アメリカ(たぶん)にも、こういうワインディングロードで目一杯楽しんじゃうヤツいるんだね・・・・。
GL1800のルーツのGL1000は日本に初めて逆輸入されたが、その後アメリカ国内に生産工場を建て、日本で登録するとメーカー名は”ホンダ オブ ユナイテッドステーツ”(確か)になる。
最初はご覧のようにカウル、フェアリング類はなく、いわゆるネイキッドモデル。
画像はttp://www.craigvetter.com/index.htmlから転載
ところが1974年にVETTERからはフレームマウントの"Liberator"がリリースされ、ユーザーの多くは画像のようなスタイルで乗るようになったようだ。
それは、ご自慢のフラット4エンジンも正面からみれば普通のバイクであり、長時間乗っても疲れなくて、押し出しの強いほうが見てる人にアピールできる。
画像はttp://www.craigvetter.com/index.htmlから転載
かのプレスリーも"Liberator"の愛用者だったようだ。
現在も各社のクルーザーは固定カウルが定番になっているが、VETTERがその火付け役と考えると面白い。
マイレージが10マイルという素晴らしいコンデションのモーガンが、ebayに65.000スタートで出品されている。
スリーホイーラーは言わば必然的にボートテイルスタイルなわけだ。
インディジョーンズが上海でカーチェイスに使ったAuburn も851-Boattail-Speedsterというくらいなボートテイル。
画像はttp://blog.livedoor.jp/atoeより転載。不適切なら削除いたします。
そしてボートテイルの波は1970年代にもやってきて、これはビュイック・リビエラ。
そして70年代にはバイクにもボートテイルがやってきたのは、ハーレーのスポーツスターとスーパーグライド。
近年のスーパーグライド復活は、名前とカラーリングだけなのが残念でならない。
画像はttp://pagesperso-orange.fr/panshovel/histoire7.htmlより転載。
若かりし日のウイリー・Gがボートテイルのデザインをしたといわれるが、当時の評価はどうだったのだろう。
引用画像の文章にトマホーク ボートの株を60%買ったというのは、FRPの技術を導入するためだったのだろうか。
BATWINGのために? ボートの会社を買ったからボートテイルじゃないだろう。
4足の動物は古来からパーソナルモビリティとして使われてきたが、これは画像処理技術の発達で実現できた・・・・。
”屋根つき馬”の画像は”屋根付き2輪”さんから転載させていただきました。
このホンダキャビーナは、量産市販車としては初めて、二輪車にルーフ(屋根)とワイパー付きの大型ウインド・スクリーン(風防)を組み合わせて装備することによって、二輪車がもっている優れた機動性や利便性に加え、快適な居住性をも追及している。(画像と文章はttp://www.honda.co.jp/news/1994/2940906.htmlより転載。不適切なら削除いたします)
今では各国の車両メーカーがルーフ付きスクーターを商品化しているが、ホンダは1994年にキャビーナを発売している。といっても後付パーツとしてのルーフはもう少し前からで、ワタシもジャイロ系に寿司の出前用として何台か取り付けたことがある。
この分野は需要に応えたボリュームアップと考えられるし、交通渋滞緩和やECO(エコノミーも含めて)に向けても、複雑に入り組んだ道路運送車両法と道路交通法を整理する必要があると思う。
ところで、快適志向のウエザープロテクションを意識した量産車は、このホンダジュノオKが最初だという意見には同意します。
しかし、戦後すぐのスクーターブームが衰退した原因は道路事情にあり、未舗装道路が多かった時代において小径ホイールでは安全とはいえず、乗り心地も決して良くなかったはずで、東京オリンピック以降に道路の舗装率が上がってからはクルマの普及率がよくなって、スクーターの需要はなくなったのだろう。
道路事情についての考察はコチラに詳しい。
1941年といえば、アメリカではニューディール政策(ウイキペディア)によりフリーウエイが建設されたころだ。
色々なバイクに様々なシチュエーションで乗ってみると分かるが、アップライトなポジションで100km/hくらいの速度を維持すると、長時間では結構しんどい。
日本ではバイクの法定速度が、つい最近まで80km/hだったのは考えて見れば馬鹿らしい。
それはさておいて、アメリカでもフリーウエイが整備されるまでは、それほどの高速性能が要求されるわけでもなく、まあエンジンの性能にしても時代が時代であるだけにまだまだ発展途上であったと思う。
エンジン性能だけが良くても、フレームやサスペンション、タイヤの性能が良くならなければ発揮できないのは当たり前だが、ウインドプロテクションの発想がみられたのは、調べてみてもこの1941年モデルが初めて。
このスクリーンだけの”風防”は同時期からのミリタリーモデルにも装備されているが、大戦をはさんで1973年に”BatWing”が標準装備されるまで大きく変わらなかった。
In 1965, Dean Wixom designed this fairing as an accessory for the FLH. Forty years later... the "BatWing" fairing is still with us, now made by the Motor Company(画像と文章はttp://www.craigvetter.com/index.htmlから転載。不適切なら削除します。)
Dean Wixomは日本では知られていないが、どうも”FLスタイルの父”のような・・・・。
同じくVETTERのサイトからの引用ですが、日本でもブレークしたことのあるVetter Fairingsはその先駆者を紹介している。
VETTERのLiberator Fairingの開発の模様も紹介されているので、ご覧になってもらいたいが、Liberator Fairingは後にハーレーに正式採用になり後のFLTRロードグライドまで引き継がれていることを考えるとおもしろい。
つまり、FLの”BatWing”や”Liberator Fairing”は”社外品”がハーレーの歴史に大きな影響を与えていると思う。
ハーレーのツーリングファミリーと呼ばれる中のFLHTC系はご覧のようなスタイル。2輪では最重量級の350kg以上でも乗りなれれば意外と軽快なフットワーク。
以前に紹介した画像だが、矢印はハンドルのクランプ。カウルを外せばオーディオセットなどぎっしり詰まっている。
つまりこの時代になるとカウルはボデイの一部になっていて、そう簡単にカウル無しの状態で走るわけにはいかない。それで後にはカウル無しのバージョンであるロードキングが設定されたのだろうと思う。
この画像も以前に紹介したのだが、1983年までのFLH系に装備されていて、これは”どんがら”なので”いわゆるストリップバージョン”も簡単。
残念ながらポリススタイル(今で言う)に換えられてしまっているが、1973年モデルからカウルが標準装備になったようだ。
ebayをみていると涎のでるようなバイクが出ているけれど、これは10.099からスタートで即売価格は16.995。
DUCATIはこのあと、1980年ごろにMHレプリカでブレークするが、思い出深いのは750SS。
イモラレプリカと呼ばれた750SSは、1975年ごろ当時勤めていた某外車ディーラー(クルマのね)のY先輩が手に入れて、ワタシは450デスモに乗って一緒に走るも、こちらは前を走っても聞こえるのは750のはじけるサウンド。記憶の中では一番の部類だった。
講談社「ヤングマガジン」で連載中の楠みちはる原作の漫画がついに実写映画化。9月12日から公開される。現在までに42巻の単行本が発売された大人気漫画「湾岸ミッドナイト」の実写版が巨大スクリーンに登場するのだ。(内外タイムスttp://npn.co.jp/article/detail/13472578/より転載)
湾岸ミッドナイトは単行本がいつも行っていた理容店にあったり、誰かが買ってきてくれたヤングマガジンをみたりで、知っています。
漫画が様々なブームを作り出すことが多いのだが、最近はバイク漫画はあまり見かけない。
人気大型オートバイ「隼(はやぶさ)」を操るライダーからツーリング先として人気を集めている若桜鉄道の隼駅(八頭町見槻中)で8月8日、初めての「隼駅まつり」が開かれる。全国から集うライダーとのふれあいを地域おこしにつなげようと、地元住民が企画した。当日は200~300台の隼が集まる見込みで、ライダーと住民らがゲームなどを楽しみ、新たな交流をスタートさせる。(読売新聞<鳥取>より転載)
ハヤブサはカワサキZZRと同ジャンルだが、独自のキャラクターで長い間人気を博している。関東から鳥取はちと遠いけれど、高速乗り放題1000円ならOK?