ピストンエンジンは永遠か!な?

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バイクショップのビジネスモデル

2009年04月26日 | ☆コラム☆

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ご存知900ニンジャです。

A1から始まりA16まであったというのですが、これはA7がベースですから1990年ということになります。

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どういうキッカケで始まったのか良く覚えていないのですが、ファンビークルというカスタムパーツメーカー(といってもY氏一人)とコラボレーションで作りました。

イメージを残しつつというより、特徴を強調したデザインは今でも秀逸と思うし、こういう方向のカスタマイズの先鞭だとも思っています。

この車両は活躍して、ドラッグレースのシリーズ戦が始まる前の前哨戦で、日暮れにより準決勝以降は中止になってしまいましたがベスト4に残りましたし(このときのライダーはカメラマンが本職のI氏)、後のイベントレース(ロードレース)で上位入賞や優勝もしています。

当時、総勢4人の弱小ショップが、新車・中古車の販売、整備・修理などのメンテナンスをやるかたわらにオリジナルパーツの開発と販売を手掛けたのには、もちろん背景を説明しなければなりません。

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グラフは日本の国内市場から見る2輪車事情(ttp://homepage1.nifty.com/firstsource/etc/japanbike.htm)からの引用ですが(不適切なら削除いたします)、同サイトには業界内の関係者ではなくユーザーの立場(たぶん)による分析も細かく書かれています。

下のグラフは原付1種・2種の届出台数になっていますが、登録は市町村などに届けるだけで済んでしまいますからシステム上では新車と中古車の区別がしにくく、新車の販売台数としては統計の数字としては的確とはいえません。しかし、1982年が突出していて後にも先にもこの数字はマークできないでしょう。

この年の前後はHY戦争とも言われた激しい販売競争があって、今から考えると後々まで尾を引きました。

ワタシがショップを創業したのは1979年でして、急激に国内販売が伸びる直前だったのは偶然ではなかったのかもしれません。

しかし時流に翻弄されたのも事実でして、スーパーマーケットなどの駐車場で1台29.800円!(最も安いのは14.800円?)とかで、台あたり数千円の利益を得るために時間を費やしたのは生産的ではありませんでした。

というのはグラフを見れば一目瞭然で、急激な上昇は急激な下降をもたらし、更なる販売増を前提にしたような、いわゆる量販店の構築は値引き競争を激化いたしました。

グラフをもう一度見ていただくと、原付は82年に大きなピークがあり、翌年に大きく落ち込むも86年までは150万台ラインを保つが、87年にはヘルメット規制で再度落ち込み、翌年持ち直したのは”メット・イン”が貢献したのでしょう。

”軽・小型”は25万台ラインを10年以上にわたり維持していましたが、バブル崩壊などの影響か99年まで下降線です。

販売台数が激減するなかでの価格競争は致命的だったのでしょう。食品や一般生活用品と違って絶対数の少ないバイクでは”量販店というビジネスモデル”の第一期終了です。

そもそも実用品と嗜好品を同じ土俵で値引き競争する行為こそ間違いであり、これも後々まで悪影響が残ったといえるでしょう。

一般販売店が量販店と一緒になって値引き競争に巻き込まれたのは致し方ないこととは言え、メーカーの販売政策なるものに翻弄されたのは反省すべきでした。

ここで冒頭のニンジャ・カスタムパーツの話に戻りますと・・・

レースで実績を作り関連商品を売るビジネスモデルは、マン島やGPレースでの活躍を手掛かりにした国内の車両メーカーのやってきたことですけれど、同様のことが零細企業(失礼)でも成り立つのだと見せ付けられたのが、B.O.T.T.(ツクバの)での連勝を武器に一大ブームを築き上げたヤマハSRを中心に展開したカスタムショップでした。

これをヒントに自らのオリジナル商品を持つことにしたのです。価格競争に明け暮れしたことにウンザリして、マーケティング用語でいうところのブルー・オーシャン戦略に走ったわけです。

このビジネスモデルのジレンマは、開発費はともかく、今のようなネット環境はありませんでしたから、露出を増やすための経費が大きいことです。

ベースより魅力が増して、まず作り手を満足させるレベルでなくてはなりませんが、この手法は、現在でも実践して成果を出しているケースも多いと考えられますので有効ですね。

このテーマは続くかもしれません。

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CHICARAさんと出会って感じたこと

2006年11月19日 | ☆コラム☆

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ワタシがCHICARAさんの事を知ったのは、ハーレーダビッドソン・ニュースを見てからのことです。それまでも木村さん(前ゼロ・エンジニアリング)を初めとする日本人ビルダーの活躍は知っていましたので、とうとうココまで到達したかとの思いでした。

とはいえ、ワタシ自身はCHICARAさんとは面識もありませんから、それまでの経緯も知る由もなくクールブレーカーで実車を眺めて写真を撮るだけでした。

ワタシも金属加工をする端くれとしてみると、鉄を思い通りのカタチにする”容易でなさ”は知っています。特にCHICARAさんが多用している有機的な曲線は機械加工では不可能で、超人的なひたむきさで手仕上げするのみです。一点豪華主義で、部分的なワンオフであればそれほど難しいものではありませんが、全体的にカタチのバランスをとるだけでなく、質感までも完璧にこなすとなると、彫塑の巨匠よりも繊細な仕事が要求されると確信いたします。

話は変わりますが、ブログも毎日更新するのは大変で7割以上の方が途中で諦めると先刻のJ-waveで誰かが話していましたが、このブログも1年数ヶ月ほぼ毎日更新して、お陰さまでブログランキングの一位を維持していますが、いただくご褒美はこれだけでなく多くの読者の方と意見を通じ合うこともできました。ありがたいことです。

今回紹介する”老ライダー”さんの記事はコメントとしていただいていますが、ご自身がオリジナルフレームを作ろうとして準備のためにイギリスにまで行かれたほどの熱血漢です。CHICARAさんが「2006 Official World Champion Custom Bike Builder」獲得するまでを、そのような老ライダーさんが出会ってからの経緯をお寄せいただいたのですから、ワタシも放ってはおけません。

そのような訳で初めての試みになりますが、コメントを本文記事として編集、更新させていただきます。是非CHICARAさんと老ライダーさんの情熱を感じ取ってください。

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CHICARAさんと出会って感じたこと

CHICARAさんに出会ったのは2年前のクールブレーカーショーでした。
ハーレーのカスタムが好きではなかった私ですが、部品屋さんからチケットを貰い半ば付き合いで出かけました。
行っても感じるバイクがなかった最後にCHICARAさんのバイクに出会いました。
呆然としまた。デザインの独創性と仕上げの綺麗さはスペインの建築家ガウディーを感じました。
2時間ちかく話をして別れ、家に帰りカメラを観たらなにも写っていません。
すぐに携帯電話に掛け佐賀に観に行く事を決めました。
私もオリジナルフレームを作ろうとイギリスの小さな工房を回ったりして道具を揃えていたところでした。

佐賀に行って驚きました。専門的な道具がないことです。
おもな道具は安価なパイプベンダー、バンドソー、ボール盤、TIG溶接機ぐらいでした。
仕上げはすべて手ヤスリで職人技です。
またまた驚きと、考えさせられました。
そこで感じたことは、カスタムは大仰に考えることなく一人ひとりのイメージを形にしていく事ということでした。
アイデアを出せば少ない道具でもできます。ハーレーは遊ぶところをたくさん残してくれています。
これが魅力のひとつでもあります。
自分だけのハーレーにしたい方、創意工夫で小さな物から作ってみてはどうですか。
それが、あなたのカスタムの始まりかもしれません。 

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この写真は2004年にCHICARAさんを訪問した時に撮りました。

CHICARAさんと出会って感じたこと (2)

それは1通のメールから始まりました。
CHICARAさんのバイクを見終わり、事務所兼工房で昼食をご馳走になっている時の話の中で、
クールブレーカーにバイクを搬入する時からフランスの記者が興奮状態で撮影をしていたとのことでした。
私は彼にヨーロッパでの反応を聞くことを進めましたが、まだ外国に出ることは考えていない様子なので私がメールを出すことにしました。東京に帰る飛行機の中で、出会えた満足感と私のフレーム作りが終わってしまった脱力感を感じました。 あのフレームが私の到達点だったのではないかと。
東京に戻りフランスの記者にメールを出しました。私のミスで、数週間も返事のメールを見逃してしまいました。
記者はすぐに返信してくれていました。内容を一部抜粋して載せます。

親愛なるチカラチームへ


私の考えでは(W&Wサイクルズのピーターヘイマンもまた同じですが)あなたのバイクはクールブレーカーショウで一番気に入りました。なぜならあなたのバイクは他のものと完全に違っています。あなたのバイクの写真を世界中のたくさんの友達にすでに送りました。(S&Sファクトリーの人や、dbbp.comという名前の大きなウェブサイトの人やnorthern lightと呼ばれるスカンジナビアの人など)みんなぶっ飛んでいます!!!
あなたのデザインはとても違っていて全てのショウでトロフィをとることができるでしょう。
ヨーロッパの人はあなたの作品に夢中になると私は思いますよ。なぜならヨーロッパの人は職人仕事の作品を好むからです。(特にKHエンジンの)
アメリカでのことは私は知りません。アメリカ人は私たちと違ってクロム合金の塊が好きで派手な絵のことばかり考えています。
夏にヨーロッパで大きなショーがあります。そこに喜んであなたを紹介しお手伝いしますよ。
私たちはもうすぐあなたのバイクを雑誌に載せます。もうすぐその反応をお知らせします。
私は今まで世界各地のカスタムプラネットのイベントに行っていましたが、
あなたのバイクは(今年のKHまたは昨年のflathead)私が最も気に入ったもののひとつです。
お元気で
フレッド

メールをCHICARAさんに送りました。そして、年が変わって2005年彼は動き始めました。

CHICARAさんと出会って感じたこと (3)

2005年 CHICARAさんはフランスの記者フレッドと連絡をとりだしました。
夏に行われるカスタムショーのどこに出品するか、
最終的にフランス ー マルセイユ ー   ベルギー ― ドイツ に決まりました。 
以下CHICARAさんからのメールの一部を載せます。

フランスのショーは7月28日~7月31日まで ドイツのショーは8月11日~8月14日までです。
ショーがない日を利用してフランス・ドイツの一流のビルダーに会う予定にしています。
バイクも2台なんとか今月(6月)初めに船で送りました。
現在お金の借り入れとノベルティグッズの制作をしているところです。
フランスの出版社が僕の特集(表紙・中面7ページ)を組んでくれ、主催者も僕のPRをフランスでしてくれるそうです。
僕のバイクを紹介するために、一人でもヨーロッパの沢山のバイカーがイベントに来てくれる努力をするとのことです!!!???
ドイツのイベントは、ショーがメインではなくバイカーズイベントのようで、
ブースはW&W(ドイツのハーレーパーツメーカー)のブースにお世話になれるみたいです。
2つのイベントの主催者と出版社が大変よくしてくれて助かっています
一応イベント開催中は日本語のわかるかたを用意してくれるみたいです。

CHICARAさんはこの間にも次の作品を考えていました。それが、2006年の作品です。
2005年のクールブレーカーショーに出品する予定だったようですが、仕事が忙しいので間に合わなかったようです。
 以下にヨーロッパから帰ってきてから貰ったメールの一部を載せます。

ご無沙汰しています。
8/19日 無事日本に帰ってきました。 
パリ~マルセイユ~ベルギー~ドイツ~パリとレンタル トランスポーターで4,500kmの旅になりました。
フランスで1つとベルギーで2つとドイツで2つの賞をもらいました。日本から来ていると言うことで票が多かったんでしょうね!?(笑)
フランス・ベルギー・ドイツと世界的に有名なビルダーのショップの見学ができて今後の活動に大変プラスになりました。
それぞれの国の環境で考え方が様々でいろんな勉強が出来ました。
かなりの経費がかかりましたが、大変充実した旅ができ満足しています。
 行ってみないとわからないものですね!楽しい時間でした。
マスコミ関係もテレビ・DVD・雑誌・新聞など多く取材を受けヨーロッパでのPRもけっこう出来たように思います。
それとベルギーでアメリカ ニューヨークの出版社が来ていてイベント会場から離れた所で走行シーンなどかなりの撮影をしてもらいました。

CHICARA

CHICARAさんと出会って感じたこと (4)

2005年 ヨーロッパから戻ったCHICARAさんはクールブレーカーショーに出品するために作品を作り始めていました。しかし、時間が足りずフレームの骨格とフラットエンジンだけを展示しました。
私はそれを見てチャンピヨンのバイクになるイメージが作れませんでした。もう彼は次の目標に向かっていました。アメリカ スタージスです。
2006年 1通のメールが彼から届きました。以下にメールの一部を載せます。

お久しぶりです。
今年8月4~7日にアメリカ スタージスで World Championship 2006と言う順位が決まるカスタムショーが開催されます。
世界中からのエントリーがあります。現在世界で一番最高峰のショーです。
生意気にもエントリーをしてしまいアタフタしている所です。
まだバイクが出来ていなくて作業を急いでいます。世界一になれるかも程のバイクが出来ています。
自分でも信じられないほどの完成度・アイデア・美しさ????
もし、時間があれば佐賀の僕の古屋に見に来て欲しいと思っています。
今回アメリカで欲しい人がいれば販売を考えています。(価格が折り合えばの話ですけど)万が一売れたら日本での発表が出来ません。
言葉や写真では伝えることが出来ないほど超スゴイ!!!!!バイクになっています。好き勝手な事ばっかり言って申し訳ありませんm__m でも、佐賀まで来ても後悔しないほどのモノです。輸送の都合で6月末(未定)には送らないとダメみたいです。 また お会いし、バイクを見ていただければ幸いです。

世界一になれることを心から信じているCHICARAより

彼はこうも言っていました。優勝だけを狙います。
寡黙で穏やかな性格のCHICARAさんが、はっきり口にだして話す電話の声は今でも私の耳に残っています。
そして、アメリカ ノースカロライナ スタージス に乗り込みました。
審査は出場者が1票を持ち投票する審査です。圧倒的大差で WORLD CHAMPION を獲得しました。

後記 
CHICARAさんに出会って感じたことは、物作りの素晴らしさ楽しさでした。
無から形になる、物作りの原点を教えてもらいました。
また、このような偉業を成し遂げたことを一人でも多くの人に知ってもらいたく書きました。
オリンピックで金メダルを取った時は騒ぐのに、日本のバイク文化の低さを嘆いています。
CHICARAさんおめでとう御座います。   
彼はもう次に走り出しました。
                         老ライダー

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