砂漠はそれほど走らないが、7000km以上を10日間で走破し、美しい風景をまじえながらコミカルな構成を楽しませてくれる。
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MV Agusta "Cool Brand 2010"
June 15, 2010
Varese, 15th June 2010 - MV Agusta was declared "Cool Brand 2010" within the programme planned by the English company Superbrands. What was the objective? To identify the trendy brands according to the perception of consumers and opinion leaders.(画像と記事の抜粋はttp://www.motorcyclistonline.com/newsandupdates/motorcycle_news/122_1006_mv_agusta_cool_brand_2010/index.htmlより転載)
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カジバが復興させたMVアグスタはその後資本が二転三転しているが、日本では円高ユーロ安で大幅な価格変更している(ttp://www.mv-agusta.co.jp/information.html)のでお買い時かもしれない。そのMVアグスタのルーツをおさらいしてみよう。
ttp://www.motorsportsetc.com/champs/motogp.htm
ドメニコ・アグスタは航空機会社を経営するジョバンニ・アグスタの長男として1907年に生まれている。 〈略〉ジョバンニが1927年に他界すると、わずか20歳でドメニコは航空機会社を引き継ぐことになる。〈略〉第2次世界大戦中のアグスタ航空機会社もまた軍需産業に携わってした。主な業務は空軍ファイター(戦闘機)の整備と修復であり、直接に機体をデザインしたり、エンジンを設計したりということはなかった。しかしながら、整備・修復作業は、後のモーターサイクル産業に大いに役立つ結果になる。〈略〉ドメニコは終戦とともに社名をMVアグスタに変更し、モーターサイクルメーカーとして歩きだす。最初の量産車は2サイクル98ccの3速ミッションモデルであった。〈略〉1949年にはこのモデルを改造してイタリア国内レースに参戦し、MVアグスタに記念すべき1勝をもたらしている。このときの勝利の美酒こそが、ドメニコをしてGPレースへの挑戦を決意させるのである。そしてまた、レースでの勝利こそMVの名を世に知らしめる最大の武器であることを、ドメニコが見逃すはずはなかった。(輸入車100年史、八重洲出版、別冊MOTOR CYCLIST1988/1,P38より抜粋引用)
MVアグスタは1949年からワールド・チャンピオン・シップに参戦するが、まずは125クラスで単気筒エンジンによりイギリス人ライダーのセシル・サンフォードがチャンピオンを獲得する。元ジレラのレモールが設計する4気筒エンジンは1950年から参戦しるも、1956年にジョン・サーティースがチャンピオンを獲得するまで7年を要したが、1957年にはジレラに座を譲るものの1958年から1974年まで17年間も王座を守る。小排気量クラスにおける2ストエンジンの台頭と熟成からすれば歴史的必然というしかないが、その後はすべてのGP500チャンピオンは日本製の2ストエンジンによるのはご存知の通りだ。
レース活動は20世紀の初めから広報と開発の目的をもって行われるが、勝負の世界は人を狂わせる何かを内包するのは未明の時間に驚くほどの視聴率を得たサッカーの試合にも見てとれる。それはともかく、今尚マニアを惹きつけるMV750は最初ではないかもしれないが”レ-サーレプリカ”の最たるものだ思う。
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