ニーチェの言葉に「精神の三様の変化」といふものがある。心の構へ方を巧みな比喩を用いて語つたもので、心の成長の三段階が示されてゐる。
受験生に語られたものではないのはもちろんであるが、この言葉、結構高校三年生のたどる心の過程には有益であらうと思はれる。
まづは、駱駝(ラクダ)の段階であると言ふ。できるかぎりの荷物を背負ひ、遠くを目差してひたすら歩く。しかし、その道は砂漠である。その時の戒めは「汝なすべし」である。どんなにつらくても苦しくても自ら心にさうつぶやかなければならない。「君はしなければならない」。一学期から夏休みにかけての彼らである。
次の段階は、獅子の精神である。「新しい創造を目指して自由をわがものにすること」。妥協なく目標とする学校を目指すのである。模擬試験の結果が出揃ふ時期にあつて、どんどん妥協しがちになるときには「われは欲す」と強く自分で叱咤する獅子のやうなたくましさが望まれる。判定Cが出れば十分間に合ふ。
そして最後は、「小児にならなければならない」。受験を目の前にした冬休みから三学期。自然体になることが力の源になる。「小児は無垢である、忘却である。新しい開始。挑戦」。「然り」といふ言葉が口から出てくればしめたものである。「世界を離れて、おのれの世界を獲得する」。さういふ意欲が無理なく出てくるのは、その人が成長したからである。
駱駝→獅子→小児。この卓抜な比喩が私たちの精神の変容のモデルであるといふのは信じるにたる言葉であらう。イエスは「駱駝が針の穴を通るより天国に入るのはむづかしい」と言つた。また、イエス自身は「獅子の子」のやうな存在となつて地上の王国を築くべきであると旧約聖書では預言されてゐた。しかしながら、そのイエスは十字架についてしまふ。王様にはとても見えない人を王様であると認めることの困難を指して次のやうに語つた。「幼子にならなければ天国に入ることはできない」と。
「神は死んだ」と言つたニーチェは、聖書の内容を十二分に消化し、精神の三つの変容を記すにあたり、動物の名前をそのまま用いた。この文章が収められてゐる『ツァラトゥストラはかく語りき』の文体が、新約聖書のパウロの書簡に似てゐるのもそのあたりの経緯を示してくれてゐる。神を信じてもゐない日本人が、ニヒリズムを気取つて「神は死んだ」などと言ひ募り、ニーチェリアンを気取るのは、根本的に間違つてゐる。ニーチェは神を求めたのである。そして愛したがゆゑに、堕落しきつたこの地上の惨状を見て、神を守るべく「神を殺した」のである。その逆説を知ることなしに、近代を手に入れることはできない。
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