モノクロの昭和

2008-09-07 00:00:05 | 美術館・博物館・工芸品
d036a642.jpg汐留にある「旧新橋停車場・鉄道資料展示室」で、『昭和を白黒(モノクロ)で旅する 薗部澄(そのべ きよし)写真展』が開かれている。

薗部澄氏(1921-1996)は東京に生まれ、岩波映画製作所で『岩波写真文庫』を担当、1957年からはフリーカメラマンとして独立し、雑誌・写真集・個展と精力的に活動を展開されたそうである。今回の写真展は、昭和25年から30年頃までの、日本各地の風景や生活がテーマである。今回は、東京を中心とした都会の写真と、農村。思えば、没後10年記念展。


しかし、古き良き時代とは、その当時の米国のことだったのだが、どうも戦後の日本の写真というのは苦手である。みんな生活苦しそうだ。都会は雑然として、美しくなく、また農村は貧しい。そんな時代から頑張って、現代の繁栄に辿りついた、という観点で感傷を持つべきなのだろうが、現代の日本の繁栄は、既に構造改革の遅れで、崩壊感覚になってきた。貧困と雑然と排他精神が団塊世代のエネルギーの源だったとするなら、これから20年位の逆回りのタイムマシーンが始まりそうである。

東京タワーの写真はどこから撮影したのだろうか。浜松町方面からなのだろうか。無数の電線と無秩序に走る、都電や乗用車。町並みは看板だらけの商店街。やや霞んで見えるタワーから察するに、空気も汚そうである。

d036a642.jpgそして、小豆島の学童写真。こちらの風景は、今も変わらないのだろうか。瀬戸内少年野球団の世界だ。今でも横浜高校野球部なんか、こうなのだろうか。全然違うのだろう。

ところで、カラー写真では雑然としている風景も、モノクロに焼き直すと、少し、客観的になる。そういえば、「あなたとは違うんです。私は客観的に見ることができる。」と豪快に言い放ったエリート政治家は、「前の人のような健康問題ではなく、ただ、最近視力が少し落ちて・・」とこぼしていたのだが、案外、世界がモノトーンに見えてきていて、客観的に見ていたのかもしれない。


ということで、最近、自分で写した画像をモノトーンに変えてみた。別に没後10年記念展用じゃないから、念のため。

d036a642.jpg一枚は六本木アマンド。撮影は日曜の朝。

あるロシア人がタバコ原料を買った地区である。近く、タバコ販売ができないように、全部更地にして森さんが再開発をする予定らしいが、サブプラ問題がどういう影響を与えるのだろうか。上海の超高層ビルで終わっちゃうのだろうか。井上陽水の「なぜか上海」では、♪海を越えたら上海、君の明日が終らないうちに♪と既に予言されている。


もう一枚は、京都先斗町(ぽんとちょう)。雨が降ったり止んだりの祇園祭の昼下がり。なんといっても空中の電線塊がすばらしい風景だ。電脳国家日本だ。確かに地下埋設しようにも、次々に無数の業者が現れ、電話や通信や音楽や画像やさらに最近は地震速報などさまざまな情報ネットワークを構築するのだから、こういうことになってしまうのだろう。道が狭いので、空中が網で塞がれてしまう。

d036a642.jpgなにかのはずみで、電線の塊が落下して悲劇が起きなければいいのだが。