名人戦の「ふるえ」

2010-03-13 00:00:32 | しょうぎ
第68期名人戦が近づいている。

A級順位戦リーグは最終局まで挑戦者が決まらない混戦だったが、三浦八段が7勝2敗で年間対局料1億円超の羽生名人への挑戦権を獲得した。将棋連盟のHPには三浦八段の年間対局料が、第13位の1,598万円と記載されている。約7分の1である。

A級での三浦×羽生戦は過去1勝5敗と散々だが、22歳の時の棋聖戦で羽生七冠の一角を崩したことが有名である。

もっとも、「羽生に一手詰を決めた男」木村八段とか、そういう肩書きをつけられると、その肩書からなかなか逃れられないのが、この業界の常のようなので、「七冠崩しの三浦」から脱出するためにも、是が非でも名人のタイトルは欲しいところだ。

というか、誰でも名人になりたい。五期名人位に就けば「永世名人」という大称号に格上げになるのだが、棋士のほとんどは、そこまでは夢を見ないものだろう。普通は「1期だけでも名人になりたい」ということだろうか。例えば、名人になったとたんに、翌年の防衛をあきらめ、講演会の大安売りで蓄財活動をはじめたりする場合もある。

しかし、その「一度でも名人になりたい」という欲望が、タイトルを守る方からすれば付け目になるわけだ。挑戦者のいわゆる「ふるえ」である。通常数十手先まで読める達人が、1手先が見えなくなる。有名なのは、大内八段が中原名人へ挑戦した34期名人戦7番勝負。名人へ、あと数手で間違える。35年後、今期ついにC2クラス3度目の降級点に泣く。

実は、名人戦7番勝負が4勝3敗で決着したのは、過去15回ある。つまり、3勝3敗になった回数である。挑戦者に最も「ふるえ」が発生するケースである。

15回のうち挑戦者が4勝目を取って名人位奪取したのは、僅か4回である。4勝11敗。千秋楽に7勝7敗の力士のほとんどが勝つ相撲とは正反対だ。

meijin50終盤の最後に「ふるえ」が出た大内八段とは別に、中盤の大優勢が、一手の心理戦を境に大崩壊していったのが1992年の第50期名人戦の高橋道雄八段。中原名人に挑戦し、3勝3敗と善戦し、最終第7局に至る。

この頃、中原名人は、私生活では、こっそりと小さな満足に陥っていたことが後で判明するのだが、この将棋では、序盤での横歩取り3三角戦法が空振りに終わり、飛車の往復運動で手損に至り、駒組負けになる。(この後、中原玉という名前の空中戦を開発していくのだが、もしかしたら発明者は「林葉玉」だったのかもしれない。)

67手目まで進んだところで、先手が下段飛車を2筋方面に展開して、1、2筋を突破すれば高橋名人誕生のはずだった。唯一の弱点は9筋の歩を突き越されていることだが、10手程前に先手が受けることは可能だった。ただ、だからと言って・・

ところが、不利な状態の中原名人が、三手一組のゆさぶりをかけると、高橋陣は、まもなく自滅し、大崩壊に至ることになる。

 △9六歩 ▲同歩 △9二香。

つまり、このままだと△9一飛から端を攻めるそぶりを見せたわけだ。ただし一歩損。だから、それで悪くなっているわけでもないわけだ。

が、有利と思っていた気持ちが一挙に崩れていくわけだ。▲6七銀と引いた手に対し、△9八歩 ▲同香 △4三角。またも一歩損の三手一組のゆさぶりだが、これ以降、挑戦者が一方的に自滅し、144手で後手が防衛に成功する。(動く将棋盤は、こちら

まあ、挑戦者が3勝3敗にしないことだろうが、それが難しいわけだ。


さて、2月27日出題の1題目の解答。



▲1三銀 △同玉 ▲3一角 △同角 ▲2二桂成 △同玉 ▲1二金まで7手詰。

後手の5三角の利きをはずす意味でもある。4手目に△2二合ならば▲1二金という隠れ妙手がある。

動く将棋盤は、こちら

第二問の解答。



▲2二桂成 △同玉 ▲1三角 △2一玉 ▲3一角 △1二玉 ▲2四角成 △2二玉 ▲1三馬まで9手詰。

7手目の角成は後手の3三角の利きを止めるためで、場所は限定である。

途中▲2四角不成でもいいだろうと思っても口にしないこと。友達をなくすだろう。

動く将棋盤は、こちら


本日の問題だが、ヒントを出しづらい。香車を歩に替える方法と書くと、書き過ぎかもしれないが、間違いのもとかもしれない。



わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数を記していただければ、正誤判断。