言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

昨年の収穫

2010年01月01日 13時37分26秒 | 文學(文学)

謹賀新年

 例によつて、昨年の文學的收穫を三つ擧げます。福田恆存の作品も麗澤大學から出てゐる評論集も續刊が決まつたり、文藝春秋からは戲曲集が出たり、ちくま文庫には『私の戀愛教室』が入つたりと「收穫」がありましたが、ここでは「時代と文學」といふ觀點から三作品を選びました。

村上春樹『1Q84』 

 昨年はなんと言つてもこの作品でせう。賣れてゐるからかもしれません。私の感覺からすればしだいに興味は薄れて行つてゐます。譬喩が少少鼻につくやうになりました。ノーベル賞をとるかどうかに關心が集中してゐるのは殘念です。國語といふものや自然といふものをこの作家がどう捉へてゐるのか、氣になります。日本語で書く必然性を感じませんでした。

 今朝の新聞の広告に「Book3」の告知が出てゐました。

平野曉臣『岡本太郎』

  毀譽襃貶の多い藝術家です。その大仰な表現が芝居じみてゐるので、フォニーにも映りますが、本書の大阪萬博當時の丹下健三とのやり取りを讀むと、その熱情の眞劍さを認めざるを得ません。大建築家の設計した屋根に穴をあけ、「太郎の塔(太陽の塔)」を造つたのです。繪畫から感じる無邪氣さは幼稚でもありますが、彫刻にはしなやかな厚みを感じます。

小林信彦『怪物がめざめる夜』

 新作ではありません。放送作家が創り上げた架空のコラムニストがしだいに實在の人物として動き出し、深夜放送で絶大な人氣を博して行き、しだいに大衆を動かしていく筋書きは、明確に、譬喩でせう。實在しないからこそそれに支配されてしまふものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする