(承前)
餘談ながら、前囘引用した文章にあつたやうに、北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和國と書き直すところにはある種「時代」を感じてしまふ。また、北朝鮮は正式名稱を附記しながら、韓國の方は大韓民國と書かない欺瞞は、梅棹氏の考へ方の偏りを象徴してゐるやうに思へる。
さてそんなことは措いておいて、「近代化をなしとげるにあたって、いっせいにこの国字改革の課題につきあたった」といふのは、本當だらうか。「いっせいに」と言ふ割には、擧げてゐるのが三ヵ國だけであるのも論證としては弱い。しかも朝鮮半島において、ハングル文字が使はれたのは十五世紀である。これを以て「近代化をなしとげる」といふのであれば、李氏朝鮮は世界で最初の近代國家といふことになつてしまふ。もちろん、梅棹氏にはそんな御考へは毛頭ないであらう。しかしながら、韓國や北朝鮮の事情は、「近代化」云云の文脈ではなく、やはり日本帝國主義時代の日本語強要への抵抗や反感といふ側面を無視しては、今日のハングル文字への畫一化は語れまい。「文明の生態史觀」を標榜する氏には、アジアといふものを一つの文脈で語りたいといふ願望があるのであらう。しかし、歴史にはさういふ普遍的なものがあるとしても、個別的な事情を無視してはならないものもあるはずである。
また、もし今後韓國で漢字の再評價が始まり、學校教育で漢字を見直す動きが出たら、梅棹氏の主張によれば、反近代化の動き=反動といふことになるが、そんなことはないだらう。それを考へても、氏の漢字害惡論は穩當さを缺いてゐる。漢字への憎惡があるのであらうか。
さらに、氏は擧げてゐないが、支那も正字から簡體字に變へたが、あれは共産化の過程でなされたもので、近代化ではない。だから擧げなかつたのではないか。あるいは近代化を成し遂げた臺灣においては正字が今日でも使はれてゐることを書いては、「近代化=國字改革」の圖式が妥當なものではないことが明らかになつてしまふからではなからうか。
そもそも、ローマ字化などといふ暴論を正當化しようといふことに大きな誤りがあるのである。梅棹氏の擧げてゐる、ローマ字化のメリットといふものが、一讀あきれてしまふほど幼稚なのである。
「ローマ字が威力を発揮したのは、このときである。わたしはヘルメスの小型タイプライターをもっていた。うす型の軽量の機械で、わたしはそれを膝のうえにのせた。車がはしっているあいだ、わたしはタイプライターでローマ字がきの日記をかいた。車窓からの観察を、刻々と記録してゆくのである。車がゆれても、タイプライターをたたくのになんの障害にもならない。もっとも効果を発揮したのは夜である。わたしたちは、大陸横断の『大幹線道路』をしばしば夜のあいだはしった。そのあいだも、わたしはたえまなくタイプライターをたたきつづけた。タイプライターのキーの位置は、指がおぼえているので、わたしは夜になってみえなくなってもすこしも不便はないのだ。行がおわりになれば、機械がチーンとなる。そこでプラテンをもどす。こうしてわたしは、旅行の完全な記録をつくることができたのであった。」
(同書 五〇、五一頁)