ピストンエンジンは永遠か!な?

バイクを中心に話題を紹介します

日本の産業を巡る現状と課題

2010年03月07日 | パーソナルモビリティ

Img80845c2azik2zj画像はttp://plaza.rakuten.co.jp/echizenn/diary/?ctgy=8より転載

経産省の産業構造ビジョンの報告書が、あちこちで話題になっている。昔、産業構造審議会の下請けをやった私としては「まだあんなことやってるの?」という感じだが、これを「裏読み」してみると、なかなか興味深い。(池田信夫blogより抜粋を引用)

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ところで、冒頭の画像はホンダの最初の4輪車である1963年発売のT360(水冷4気筒DOHC、軽トラック)のシリンダーだ。

バイクの製造とレースへの参加で培った技術を自動車に応用して今のホンダがあるのは明白だが、初めての水冷エンジンを作るにあたり、湿式ライナーをブロックに固定する方法に苦慮したのが見て取れる。

800pxhondan360

T360はS500へと、今から考えてもトラックから2シータースポーツカーへとおかしな発展だが、これは”1960年代前半は乗用車の大衆化は考えられなかった”社会的情勢が背景だったのだろう。

ところが、バイクのエンジンをベースに開発したと思われる空冷2気筒のN360は1967年に発売されるや大ブレークし、カローラやサニーに加えて乗用車の大衆化に拍車を掛けた。

■1949年7月 軽自動車の規格が制定される。
長さ2.80m、幅1.00m、高さ2.00m
4サイクル車は300cc、2サイクル車は200cc
■1950年7月 規格改定
長さ3.00m、幅1.30m(高さ2.00m)
■1951年8月 規格改定
4サイクル車は360cc、2サイクル車は240cc
■1955年4月 規格改定
4サイクル車、2サイクル車とも360ccに統一
■1976年1月 規格改定
長さ3.20m、幅1.40m(高さ2.00m) 550cc
■1990年1月 規格改定
長さ3.30m(幅1.40m、高さ2.00m)660cc
■1998年10月 規格改定
長さ3.40m、幅1.48m(高さ2.00m)

軽自動車の規格は上のように変遷をとげているが、1950年から76年にかけては25年以上もサイズが変わっていない。これはユーザーとメーカーに悲劇をもたらしたのかもしれない。

「N360」の開発に携わった中村良夫は、のちに、ユーザーユニオンの指摘した「ヨー特性にロール特性がからんだ不安定さ」を「N360」がもっていたことを否定していないが、技術鑑定人として委嘱された亘理厚(わたり・あつし 東京大学生産技術研究所教授。当時の日本における自動車技術の権威の一人であった)は、「当時の道路運送車両法が軽自動車の速度について60km/h程度を想定しており、100km/hを軽くオーバーするNのような自動車の出現を予知し、盛り込めていなかったことに問題がある」という主旨の指摘をおこなっている。(ウイキペディアから抜粋、転載)

技術開発は1面では規制に挑戦するようなこともあり、達成されたとしても、ときには人間が全能ではないこともありそれが仇になることもある。この事件がN360の人気に陰りを落とし、1972年には販売を終えてしまった。

Cb750k012855画像はttp://fuji.xsrv.jp/meisya/hondacb750k0/cb750.htmlより転載

時をほぼ同じくしてCB750K0が発売された。当時としては4気筒大排気量の弩級(1906年に建造されたイギリス海軍のドレッドノートの頭文字の和訳、だそうで)の超高性能を大衆化価格でしかも故障が少ないこともあり、続くZ1とともにそれまでの高性能車である英国車を追い落とす決め手になった。それはホンダのF1とGPレースの活躍によるブランド戦略の成功も欠かせない要素だったが、ブランド戦略も製品が良くなくては成り立たない。

と思っていたら、ホンダは1959年にアメリカに進出し、それまで消えかかっていた市場を創造した。資料 

ともあれ、日本の高度経済成長は第2次世界大戦後の世界各国が経済成長するなか、ニクソンショック(1971年ウイキペディア)による急激な円高になるまで続き、持ち直したあともプラザ合意(1985年ウイキペディア)では1年間で為替レートが半分になったりと輸出企業にとっては厳しい状況におかれ、海外への工場移転が増えた。

バイクの輸出はイギリスの名門ブランドを消し去るという(復活して良かったが、当時はその名門ブランドも停滞していたと思う)副作用もあったが、日本での電気製品などとともに外貨を稼ぐビジネスモデルだったのではないかと思う。

近年も日本は輸出依存国だというイメージがあるが、統計によるとそうではなく世界の中では12番目で依存度は17.4%に過ぎない。(産業構造ビジョン、18ページ)

Twip_100303 画像はttp://tonto.eia.doe.gov/oog/info/twip/twip.aspより転載

ところでこのグラフは市販小型自動車の動力源(うまい言葉がみつからない)の分布をアメリカの独立機関が予想している。つまり純内燃エンジンのクルマは半分になる、別の言い方をすれば25年後にもガソリンエンジンは半分生き残るといえるかもしれない。

と、ここまでが長い前置きだが、自動車の世界基準調和というのが随分と前から行われていて、輸出と輸入の際に大きな障害となる各国の基準を統一しようという動きだ。やはり利害があるのか、中々まとまらない作業だが、電気自動車とハイブリッドの安全基準は日本の意見が取り入られた(ttp://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI/20100126/179626/)。

これは現在多くの問題を抱えているとはいえ、10年前からプリウスを市販してきた実績があってのことだろう。

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続・3R-Cでは50万円で市販することを提唱したが、ここではもう一歩進め、政府の援助をつけて30万円で市販することを提言したい。

東京の交通渋滞を緩和することは早急には無理なことで、将来的には集中制御による自動運転も考えられるが、インフラ整備の必要性も考慮すると実現するのはかなり先だろう。公共交通機関も朝晩の通勤時間帯はパンク寸前だ。

都内を走るクルマのダウンサイジングはまだ現実的だが、バイクの利用拡大は駐車場問題で打ち砕かれた。これはもちろん問題解決を継続しなければならないと思っているが、利便性やハイブリッドの導入を考えれば2輪より3輪のほうが有利だ。駐車場問題が解決しない理由の一つには(駐車していても)2輪車は倒れやすいというイメージもあるからだ。

交通渋滞の問題は日本だけでなく世界各国で大きくなっている。1昨年のガソリン高騰でクルマの大型化には歯止めが掛かったが、まだまだ一人が乗るには大きすぎる。

そこで、パーソナルモビリティの市販と普及を一刻も早く行い、安全で高性能、そして安価なモデルを標準化し、そしてその規格は世界モデルになるのだ。

部品を標準化することで量産コストを下げるのは常識だから、30万円の価格は実現可能だろう(最初は政府補助金付)。小さい乗り物をずっと手がけてきたバイクメーカーにやってもらえれば、大型バイクも活性化して、雇用対策にもなるし、1挙5得くらいになる案だがどうだろう。

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