言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語8

2004年12月19日 12時49分52秒 | 国語問題
 いささか横道にそれてしまつた。
 話題は、國語問題である。參考文獻としては、福田恆存と土屋道雄氏の實質的共著『國語問題論爭史』があげられる(聞くところによると、この書近近、土屋先生が加筆した増補版が出るとのこと)。
 これを御讀いただければ、明治以降の「國語國字問題」が明瞭になる。しかしながら、それはなかなか手に入れにくい。私の學生時代、卒論に使ふために古書あさりをしてゐた今から約二十年ほど前、早稻田の古書店でそれを見つけた。店主の横の棚にいかにも高價な本として置かれてゐた本を、名稱だけは知つてゐたが、未だ見たことのない私は嬉しくなりいさんで手にしたが、賣り値五千圓となつてゐたので、仕方なく棚に戻した。餘分なお金を持ち合せてをらず、卒論は日本近代思想史、なかんづく内村鑑三を主題に選んでゐたので、斷念せざるを得なかつた。早稻田界隈を一巡したあと、もう一度その店に立ち寄り、思案したが、やはり諦めた。食費を節約しても足りる額ではなかつた。
 今『國語問題論爭史』は、私の手元にある。十五年の後、入手したものである。當時の賣り値より高かつたが、今はそれを買ふことができた。いろいろと古書店をまはりながら、一向に見つからなかつたその本が、近隣縣にも古書店が滿足にない地方に引越して、インターネットで見つかつた。まことに味氣ないことではあるが、技術の進歩の恩惠であるといふことはまぎれもないことであつた(またまた寄り道)。
 より入手しやすいものとしては平成十一年に出た中公文庫の『國語改革を批判する』がある。そこに収められてゐる大野晋氏の「國語改革の歴史(戰前)」を參照するとよい。ローマ字化への動き、かな表記への試みは、戰前からあつたことが記されてゐる。有名なものとしては、前島密の「漢字御廢止之儀」(慶應二年、最後の將軍徳川慶喜に建白)、福澤諭吉の「第一文字之教」(明治六年・ここには端的に「漢字をまつたく排するの説は願ふ可くして」と書かれてゐる)、原敬の「漢字減少論」(明治三三年)、田丸卓郎の『ローマ字國字論』(大正三年)、また「カナモジカイ」(大正十一年)などがある。それらは、いづれも漢字を使つてゐるから日本は發展しないのだ、當時の先進國ヨーロッパの文字で國語を表現することが正しいことだと信ずるところから生まれた暴論であつた。さてさうであれば、戰後進駐軍たちがローマ字を話題に出した時、彼らは色めきだつたことは想像できる。この期を逃すまいとして「國語改革」に邁進したのである。また、注意しなければならないのは、「國語改革」を躍起になつて推し進めたのは、前述のローマ字會やカナモジカイばかりでなく、文部省の官僚たちでもあつたといふことだ。彼らもこれを歡迎したのだつた。
 官僚は國益を考へるといふ神話は、ここでも裏切られてゐるわけで、「文部官僚は戦時中に日本語を南方に普及させようと躍起になっていたところで敗戦を迎えて、仕事がなくなってしまった。それで役人たちが首を切られては困ると考えた」(大野晋「日本語の将来」「一冊の本」平成十二年二月号)結果、進んで「仕事」を作つたといふのだ。


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