言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

荒井経といふ人の絵

2011年07月13日 22時37分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

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三週間ほど前だらうか、その頃に録畫してあつたテレビ番組を、今日の夕食後のゆつたりとした時間に見た。テーマは東山魁夷で、この方が五十歳を過ぎてからやうやく京都の繪を描けるやうになつたのは何故かといふものであつた。東山の繪にはとても惹かれる。あの青の色調がとても懷かしいのだ。日本の景色の上質な感觸が、繪から感じられるのである。もちろん素人の勝手な印象である。だが、それで良いとも思つてゐる。私が育つた自然がさういふものであつたのだから。

   額に入つた印刷物しか今は手が屆かないが、いつの日か手にしたい、そんな風にも感じてゐる。

   それはともかく、その番組の中に、荒井經といふ方が出て來た。青といふ色に關心を非常に強く持つてゐる方で、先ほどインターネットで檢索すると大學の先生をしてゐる方だつた。繪畫の修復が專門のやうでもあるが、その技術を使つて創作もされてゐるやうだ。下に示すのが、その荒井先生の繪である。

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「べろ藍の風景」と題された繪の一部であると言ふ。自然に出來た滲みを利用した架空の景色を描いたものであるが、どこかにある村の景色のやうに感じるのは、青といふ色が持つてゐる力ゆゑであると言ふ。美しいと思つた。この方の展覽會があれば、一度見に行つてみたい。

コメント (2)
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