三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「「韓国ドラマを見たからといって死刑、脱北女性に拷問も」北朝鮮の人権問題を指摘した韓国政府」

2022年10月21日 | 北部朝鮮
https://japanese.joins.com/JArticle/296834?servcode=500&sectcode=510
「中央日報日本語版」 2022.10.21 07:51
■「韓国ドラマを見たからといって死刑、脱北女性に拷問も」北朝鮮の人権問題を指摘した韓国政府

【写真】5日、国連総会1位(軍縮・国際安保)の基調発言で発言する韓国の黄浚局(ファン・ジュングク)国連大使[国連ウェブテレビ キャプチャー]

 韓国政府が北朝鮮の人権問題に対して全面的な問題提起に乗り出した。
 20日(現地時間)、韓国の黄浚局(ファン・ジュングク)国連大使国連大使はニューヨーク国連本部で続開された第77回国連総会第3委員会と安全保障理事会(安保理)会議に参加し「コロナ禍による防疫強化とともに北朝鮮の人権と人道主義的状況はさらに悪化した」と指摘し、北朝鮮人権の深刻性を国際社会に知らせた。
 午前に開かれた第3委員会会議で黄大使は、北朝鮮が犯した反人権犯罪を国際刑事裁判所(ICC)など国際司法体系に付託しなければならないという国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告書に言及した後、国際社会の積極的な関心を呼びかけた。
 また、同日の会議参加者に、北朝鮮が昨年末韓国文化の流入を防ぐために制定した「反動思想文化排撃法」を紹介した。同法は、韓国映像物の流布者に死刑を、視聴者には最大懲役15年刑に処する内容を盛り込んでいる。
 また、黄大使は北朝鮮が防疫を理由に国境を越える住民に対する銃殺指令を下したという事実にも言及した。
 さらに黄大使は、「午後に開かれた安保理会議では、脱北女性が北朝鮮を脱出する過程で監禁や人身売買、拷問などの危険にさらされている」と指摘した。
 黄大使は1990年代から韓国に到着した脱北者3万4000人余りの72%が女性だという点を想起させ「彼らの多くが数年間拘禁、人身売買、送還、拷問と残酷な処罰を含む後続報復措置などの危険に耐えた末に韓国に来られるということは恐ろしく、心痛いこと」と嘆いた。
 また「隣国に強制送還禁止の原則が脱北者にも同様に適用されるべきだという点を想起させたい」と強調した。
 黄大使は脱北女性の定着と自立を支援する韓国政府の努力を紹介し、「韓半島の平和構築で大きな挑戦課題に直面した国として、また2024~2025年安保理非常任理事国候補として、韓国は国内外で女性、平和、安保のアジェンダを実行に移すという約束を再確認する」と述べた。
 同日の演説は、国連安保理の舞台で脱北女性の人権問題を提起した最初の事例だと国連韓国代表部は伝えた。
 第3委員会は人権問題を扱う委員会だが、同日午前に開かれた会議は特に北朝鮮の人権問題だけを議論する場ではなかった。
 また、午後に開かれた安保理会議もジェンダー平等や健康、教育など一般的な女性問題が案件だった。
 韓国政府は同日午前と午後、ニューヨークの国連本部で開かれた会議を、北朝鮮人権問題の深刻性を知らせる機会に活用したわけだ。
 これは国際社会で自由と人権など普遍的な価値守護のために積極的な声を出すという政府方針によるものとみられる。
 現在、韓国は4年ぶりに欧州連合(EU)が準備中の国連北朝鮮人権決議案に共同提案国として参加する案を積極的に検討している。
 これに先立って、韓国は2008年から2018年まで北朝鮮人権決議案共同提案国として参加してきたが、2019年から昨年までは南北関係に及ぼす影響などを考慮して参加しなかった。
 当時文在寅(ムン・ジェイン)政府は不参加理由について「韓半島情勢など諸般の状況を総合的に考慮した」と説明した。
 外交部は前日の定例ブリーフィングで、北朝鮮人権決議案に共同提案国として参加する案を検討中だという事実を明らかにし、「人権は人類の普遍的価値として尊重されなければならず、それによって北朝鮮人権問題も普遍的人権の問題として原則に基づいた一貫した対応が必要だと見ている」と説明した。
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「インドネシア、オランダに「ジャワ原人」など返還要請」

2022年10月20日 | 国家・社会
「 AFP」 2022年10月19日 14:52 発信地:ハーグ/オランダ
■インドネシア、オランダに「ジャワ原人」など返還要請

【写真】オランダ・ライデンの自然史博物館で展示されているジャワ原人の頭蓋骨(2022年10月18日撮影)。(c)Remko de Waal / ANP / AFP
【写真】オランダ・ライデンの自然史博物館のデュボアコレクションの一部(2022年10月18日撮影)。(c)Remko de Waal / ANP / AFP 

【10月19日 AFP】インドネシアは旧宗主国のオランダに対し、植民地時代に取得した「ジャワ原人」の骨など少なくとも8点の美術品や自然史資料を返還するよう求めている。
「ジャワ原人」は初めて確認されたホモ・エレクトスの一種。オランダ・ライデン(Leiden)の自然史博物館(Naturalis)のコレクション中最も重要なものとされている。
 同館は、オランダ人解剖学者で地質学者のウジェーヌ・デュボア(Eugene Dubois)がインドネシア・ジャワ(Java)島で1891~92年に見つけた大腿(だいたい)骨とほぼ完全な頭蓋骨を所蔵している。発見当時、インドネシアはオランダの植民地だった。
 オランダ日刊紙トロウ(Trouw)によると、インドネシアはこのほか、19世紀に植民地政策を進めるオランダに反乱を起こしたディポネゴロ(Diponegoro)王子の乗馬用の手綱、「ロンボク(Lombok)の宝」と呼ばれる黄金製の装身具の返還を求めている。
 オランダの教育・文化・科学省の報道官は18日、インドネシア政府から夏ごろに要請があったと明らかにした。政府が設置する委員会が12月から調査を始め、同省への提言をまとめると説明したが、提言提出の具体的な時期には言及しなかった。
 自然史博物館はトラウ紙に対し、「インドネシアの主張は理解できる」とした上で、自然史資料を文化財と同じように考えていることに驚いたと話した。デュボワがいなければ、ジャワ原人の頭骨は見つかっていないだろうと付け加えた。
 インドネシアは3世紀にわたりオランダの植民地だった、第2次世界大戦(World War II)中は日本の占領下にあったが、1945年8月に独立を宣言。オランダと独立をめぐり戦争となり、オランダは1949年に独立を承認した。
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「日本の教授「日本が東学軍に犯したことを伝えるため調査に通って17年」」

2022年10月19日 | 個人史・地域史・世界史
http://japan.hani.co.kr/arti/international/44858.htm
「The Hankyoreh」 2022-10-19 08:21
■日本の教授「日本が東学軍に犯したことを伝えるため調査に通って17年」
 奈良女子大学の中塚明名誉教授 
 「東学農民軍の歴史を訪ねる旅」 
 日本の13人の市民と共に3年ぶりに訪韓 
 パク・メンス円光大学総長と2006年に開始

【写真】17日、ソウル仁寺洞のある食堂で取材に応じた中塚明教授=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「私が広島にある海軍兵学校(士官学校)予科に入学したのが1945年4月でした。まさに米軍が沖縄に上陸した時期でした。それでもあの時、日本中から4200人の高校生が志願して海軍兵学校に入学しました。日本人はみんな愚かだったというわけです」。
 近代韓日関係研究と日帝の韓国侵略史研究の権威である奈良女子大学の中塚明名誉教授の回顧だ。今年で93歳の高齢にもかかわらず、同氏は「第17回韓日市民が共にする東学農民軍の歴史を訪ねる旅」のために17日、日本の13人の市民と共に韓国を訪れた。
 同氏と円光大学のパク・メンス総長の主導で2006年に始まったこのフィールドワークには、これまでに日本の229人の市民が参加してきた。過去2年間はコロナパンデミックによりオンライン開催となったため、現場を訪ねるのは3年ぶりだ。18日から21日までの4日間の今回の旅で訪れるのは、日清戦争の激戦地である月峯山(ウォルボンサン)、羅州(ナジュ)の東学軍鎮圧部隊駐屯地(錦城館)、井邑(チョンウプ)の無名東学農民軍慰霊塔、全ボン準(チョン・ボンジュン)旧宅、大ドゥン山(テドゥンサン)と牛禁峙(ウグムチ)の古戦場など。19日には、韓日の市民と羅州市が来年に同市に共同で建てることが決まっている東学農民軍慰霊碑の建立候補地も見学する。
 パク総長は「羅州は日本の東学鎮圧軍が駐留したため、東学軍の被害者が最も多かった。暗い歴史の震源地である羅州で韓日の和解と東アジアの平和に貢献しようとの観点から、韓日の市民が共同で慰霊碑を建てることを決めた。東学フィールドワークに参加した日本の方々を中心として1千万ウォン(約104万円)を集め、韓国市民と羅州市がそれぞれ1千万ウォンと3千万ウォン(約313万円)を分担する計画」だと述べた。
 17日に日本からの訪問団と共に取材に応じた中塚教授に、今回の旅に期待することは何かと尋ねると、同氏は「日本人が日清戦争で何をし、東学はなぜ起きたのか、日本人によく考えてもらうこと」だと答えた。そして「羅州は日本軍の東学農民虐殺の根拠地だった。今回のフィールドワークも、韓国についてよく知らない日本人に向けた教育という意味が強い」と強調した。同氏は2年前に羅州韓日学術大会で発表した文章で「東学農民革命の抗日蜂起は東アジアにおいて、帝国主義覇権体制が成立する前夜における、その覇権に対する先駆的な異議申し立てだった」と評価した。しかし日本は依然として、歴史教育において東学のことを西洋に反旗を翻したという程度にしか教えていないというのが中塚教授の指摘だ。同氏はこれまでの東学の旅で得た知見などを加え、今年8月に著書『日本と韓国・朝鮮の歴史』(高文研)の増補改訂版を20年ぶりに出版している。

【写真】中塚教授が8月に出版した『日本と韓国・朝鮮の歴史』増補改訂版//ハンギョレ新聞社

 同氏は、これまでの東学の旅の中で、全羅北道井邑で無名東学農民軍慰霊塔を見た時がもっとも忘れられないと語る。「塔に梟首(罪人の首を切って高いところにぶら下げておく刑)された農民軍兵士の顔が刻んでありました」。来年のフィールドワークはどこを訪ねたいかとの問いには、「東学農民軍は(日本軍に追われて)羅州から長興(チャンフン)、海南(へナム)、珍島(チンド)に渡った。長興と珍島には行ったが、まだ海南はフィールドワークをしていない。いつか訪ねたい」と答えた。
 一方、2018年の最高裁判決以降に悪化した韓日関係の解決策を尋ねてみた。「朝鮮半島の植民地支配が合法だったという日本政府の認識が変わらない限り、この問題は解決できません。日本は違法な植民地支配を認め、謝罪すべきです」
 近いうちに東アジアで戦争の悲劇が繰り返される可能性もあると考えるかと問うと、「よく分からない」としつつ次のように語った。「日本政府は、日本軍が過去にアジアでどんなことをしたのか、今でもよく整理できていません。中国もかつての中国ではありません」
 インタビューの最後に「1945年の日本人は愚かだったとおっしゃったが、今はどうか、賢くなったか」と尋ねると、同氏はこのように答えた。「ある程度はね」。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1063233.html
韓国語原文入力:2022-10-18 18:40
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趙成鳳  추석날 단상 또 다른 삶(秋夕断想 もうひとつの生)   

2022年10月18日 | 個人史・地域史・世界史
■추석날 단상  또 다른 삶■     趙成鳳

 부산 가야동 산 47번지. 내가 태어난 곳이다. 
 오갈데없던 전쟁 피난민들이 주로 살던 곳이다. 
 북청이 고향인 아버지는 전쟁 때 남으로 내려왔다.
 아마도 지금의 가야고등학교 자리쯤일 것이다. 
 신경림시인의 ‘산 1번지’ 에 이 빈민촌의 스산한 풍경이 담겨있다. 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 산 1번지
 해가 지기 전에 산1번지에는
 바람이 찾아온다
 집집마다 지붕으로 덮은 루핑을 날리고
 문을 바른 신문지를 찢고
 불행한 사람들의 얼굴에
 돌모래를 끼어 얹는다
 해가 지면 산1번지에는 
 청솔가지 타는 연기가 깔린다
 나라의 은혜를 입지 못한 사내들은
 서로 속이고 목을 조르고 마침내는
 칼을 들고 피를 흘리는데
 정거장을 향해 비탈길을 굴러가는 

 가난이 싫어진 아낙네의 치맛자락에는 
 연기가 붙어 흐늘댄다
 어둠이 내리기 전에 산1번지에는 
 통곡이 온다. 모두 함께 
 죽어 버리자고 복어알을 구해 온
 어버이는 술이 취해 뉘우치고
 애비 없는 애를 밴 처녀는
 산벼랑을 찾아가 몸을 던진다
 그리하여 산1번지에 밤이 오면
 대밋벌을 거쳐 온 강바람은
 뒷산에 와 부딪쳐
 모든 사람들의 울음이 되어 쏟아진다 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 기억엔 없지만 불이 났다. 
 타다만 낡은 앨범에 두 분의 결혼사진이 반쯤 남아 있었다.
 지금은 그 사진 조차 없다. 

 그리곤 산을 넘어 신암 산자락에 자리를 잡았다.
 지금의 선암초등학교 부근. 그 때도 이 학교는 있었다. 
 학교 뒷산에서 나무총으로 병정놀이를 하던 기억이 남아있다.
 패를 가른 병정놀이가 심해져 날라온 돌에 머리가 터진 적도 있었다. 
 된장 바르고 마무리, 지금도 상처의 흔적이 새겨져있다.
 5-7세 때의 풍경. 

 태풍이 온 날이었다. 집 뒷쪽으로 산사태가 나,
 집 절반을 삼켜버렸다.  
 덕분에 산자락을 떠나 산아래로 내려왔다. 

 비포장도로를 따라 집들이 쭈욱 나열했다.
 집 뒤론 작은 개천이 있고 개천 둑 위론 
 부산진역으로 가는 열차가 다녔다. 
 위성지도로 살펴보니 50년 지난 지금도 그대로다. 
 이 개천을 따라 난 길을 걸어 건널목을 지나 부산진국민학교를 다녔다. 
 여름날 골목골목 아이스케키를 팔던 이를 쫒아다녔고
 밤엔 동네 만화방에 모여 드라마 ‘여로’ 를 봤다. 
 TV를 볼 수 있는 유일한 곳이었다. 

 태풍이 온 날이었다. 
 산에서 폭포처럼 밀려내려온 물들이 집을 덮쳤다.
 까만 밤이었다. 순식간에 목까지 들어찬 물을 헤치고
 겨우 빠져나왔다. 또다시 빈털털이로. 

 이곳에서 아버지가 돌아가셨다. 쉰 둘의 나이에. 
 의료사였다. 동네 병원장은 장례비만 쥐어주고 애도를 표했다. 
 자식 여섯에, 뱃속에 하나, 일곱을 세상에 남겨둔 채 그는 가버렸다. 
 홀로된 그녀의 나이는 서른 여섯이었다. 

 남은 사람들의 삶은 온통 전쟁터였다.
 전쟁통에 내려온 사람,
 전쟁터에 내려놓고 혼자 돌아갔다.

 조계암지 부도터.
 실상사에서 약수암 가는 산길따라 100미터 부근이다. 
 살아 외로웠던 사람 스님 곁, 전나무 아래에 뿌려주었다. 
 불자였으니 스님들도 싫어하진 않을듯 했다. 

 백세주 한 잔에 절을 올렸다.
 추석날 단상

■ 秋夕断想 もうひとつの生■  趙成鳳  金靜美訳

 釜山伽倻洞(釜山鎮区)サン47番地。わたしが生まれたところ。
 行き場所がなかった戦争の避難民たちがおおく住んでいたところだ。
 北靑(プクチョン 註1)が故郷であるアボヂは、戦争のとき、南にやってきた。
 たぶん今の伽倻高等学校のあたりだ。
 申庚林詩人の“サン1番地”(註2)に、こうした貧民村の荒涼たる風景がえがかれている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 サン1番地
 夕暮れ前のサン1番地には
 風がおとずれる
 家いえの屋根を葺いたビニールをふきとばし
 戸に張り付けた新聞紙をやぶき
 不幸な人たちの顔に

 砂ぼこりがこびりつく
 陽が沈むと サン1番地には
 青松の枝が焼ける煙がたちこめる
 くにの恩恵を受けられないおとこたちは
 たがいに欺き 首を絞め はてには
 刃物をもちだし 血を流す
 停車場に向かって 坂道を転がるように急ぐ
 貧しさにうんざりした女たちのチマのすそは
 煙がしみてゆらめく
 闇にひたされるまえに サン1番地には
 慟哭がやってくる みんないっしょに
 死んでしまおうと ふぐの卵を手にいれてきた
 父母は 酔って悔やみ
 父のいない子を孕んだ 未婚の女性は
 崖にたどりつき 身を投げる
 そうして サン1番地に夜が来たら
 大平原をわたってきた強風は
 裏山にぶつかり
 すべての人の泣声になって あふれかえる

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 覚えてはいないが、火事になった。
 焼けてしまった古いアルバムに、ふたりの結婚写真が半分ほど残った。
 いまはその写真すらない。

 そして山を越え、新岩の山のふもとに落ち着いた。
 いまの仙岩小学校付近。そのときも、この学校はあった。
 学校の裏山で、木の銃で兵隊ごっこをした記憶が残っている。
 組に分かれた兵隊ごっこが激しくなり、飛んできた石で頭をけがしたこともあった。
 みそを塗っておわり。いまも傷跡が刻まれている。
 5歳ー7歳の時の風景。

 台風が来た日だった。家のうらで地すべりが起き、
 家の半分を飲み込んでしまった。
 おかげで山のふもとを離れ、山の下に降りてきた。

 舗装されていない道路に沿って、家がずらっと並んでいた。
 家の後ろに小さな川があり、川の土手を
 釜山鎮駅に行く列車が通った。
 衛星地図でみると、50年すぎたいまも、そのままだ。
 この川に沿った道を歩き、渡し木を通り、釜山鎭国民学校に通った。
 夏の日、路地路地でアイスキャンデーを売り歩いた人を追いかけ、
 夜は街の漫画屋に集まり、ドラマ「女路 ヨロ」(註3)を見た。
 テレビを見ることができる唯一の場所だった。

 台風が来た日だった。
 滝のように山からあふれ出た水が家に襲いかかった。
 黒い夜だった。あっという間に首までつかった水をかきわけ、
 ようやく抜け出した。またもやなにもかもなくした。

 ここでアボヂが亡くなった。 52歳で。
 医療事故だった。街の病院長は葬儀費用だけを出し、哀悼の意を表した。
 子どもが6人、お腹にひとり、7人をこの世に残し、彼は行ってしまった。
 ひとりになった女性の年は、36歳だった。

 残された人たちの人生は、すべて、戦場だった。
 戦場の渦中に降りてきた人、
 戦場におきざりにし、ひとりでもどっていった。

 曹渓宗の埋葬地、仏徒たちが埋められている場所。
 實上寺(註4)から薬水岩に行く山道に沿って100メートルほどのところだ。
 生きて孤独だった人、僧のそば、もみの木の下に撒いた。
 仏子だったから僧たちも嫌がりはしないだろうと思った。

 百歳酒一献と礼をささげた。
 秋夕断想


 註1:軍事境界線の北側、咸鏡南道の都市。
 註2:申庚林(1936年生まれ)が1973年に発表したはじめての詩集『農舞』に収録されている。
 註3:「女路」は、1972年4月~12月にKBSで放映されたド
ラマ。
 註4:實相寺は、全羅北道南原にある大韓仏教曹渓宗の寺。

■解説 金靜美■
 この文は、趙成鳳さんが、2020年10月3日、ブログ“진달래산천 つつじの山河”に書いたものである。
 「秋夕」は、日本では“旧盆”にあたり、韓国では、墓参り、実家への帰省の季節である。
 趙成鳳さんは、済州島の4・3烽起を主題にした「레드헌트  RED HUNT」(1997年)、日本軍の性奴隷とされた女性たちを主題にした「보이는 어둠 見える闇」(2003年)、済州島の江丁海軍基地建設反対闘争を記録したシリーズのドキュメンタリー「구럼비 : 바람이분다 クロムビ:風が吹く」(2013年)の監督である。
 趙成鳳さんは現在、朝鮮解放後のパルチザンを主題にしたドキュメンタリーを制作中である。
 その過程で、“진달래산천 つつじの山河”という会を発足させ、日本による壬辰侵略戦争、甲午農民戦争、朝鮮戦争などの跡地を訪ね、そこに生きた人びとの痕跡を訪ね歩いている。
 わたしは、白峨山、智異山、白雲山、大芚山など、5回、山歩きに同行した。山歩きに不慣れなわたしは、いっしょに行った人たちの助けがなければ目的地には辿りつけなかっただろう。感謝している。
 2020年6月16日、全羅南道の『順天 広場新聞』のインタビューに答えて、趙成鳳さんは、パルチザンを主題にしたドキュメンタリー制作にかんして、「わたしが扱いたいのは理念ではない。大多数のパルチザンが生きた生きざまをこめたい」、「かれらの声や表情をつうじて、ひとりの個人が負うにはあまりにも荷が重い歴史の一瞬間をえがきたいが、その作業がかんたんではない」、「パルチザンにとって、山は、智異山は、大自然は、……生存の空間であり、オモニのふところだ」、「この地の辛い歴史がかかえた大自然の美しさもありのままえがきたい」と話している。このドキュメンタリーは、来年には完成させたいという(2020年6月24日、『順天 広場新聞』のデジタルニュースから)。2022年秋、ドキュメンタリーの完成はまぢかなようだ。
   【写真】「曹渓庵がかつてあった場所(趙成鳳さん撮影)」
   【写真】智異山で(2016年6月30日 金靜美撮影)
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「植民地朝鮮より前にアイヌがいた」

2022年10月17日 | 個人史・地域史・世界史
「The Hankyoreh」 2022-10-17 08:43
■植民地朝鮮より前にアイヌがいた
 [ハンギョレS]ホン・ミョンギョの異床同夢 
 日本のアイヌテーマパークの悲しさ

【写真】2008年7月3日、北海道札幌で開かれた先住民族サミット「アイヌモシリ」の参加者が、伝統的な祈祷儀式であるカムイノミに参加している/EPA・聯合ニュース

 7月25日、アイヌ民族の権利回復に一生をささげた小川隆吉さんが86歳で世を去った。彼は1935年に朝鮮人の父親とアイヌの母親の間に生まれたが、強制労働をさせられていた父親は戦争が終わる前に故郷に帰ってしまった。若い頃、アイヌに対する蔑視と差別に苦しんだ彼は、次第にアイデンティティを自覚しはじめ、1995年から北海道アイヌ協会と共にアイヌコモンズ運動とアイヌ民族遺骨返還訴訟を主導した。
 19世紀後半から数十年間にわたり、日本の国立大学は血統研究との名目でアイヌの数千の墓を盗掘した。民族間の遺伝学的地図を描くのがせいぜいだったが、1930年前後のこの作業は当代の日本の支配層の帝国主義的で人種主義的な熱望とつながっていた。1980年代に至り、アイヌの活動家と被害子孫たちは盗掘作業を行った大学を相手取って訴訟を起こし、数十年にわたる訴訟の末、辛うじて100体あまりの遺骨の返還を受けた。2018年には沖縄の先住民である琉球人も、京都大学を相手取って訴訟を起こしている。京都大学内には依然として数千体にのぼる琉球・アイヌ・朝鮮人をはじめとする東アジア被植民地の民衆の遺骨が保管されているという。

◆帝国主義の欲望のスケープゴート「アイヌ」
 広く知られているように、アイヌ民族は非常に古くから19世紀半ばまで「アイヌモシリ」と呼んでいた日本の北部の北海道や秋田県をはじめ、ロシアのサハリンなどの大きな島々の各地に独立的な共同体を築いて暮らしていた。徹底した身分社会だった本土の幕府の支配階級には、アイヌの人々は警戒の対象外である馴染みのない人々と思われているに過ぎなかった。経済や軍事力の面では比較にならなかったが、侵略がはじまったのは明治維新(1868年)期に日本の封建社会が近代国民国家へと移行する過程においてだ。
 「近代化された文明人」を自任していた日本人たちは、警戒の対象外の社会を侵略して自らの植民地とし、これを「文明化」と美化する西洋人の欲望を積極的に受け入れた。明治維新からわずか1年後の1869年、日本政府は「人間の土地(アイヌモシリ)」を「北海道」と命名し、1871年からはアイヌ民族の宗教活動や伝統文化を禁止する政策を展開した。1899年、北海道全域を占領していた日本政府は「旧土人保護法」を制定してアイヌ民族を「外国人」ではなく「かつての先住民」と規定することにより、アイヌ民族は外国人でも国民国家の成員でもないということを公式化した。20世紀初頭を通じてアイヌの人々の強制移住が行われることで、彼らが先祖代々暮らしていた土地と秩序は否定された。日本人はアイヌ民族に強制的に借金を負わせ、返済代わりに土地を永久賃貸したり、日本語の読めないアイヌを酒に酔わせ、無理やり土地契約に署名させるというやり方で追い出したりした。1886年9月3日、現地の「函館新聞」は、適者生存の原理によると文明が発達するほど優越した種族は成功し、劣等な種族は消滅するというのが、アイヌ民族の土着民の例で明確に分かるという内容を報じた。
 日本帝国主義史の研究者であるマーク・ピーティーは、このころの日本の政策を「定着植民地の建設についての実際の経験を事前に提供した事件」と評した。北海道を占領したからこそ朝鮮、台湾、フィリピン、ミャンマーも占領できたのだ。
 日本の敗戦後もアイヌ民族の発言権は制限された。先住民としてのアイデンティティや経験は20世紀には注目されなかった。2017年の北海道庁の「アイヌ生活実態調査」の結果によると、アイヌの人口は約1万3000人で、4年前に比べて4000人減少していた。このように急減したのは、この調査が北海道に限定された調査であるうえ、アイヌ協会員が減少したからだ。保守的な日本社会でアイヌ民族のアイデンティティを明らかにすれば、あらゆる差別に耐えなければならない。国連人種差別撤廃委員会は日本政府に対して全国的な実態調査を勧告しているが、調査はただの一度も行われていない。非公式の推定値である20万人と顕著な差があるのはこのためだ。
 2007年の国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択された際には、日本政府も賛成票を投じた。もはやアイヌ民族の存在は否定できなくなっている。これにより2019年4月、国際的な圧力の中でアイヌ施策推進法が成立し、アイヌ民族は法によって「先住民」として認められた。植民地化150年にして、先住民としてささやかな権利が尊重される枠組みが作られたのだ。法の成立後、参議院国土交通委員会は「近代化の過程で多くのアイヌの人々が苦難を受けたという歴史的事実を厳粛に受け止める」と表明した。
 しかし依然として日本政治は、アイヌ民族の不平等に対する実質的な改善や歴史的な共有資産の認定からかけ離れている。コロナ禍の真っ最中の2020年7月、日本政府はウポポイにアイヌ民族博物館とテーマパークを開設したが、アイヌ民族の活動家たちはこの施設を共同体に対する侮蔑と受け止めている。定着民たちの植民地主義が構築した権力構造を永続化し、むしろアイヌを観光商品へと転落させる措置だからだ。実際にアイヌ民族にはこのテーマパークに対する意思決定権がなく、建設目的は東京五輪時の観光収入増大だった。

◆アイヌの悲劇は彼らだけのものではない
 軍部のクーデターに立ち向かったミャンマー人が出勤と登校を拒否したように、在日朝鮮人が何世代にもわたって抵抗しているように、アイヌの人々も不服従行動を繰り広げている。例えば、1980年代初めから進められていたニ風谷ダム建設事業に対して、そこに住んでいたアイヌ民族はダム建設の手続き的な問題、違法性、環境破壊、先住民差別などを不断に告発し闘った。8年にわたる訴訟の末、札幌地裁は日本の歴史上初めて、アイヌ民族の住民には彼らの文化を享受する権利があり、政府が掲げた洪水などは誇張された脅威であるとの判決を下した。
 日本のアイヌ民族抹殺と商品化政策は、彼らだけの話として片付けられるだろうか。今日、中国の新疆地域で行われている少数民族に対する大々的な弾圧、台湾先住民に対する漢族政権の無視、ロヒンギャに対するビルマ族の弾圧は、これがかなり近しいある話であることを想起させる。曽祖母の代から暮らしてきた中国の地でも、生計のためにやって来た韓国でも心安らげない朝鮮族移住民の現実も、まったく遠い話ではない。彼らに対する憎悪を正当化しておきながら、他国の植民地主義と人種主義を非難できるだろうか。ますます国境を強化する国家権力に従順になるのではなく、境界に立たされている人々を可視化し、境界人の共同体の民主主義を要求すべきなのではないか。

 ホン・ミョンギョ|東アジア研究活動家。プラットフォームC活動家 。東アジアの話を書く。副題にはそれぞれの社会の違いを理解し同じ夢を目指す(異床同夢)という意味が込められている。理想を抱く東アジアの夢(理想東夢)という意味も込められている。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1062788.html
韓国語原文入力:2022-10-15 14:23
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大韓航空機ハイジャックの被害者家族 政府に真相究明要請=韓国

2022年10月16日 | 北部朝鮮
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20211213004700882
「聯合ニュース」 2021.12.13 19:56
■大韓航空機ハイジャックの被害者家族 政府に真相究明要請=韓国
【ソウル聯合ニュース】1969年に韓国江原道・江陵からソウルに向かう大韓航空機が北朝鮮工作員によりハイジャックされた事件で、同事件により連れ去られ、北朝鮮から帰還できずにいる被害者の家族が13日、国家機関「真実・和解のための過去史整理委員会」に真相究明を求める陳述書を提出した。

【写真】陳述書を提出する黄代表(同氏提供)=13日、ソウル(聯合ニュース)

 被害者の家族らでつくる「拉致被害家族会」の黄仁哲(ファン・インチョル)代表は聯合ニュースの取材に対し、「父は憲法の保護を受ける国民なのに政府は北が拉致を否定しているためこの問題を協議できないという論理で(被害者の)送還を要求しない」とし、「公開されていない事実があるかもしれないと考えて調査を要請した」と説明した。
 1969年12月に発生した同事件では乗客乗員50人が北朝鮮に連れ去られ、翌年2月14日に39人が韓国に送還されたが、黄氏の父親を含む11人は戻ってきていない。
 北朝鮮は拉致への関与を否定しているが、国連人権理事会傘下の「恣意(しい)的拘禁に関する作業部会」(WGAD)は昨年、北朝鮮が被害者を「恣意的に拘禁」しているとの判断を下した。
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「北朝鮮、息子の処刑で父を最前列を座らせる…遺体燃やす時に気絶」

2022年10月15日 | 北部朝鮮
https://japanese.joins.com/JArticle/285745?servcode=500&sectcode=500
「中央日報日本語版」 2021.12.16 10:41
■「北朝鮮、息子の処刑で父を最前列を座らせる…遺体燃やす時に気絶」

【写真】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)政権10年間に処刑が続いたが、国際社会の監視と圧力を避けて処刑場所を移し、住民の動員も縮小したという報告があった。処刑は韓国など外部映像視聴・配布容疑が多かったが、金正恩政権がそれだけ住民の意識変化を恐れていることを傍証しているという指摘もあった。
 国際人権団体の転換期正義ワーキンググループ(TJWG)は15日、報告書「金正恩時代10年の処刑地図」で、金正恩執権後の処刑場所に関連する記録が27件あると明らかにした。
 公開処刑された住民に適用された罪目は「韓国の映像を視聴または配布した容疑」が7件で最も多かった。続いて麻薬5件、売春5件、人身売買4件、殺人・殺人未遂3件、淫乱行為3件の順だった。
 処刑場面に関する証言もあった。報告書は「2012年と2013年の間、平壌(ピョンヤン)で処刑される人の家族を最前列に座らせて全過程を見せた」とし「ある父親は息子の遺体が燃やされるのを見て気絶したという陳述があった」と明らかにした。
 パク・アヨン研究員は「金正恩政権が人権状況に対する国際的な監視強化を気にしていることを示唆する」とし「ただ気にしているということであって、人権状況の改善を意味するのではなく、処刑は続いている」と指摘した。そして「秘密処刑や室内処刑のような非公開処刑を鋭意注視する必要がある」と指摘した。
 イ・ヨンファンTJWG代表は「過去には中国との国境付近でも公開処刑があったが、金正恩時代の公開処刑の大半は隠蔽のために国境や都心から離れた恵山(ヘサン)飛行場とその周辺の丘・急斜面・野原などで行われた」と説明した。
 イ代表は「北は昨年、反動文化思想排撃法を制定して韓国映像視聴容疑に対する処刑を合法化し、こうした容疑に対する処刑が活性化した」とし「映像視聴を理由に処刑をするというのは国際的な視点で許されることではない」と批判した。
 同団体は「今後、秘密処刑や室内処刑記録、処刑の決定・執行などに国家機構や個人がどんな役割をするのか把握する命令・指揮体系の研究を進める計画」とし「すべては北の指導部の人権侵害に対する責任追及を強化するという目的の一環」と明らかにした。
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韓国忠南大学、平和の少女像撤去問題めぐり国政監査で質疑応答

2022年10月14日 | 日本軍隊性奴隷
https://japanese.joins.com/JArticle/296563?servcode=400&sectcode=400
「中央日報日本語版」 2022.10.13 17:36
■韓国忠南大学、平和の少女像撤去問題めぐり国政監査で質疑応答

【写真】忠南大学キャンパスの中に立っている平和の少女像

 世宗市(セジョンシ)教育庁で13日、忠南(チュンナム)大学と忠北(チュンブク)大学など地域拠点国立大学に対する国会教育委員会の国政監査が行われた。
 この席で閔炯培(ミン・ヒョンベ)議員は忠南大学の李鎮淑(イ・ジンスク)総長に「日本は依然として慰安婦問題に対し謝罪せずにいる。大学側でこれを象徴する少女像を撤去しようとする理由は何か」として平和の少女像の学内設置に反対する理由を質問した。
 李総長はこの質疑に「学校とはどちらか片側の意見だけを反映する所ではなくさまざまな構成員の意見を聞いて協議すべき機関だと考える。5年という歳月が流れ、これまで構成員が複数回の公聴会を行ったが合意点が導出されなかった。現在、少女像建設推進委員会などと原点に戻って議論している状況だが、円満な合意に達するよう努力したい」と答えた。
 これに対し閔議員は「忠南大学は正義を教育理念のひとつとしている大学なのに、平和の少女像設置に反対することが正義に該当するのか疑問。学内の少女像設置が政治的に敏感な事案に選ばれると言っていたが、どうしてなのか。大学の教育が歴史の価値を守ることができないならばその意味は色あせたのと変わらない。政権与党代表の日本関連発言だけ見てもそうではないのか」と尋ねた。
 李総長はこれに対し、大学側で公式に少女像設置を政治的事案と規定したことはなく、大学の動きと関連して政府の圧力はなかったという事実を明らかにするとともに設置手続き上の問題があった事実を総学生会でも指摘しており、これについて議論していくと話した。
 忠南大学平和の少女像推進委員会は8月15日の光復節夜に忠南大学西門に平和の少女像を奇襲的に設置した。
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「30年続いた「水曜デモ」フェンスの向こうには「少女像撤去」 保守団体の声」

2022年10月13日 | 日本軍隊性奴隷
「The Hankyoreh」 2022-10-13 09:14
■30年続いた「水曜デモ」フェンスの向こうには「少女像撤去」 保守団体の声

【写真】12日昼、ソウル鍾路区の旧日本大使館前の平和の少女像近くで、第1565回定期水曜デモ(前方)が開かれている間、道路の向こう側で少女像の撤去を求める保守団体のメンバーたちがデモを行っている=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 12日昼、ソウル鍾路区(チョンノグ)の旧日本大使館前の平和の少女像近くで、正義記憶連帯の主催で日本軍性奴隷制問題解決のための第1565回定期水曜デモが開かれた。
 肌寒い秋風が吹く中、水曜デモの参加者たちは日本政府の公式謝罪と法廷賠償などを求めた。この日も道路の向こうでは少女像の撤去を要求する保守団体のメンバーたちのデモが行われていた。

【写真】12日昼、ソウル鍾路区の旧日本大使館前の平和の少女像の近くで、正義記憶連帯の主催で日本軍性奴隷制問題解決のための第1565回定期水曜デモが開かれ、参加者たちがスローガンを叫んでいる=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 ある参加者は最近、「朝鮮は内部で腐って滅びた」と書き込んだ与党「国民の力」のチョン・ジンソク非常対策委員長のコメントについて、「チョン委員長は日本帝国主義が朝鮮侵略の大義名分として掲げた典型的な植民史観を示した」と批判した。

【写真】12日昼、ソウル鍾路区の旧日本大使館前の平和の少女像の近くで開かれた第1565回定期水曜デモで、参加者たちがプラカードを持っている=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社
【写真】12日昼、ソウル鍾路区の旧日本大使館前の平和の少女像の近くで、第1565回定期水曜デモが開かれている間、平和の少女像を守っているメンバーたちがフェンスに閉じ込められた少女像の前で集会を開いている=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

シン・ソヨン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1062350.html


https://japanese.joins.com/JArticle/296509?servcode=A00&sectcode=A10
「中央日報日本語版」 2022.10.12 15:23
■ドイツ平和の少女像、設置期限過ぎたが「戦時性暴行」記念碑設置まで維持検討

【写真】ドイツ・ベルリンで少女像の撤去を主張する韓国市民団体

 ドイツ・ベルリン市ミッテ区に設置された「平和の少女像」が先月末で設置期限が過ぎたが、他の記念碑が立てられるまで存続されるものとみられる。
 ミッテ区に設置された「平和の少女像」は先月28日で設置期限が満了した。2020年9月に初めて設置された後、日本軍慰安婦問題を国際社会に知らせる役割を果たし、昨年追加で1年延長して保存されることが決まった。
 少女像を担当するミッテ区側はJTBCに送った電子メールで「区議会が区庁に『戦時性暴行』というテーマを包括的に扱う記念碑が立てられるまでは『平和の少女像』設置を延長してほしいと要請した」とし「この要請を検討中」と回答した。
 これに伴い、少女像は新しい記念碑が設置されるまで当面は撤去されない見通しだ。少女像を設立した団体は、この機会に記念碑とは別に少女像も永久的に保存されるように働きかけを続ける予定だ。
 コリア協議会のハン・ジョンファ代表は「今年6月21日に区議会では少女像を公式記念碑に認定し、(少女像と別で記念碑の)公募展をすることを提案した。ミッテ区に連絡してこの案が考慮されるように努力している」と述べた。
 一方、今年4月には岸田文雄首相がドイツのオーラフ・ショルツ首相に少女像を撤去するよう要請していた。
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日本企業いまだに徴用被害者に賠償・謝罪せず 韓国最高裁判決4年

2022年10月12日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20221012000900882?section=news
「聯合ニュース」 2022.10.12 09:36
■日本企業いまだに徴用被害者に賠償・謝罪せず 韓国最高裁判決4年
【東京聯合ニュース】韓国大法院(最高裁)が日本企業に植民地時代の韓国人徴用被害者への賠償を命じる判決を出してから、今月30日で丸4年となる。加害者側の日本企業は、被害者に慰謝料を支払うことを今もなお拒んでおり、謝罪の意思を読み取ることも難しい状況が続く。韓国では、韓日両国の企業と韓国政府、あるいは日本政府も参加する基金を設立して被害者に慰謝料を支給することが提案されているが、日本企業はこの案にも明確な態度を示していない。

【写真】三菱重工業の本社=(聯合ニュース)
【写真】日本製鉄の本社=(聯合ニュース) 
【写真】日本外務省=(聯合ニュース) 
【写真】徴用被害問題の解決を促す市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」共同代表の高橋氏=(聯合ニュース) 

 被告のうちの1社、日本製鉄(判決当時は新日鉄住金)の関係者は12日までに、基金の設立が推進される場合に資金拠出の意向があるか尋ねる聯合ニュースの取材に、仮定の質問には回答を控えていると述べた。同社の認識として、この問題は1965年の韓日請求権協定により完全かつ最終的に決着していると説明した。日本政府の論調とほぼ変わらない。原告に謝罪する考えはあるかとの質問にも、先ほどの説明と同じ立場と答えた。
 もう1社の被告、三菱重工業の関係者への取材では、基金設立の検討は韓国国内での動きで、同社としてコメントする立場ではないとの答えだった。謝罪の意向の有無に関しても、同社は以前から韓日請求権協定により完全かつ最終的に解決されたという立場を取っているとしながら、謝罪と請求権協定を別途の問題とは考えていないとの趣旨の発言をした。
 2社とも基金への資金出資と謝罪に否定的な雰囲気をうかがわせながらも、明確な回答は避けた格好だ。両社は共通して、日本政府と歩調をそろえる姿勢を強調した。日本製鉄の関係者は、日本政府と協力しながら適切に対応したいと述べ、三菱重工業の関係者も日本政府と協力して対応している状況と答えた。
 徴用問題の解決を促している日本の市民団体の関係者は、こうした日本企業のあいまいな態度の背景に日本政府の存在があるとし、政府の対応が鍵を握ると分析した。市民団体「日本製鉄元徴用工裁判を支援する会」の矢野秀喜事務局次長は、日本製鉄がはっきりとは基金などを拒否する意思表示をしていないと受け止め、政府の態度が変われば、政府の反応をうかがう日本製鉄も対応に乗り出すことになるとの見方を示した。
 別の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の高橋信共同代表は、三菱重工業が判決の履行と謝罪、未払い賃金の支払いを完了しない限り、問題は解決されないと指摘した。この団体は三菱側に賠償を促す行動を毎週金曜日に実施しており、今週14日も予定している。
 日本外務省は日本政府や日本企業による基金への資金拠出に関する聯合ニュースの取材に、仮定の質問や報道された内容一つ一つへの回答は差し控えるとした。
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