ステップスルーのスクーターは1920年あたりが最初だと思われるが(Wikipedia)、第2次世界大戦後は庶民の足として大ブレークする。
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イギリスで発生したファッションとイタリア製のスクーターの結びつきは奇異に見えるかもしれないが、元々はイギリスのスーツ縫製技術によると思われるオシャレなスーツが汚れないようにフルカバードのスクーターに乗り始めた理由から考えれば当然であり、大型バイクに軸足がのったイギリスのメーカーは時流に乗れなかったのだろうか。
イノチェンティは元々、鋼管のメーカーだったからなのか、ベスパのスチールモノコックに対してパイプフレームだ。
このモデルはサイドカバーを外すのが流行ったことがあって、それが自慢のスーツを汚すのを防ぐミリタリーコートの流行になったという説もある。これが可能なのはパイプフレームならではなのだ。
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出てきましたね。
映画が封切られてから、御徒町の中田商店からフィールドパーカーが消えました〔笑。
その後は踊る大捜査線は流行ったときも同じでしたが(笑。
そのときまで20年以上スーツのときはパーカーでしたが、家族からは白い目で見られ、
サラリーマンは怪訝な顔をしてましたが、ざまあ見ろでしたけど〔笑。
まあ暗い青春映画ですが、ラストに大きな疑問がありました。
主人公がモッズのヒーローA〔エース〕に会いにいくのですが、まじめにドアボーイとして働く
姿を見て落胆、彼のランブレッタを盗みチョークの崖から飛び込むエンディング。
でもその盗むシーンで主人公は自分のキーを突っ込むのですがエンジンがかかります。
えっ?ランブレッタってみんな同じキー?って疑問が今もありますね(笑。
ベスパ、リトルホンダ、それにXLCRっぽいの(笑。
キーはホンダだってタンクキャップのはどれでも開いたような気がしたし、
ドイツ製はともかく、イタリア製はすべてではないにしても
チョット減ってくると使えたのかもしれませんね。