言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論――最新號

2011年12月19日 18時28分07秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

  本日、金正日總書記が亡くなつた。來年が強盛大國の宣言をする大事な年であるのに、この時に亡くなるとはたいへん不自然である。いままでも影武者がゐるとかゐないとかさんざん言はれて來たが、かういふ時に影武者が登場しないといふことはどういふことだらうか。

  後繼者は軍部の掌握を果たしてゐないと言ふ。さうであれば、まづはクーデターが起きることなく順調な體制移行が果たされることを祈る(この邊りの私の意見は大概の保守派の主張とは違ふだらうけれども)。

             ☆     ☆  ☆

   さて、今月號は面白い記事が目白押しである。一面は遠藤浩一氏の論文。一國脱原發主義、TPPの目的化議論、中選擧區制復活論、これらはすべて敗北主義であるといふ内容。まつたくその通りである。溜飮が下がる。

   2面は、黛敏郎のオペラ「古事記」についてのエッセイ。朝日新聞だつたかで、批判的な記事を讀んだが、それとは違つた見方を教へてくれて收穫であつた。

   3面は、宮崎大學の吉田好克氏の論文。「我が國の眞の危機」と題したもので、教育の體たらくを實情を踏まへて論じてゐる。絶望的な内容であるが、それでも教育をし續けてゐる吉田氏の心情に思ひを致した。

   同じく、連載五囘目の留守先生の「この世が舞臺」が面白い。トルストイの「神父セルギイ」を取上げてゐる。聖者になるべく追求した男が、それゆゑに欲心に支配された自分自身であることに氣附く。そのやうにして二つの心に引き裂かれた人物を描く姿はトルストイその人に違ひないのである。聖者になるべき理想の無い私たちは、それゆゑに我欲に支配された醜い自我といふものも見ることはできないのであらう。いつもながら刺戟的であつた。

   それから2面には、「斷末魔の日本  歴史を見つめる強い目があるか」を書かせて戴いた。近近、編輯人の中澤氏の御厚意で、全文を本ブログに掲載させて戴けることになつた。乞ふ御講評。

         ☆    ☆   ☆

三つの敗北主義に覆はれる日本

                        評論家・拓殖大學大學院教授  遠藤浩一

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斷末魔の日本 歴史を見つめる強い目があるか――御祭り民主主義を利用する狡猾を見拔け

                文藝評論家 前田嘉則

教育隨想       

      黛敏郎のオペラ――日本初演の歴史的意義 (勝)

我が國の眞の危機

               宮崎大學准教授  吉田好克

この世が舞臺

     「神父セルギイ」トルストイ                                    

                     圭書房主宰   留守晴夫

コラム

        雙子の増税で國亡ぶ  (菊)

        『がんばれ被災地』の裏側 (柴田裕三)

        批評は「呪ひ」か(星)

        沖繩防衞局長の更迭(蝶)   

   ●      

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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