縄文の思考(小林達雄著)

2010-03-03 00:00:16 | 書評
jomon超労作である。

縄文時代に生きた人たちの視線に立ち、考古学を超越して彼らの残した痕跡からその生活や思想、さらには信仰まで思いをめぐらせる。

現代日本では明治以降の中央集権的思想によって、封建制度のルーツである弥生時代から続いている現代の王権とそのピラミッド社会の中で発生した文化を総称して『日本文化』としているのだが、弥生時代とは大きく異なる社会である縄文時代人あるいはアイヌ人の文化をもって、『源日本文化』と考えている。

例えば、縄文式土器。

岡本太郎も縄文土器を見て、高い芸術性を感じたのだが、普通に使われていた土器にも、まったく使用上無駄というよりも邪魔になるような大きな装飾された突起が付いている。もはや器ではなく、芸術である。その後、日本ではシンプルな実用陶器の世界に向かう。

さらには、住居の中におかれた『炉』。実は、この炉も食料加工用にはほとんど使われていなかったらしい。調理は屋外だった。では、炉は何のためにあったのか。

一家の象徴ということだそうだ。何世代にもわたって囲炉裏の火を消さないという文化は、ごく近くまで日本に残っていた。

そして、祭壇。

一体、誰に何を祈っていたのか。

さらに、犬と猪。

明らかに飼っていたようだ。ただし、犬は人間とほぼ同格として、愛玩の対象ではなく、仲間として価値観を共有していた。猪は食用だ。


一般に、縄文時代を追いやるようにして弥生時代が到来したかのような説が多いが、今をときめくアングロサクソン系の人たちは、まさに縄文時代人と同じような生活を過ごしていたのだろうか。