とか「武士道」とかいうのは、平和の時代になってからの「思想としての武士」ということであり、実在の戦国武将の誰にも当てはまらない特殊な宗教なのであるのだろう。

家康の最期にあたり、「わしは天台宗で、そち(高虎)は日蓮宗。冥土は別になる」と言われて、その場で天台宗に改宗するところなど、まあ賛否両論なのだろうか。