「中原中也との愛(長谷川泰子)」

2010-03-29 00:00:25 | 書評
今年は、なかなかいい本に恵まれている。



本書は、文芸評論家村上護氏が長谷川泰子のインタビューを基に、若干の研究を加え、1974年に出版された単行本を34年後の2008年秋に角川ソフィア文庫として文庫化されたもの。1974年の上梓の時、泰子は70歳。1993年、鎌倉の老人ホームで亡くなっている。88歳だった。

では、長谷川泰子とは誰なのか。



ごく、短く日本文学上に残る足跡を綴ると、こういうものだ。

1904年、広島県に生まれ、女優になるため家出。京都で16歳の中原中也を知り、同棲して上京後、中也の友人小林秀雄と同棲。小林と離別後松竹キネマに入社。「グレタ・ガルボに似た女性」で注目される。1993年、88歳で死去。

と簡単すぎる叙述であれば、熱烈な中原中也ファンからは、「中原を捨てた女」「中也の人生を破滅させたために、彼は早死にしてしまい、結果として、愛すべき中也の誌が少なくなってしまった」とか、要するに悪女にされている。実際、老境に近づいて生活に苦しむ彼女がビル清掃員として働いているところへ脅迫者まで現れている(逮捕された)。

一方、小林秀雄にもファンはいるだろうが、「熱烈な」というようなタイプではないだろう。

そういう、文学史上の「大事件」の当人なのである。

もちろん、女性の弁明をそのまま信じるかどうかは読者が決めることだろうが、彼女が文学史上に「文壇関係者」として登場する他の女性とは、大きく異なるのは、彼女が「文学作品を書かないにもかかわらず、文壇の中央を泳いでいた」ということだ。単に「太宰の愛人になって心中の道連れになった」というのとは知的レベルが異なるわけだ。

だから、本書は、裏返しの中原論でもあり小林論でもあり、さらに大岡はじめ多くの文学者の実像が書きこまれている。

長谷川泰子の名誉のために書いておくと、「中原を捨てて、小林も捨てた」ということではなく、「中原と別れて小林の元にいったものの、小林が逃げた」ということらしい。

小林が去ったあと、中原とも交遊は続いていたのだが、それは彼女が中也の中に、文学の創造力を見ていたからで、それが中也の葬儀の時の「大泣き」になったということだそうだ。

つまり、長谷川泰子は、世界中でもっとも熱烈な中也ファンであり、それを中也が少し取り違えていたのではなかったのか。

そんな感じが妙に読後に残る。


ある意味、本書は、20世紀の日本文壇の中で壮絶に生き延びた「文壇放浪記」なのかもしれない。


ところで、彼女は小林と別れた後、山川幸世(築地小劇場の演出家)との間に長男茂樹を産んでいる(1930年)。その後、茂樹を連れ、実業家と結婚。実業家がスポンサーになり中原中也賞を創設。(実業家の経営難で3回で終了)

その後、世界救世教に入信していくのだが、長男の茂樹氏は存命ならば80歳。彼の人生のドラマも少し知りたい。