三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

【報告】民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の崩壊

2022年10月28日 | 海南島近現代史研究会
【報告】民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の崩壊
                             佐藤正人

 この報告は、一年前の2021年10月26日、10月27日にこのブログに掲載した「【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか」に続くものです。
 「改組三会」は、発生時から崩壊を始めていました。
 
■(一)2019年10月から2021年5月まで
【1】海南島近現代史研究会会員の一人が剽窃行為を重ねていた
 2019年10月12日に、わたしは、当時海南島近現代史研究会の事務局長であった斉藤日出治さんに、「海南島近現代史研究会の研究の本質にかかわる悪質な発言、および実質的な剽窃問題について」を送信し、斉藤日出治さんが剽窃をおこなっていた事実を本人に指摘し、この問題について質問を始めました。
 しかし、斉藤日出治さんは、いつまでたっても自分が実質的剽窃作業をおこなっていた問題にかんする重要な質問にまともに応えるように誠実に努力することができずに、4か月あまり後の2020年2月18日に「脱会の通知」を送信しました。斉藤日出治さんが「脱会」した理由のひとつは、斉藤日出治さんの剽窃行為です。
 「脱会の通知」以後、斉藤日出治さんは、会と会員にかんする悪辣な暴言・虚言をくり返しました。
 2020年2月29日に、斉藤日出治さんは、
    「佐藤さんがぼくを「剽窃」呼ばわりしたことは個人攻撃ではないのでしょうか」、
    「「剽窃」というのは、その言葉を発した本人の意図とは関係なしに、私的所有権の侵害と言う
   意味を不可避的にともないます。私的所有権の侵害とは、他人の私的所有物を対価なしに自分の
   私的所有物とすることです」、
    「ぼくは、今回のぼく自身の行為について、「剽窃」と盗人呼ばわりされるものではなく、研
   究会の共同の成果の引用や模倣と考えています」、
    「引用や模倣は他者とかかわるあり方であって、道義的に非難されるべきものではないのです。
     ひとはつねに他者との関係において存在する。たがいに他者を模倣し引用することによって
   自己のパーソナリティをつくりあげていくのが人間です。模倣や引用なしに創造的な活動は生ま
   れません。模倣や引用はおおいにやるべきなのです」
と自分の剽窃行為を「引用や模倣」に置き換えて滑稽で無残な弁明・「解説」をはじめました。
 2020年3月10日に斉藤日出治さんは、「ぼくは自分の事実誤認も、物書きとしてのモラルの逸脱も認めています」というメールを送信しました。このメールで斉藤日出治さんは、剽窃を「事実誤認」と言い換えていました
 その後斉藤日出治さんは、長年の偽りの「歴史叙述」も剽窃文も、現在(2022年10月)まで放置し続け、取消していません。斉藤日出治さんは、用語を正確に使わず、数多くの意味不明の非科学的な「解説」なども書いていました、
 2020年9月26日に斉藤日出治さんは、「佐藤正人さんと金靜美さんによる会の私物化を廃して、みんなで会の民主的な運営を進めましょう」という表題の虚偽に満ちた「作文」を送信しました。
 そこには、「斉藤の歴史叙述を「剽窃」だと認定することも、「社会問題化する」と言うことも、ほかの会員の了解を得ているわけでも、会の公式見解であるわけでもありません。そのすべてが佐藤さんの独断で行われています」という奇妙な「説明」と、「(「斉藤の歴史叙述を」)「剽窃」と判断する根拠も説明が不明確なままです」という偽りが書かれていました。
 斉藤日出治さんが剽窃行為を重ねてきているという事実を、「佐藤正人さんと金靜美さんによる会の私物化」という虚偽のコトバによって消し去ろうとするこの「作文」の末部には、「2020年9月21日 提案者 「わたしたちの会のありかたについて意見交換会」参加一同」と書かれており、その「一同」の氏名(斉藤日出治、竹本昇ら9人)も書かれていました。
 2019年10月12日に、斉藤日出治さんの剽窃行為を指摘し批判し質問するとき、わたしは、はじめは、「剽窃」と書かないで「実質的な剽窃」と書きました。金靜美さんは、斉藤日出治さんの剽窃行為を指摘するとき、「実質的な」という修飾語は使わず、「ひょうせつ」と書きました。斉藤日出治さんがひょうせつをおこなっているとはじめて指摘したのは金靜美さんでした。斉藤日出治は、これまで金靜美さんの指摘にたいしても、これまでまともに答えていません。
 2022年9月19日に、金靜美さんは、斉藤日出治さんや竹本昇さんらにつぎのようなメールを送信しています。 
    わたしは以前、斎藤日出治さんが書いた海南島「現地調査」にかんする文章などを分析して、斎藤
   日出治さんが侵略者の思想を克服できていない、と斎藤日出治さんに書き送ったことがありまし
   た。
    それだけでなく、斎藤日出治さんは、ひょうせつをしているとも書きました。
    斎藤日出治さんのひょうせつは、佐藤正人さんだけが指摘しているのではありません。
     1、自分の文章が、はじめて、その問題に言及したものであるかのように書く。ひょうせつ
     です。
     2、筆者が自分の文章が依拠したとして注記した資料の当該頁を、第三者があたっても、そ
     のような内容はない。 ひょうせつです。
     3、自分がじっさい見てはいない資料を、見たとして、注記資料に挙げている。ひょうせつ
     です。
    ここでは具体的に、斎藤日出治さんのどの文章にかんするどの部文かは書きませんが、すべて、
   以前、斎藤日出治さんに具体的に指摘しました。またここでは、象徴的な3点だけ、書きました。
    斎藤日出治さんは、ひょうせつだけでなく、証言の「創作」など、歴史偽造をしていることも、
   斎藤日出治さんに指摘しました。
    そして、佐藤正人さんもわたしも、斎藤日出治さんが自力で訂正するように提案をしました。
    斎藤日出治さんからは、きちんとした返信はありません。
    ひょうせつしたかどうかは、斎藤日出治さんが一番自覚していると思います。

【2】盗奪と盗用という犯罪
 2020年10月16日に、斉藤日出治さんは、件名のないメールに、「会のありかたについてみんなが集まって議論しようと決めて,追悼集会を予定し、その案内を発送するために封筒を使わせていただきます。これは斉藤個人の判断ではなく、みなさんの総意です」と書いて送信してきました。このとき斉藤日出治さんは「みなさん」の実体を示していません。
 2020年10月18日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』編集・印刷・郵送を担当している金靜美さんが、斉藤日出治さんに『会報』65号・20号郵送用の封筒返却を求めました。
 2020年10月23日に、斉藤日出治さんは、「集会案内を発送するために、会の活動のために、封筒を使いました。会報は昨年に引き続いて今年も発送することができません」と書いたメール(件名: Re: 斉藤日出治さんの封筒流用(正確には盗用)、および剽窃について)を送信してきました。このとき、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の『会報』65号と紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』20号の発送日が切迫していました。
 その後まもなく、斉藤日出治さんは、竹本昇さんと共謀して、その封筒を盗用して、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会のご案内」・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」という名の偽りの「追悼集会」を2020年11月7日に開催するという「ご案内」を、差出人を「竹本昇」として『会報』65号・20号の読者に郵送しました。封筒盗用は、同時に住所録・会員名簿の盗奪でした。
 その「ご案内」で、斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会が2019年秋に作成して郵送した「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会のご案内」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」の案内の数字を26から27に、12から13に変え、構成・文章をそのまま使い、あたかも2019年の追悼集会に続く集会の案内であるかのように細工し、偽りの「追悼集会」(「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」)の主催者が三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会であるかのように読者を欺こうとしていました。

【3】偽りの「追悼集会」開催という犯罪と「改組三会」という「会」の発生
 2020年11月7日昼に、斉藤日出治さんと竹本昇さんらは、偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」を開催しました。
 その偽りの「追悼集会」のあと、剽窃者・盗奪者斉藤日出治さんと盗奪者竹本昇さんをふくむ何人かが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会に似せた名称の「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働物(李基允・裵相度)を追悼する会」を新作し、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会を詐称して「総称改組三会」を作成しました。◆注記①
 剽窃者はしばしば剽窃するときに原文の一部を変えます。
 2021年4月30日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会代表であり紀州鉱山の真実を明らかにする会事務局長である金靜美さんが、竹本昇さんが一時的にあずかっている三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会の展示用パネルを受けとりに行くと発信しました。◆注記②
 2021年4月30日に、竹本昇さんは、「金静美さんのこの申し出をお断りします」と返信しました。
 このとき竹本昇さんが横領・盗奪した展示用パネルは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会のものですが、そのおおくは在日朝鮮人金靜美さんの原稿に基づいてつくられたものです。◆注記③
 2021年5月1日付けで『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会 総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」(総18頁)が出されました。
 この「冊子」で、「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」という名の「会」が紀州鉱山の真実を明らかにする会および海南島近現代史研究会と共に「改組三会」を名のったことが明らかになりました。
 「改組三会」という「会」は、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会を詐称する「会」でした。民衆運動を実践している会の名を詐称する行為は、その会の運動の内実を奪おうとする空疎な行為です。
 在日朝鮮人金靜美さんは、緻密な調査、丹念な史・資料探索と綿密な分析、数10回の聞きとりなど、徹底的な実証研究をおこない、1988年10月に、「三重県木本における朝鮮人襲撃・虐殺について(一九二六年一月)」を発表しました(『在日朝鮮人史研究』第18号、1988年10月30日発行)。
 この原稿執筆中に、金靜美さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の創立準備をすすめていました。三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、在日朝鮮人金靜美さんの行動なしには1989年に創立されなかったと思います。
 1994年10月に三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、追悼碑を建立しました、その碑文に三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、
     わたしたちは、ふたたび故郷にかえることのできなかった無念の心をわずかでもなぐさめ、
              二人の虐殺の歴史的原因と責任をあきらかにするための一歩として、この碑を建立しました。
と刻みました。
 追悼碑建立後の三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の歩みの途上で、民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われました。
 木本の日本人集団によって命を奪われ故郷にかえることができなかった李基允さんと裵相度さんの無念の心をわずかでもなぐさめ、お二人の虐殺の歴史的原因と責任をあきらかにするための一歩として追悼碑を建立した三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の運動思想をみずからのものとしようとしている一人であるわたしは、剽窃者斉藤日出治さんをふくむグループが「新造」した「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」の空疎で悪質な「思想」を、怒りをもって軽蔑します。
 『総称改組三会 会報第1号』の5頁に、「総会で選出された運営委員」は、「下記の9人」(竹本昇、久保井規夫、斉藤日出治……」)と書かれていました。「改組三会」の「運営委員」になった時に、久保井規夫さんは、海南島近現代史研究会の会員でなくなりました。
 久保井規夫さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの副会長であり、斉藤日出治さんは、かつて、海南島近現代史研究会創立時からの事務局長でした。斉藤日出治さんと竹本昇さんは、かつて、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の創立期からの会員でした。

■(二)2021年5月から2022年10月まで
 2021年5月1日付けで、事実と異なる虚偽の「歴史記述」、非論理的で悪質な虚論・空論で満たされている『総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」が発行されました。
 2021年9月19日に、同年4月30日から展示用パネルを盗み続けている竹本昇さんが、「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」というメール発信しました。このメールに「改組三会」の「運営委員」全員は誰一人反対せず、パネル盗奪を黙認・追認しました。◆注記⑤
 2021年9月22日・23日に、竹本昇さんは、「紀州鉱山の追悼碑の土地は、5人の共有になっており、竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」という意味の主張を発信しました。
 2021年11月27日に、「改組三会」という「会」は、「熊野の朝鮮人追悼集会」という名の「追悼集会」を開催しました。斉藤日出治さんと竹本昇さんらは、2020年11月7日に、偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と偽りの「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」を開催しましたが、2021年にはそれに続く「追悼集会」を開催できませんでした。
 2020年11月に斉藤日出治さんと竹本昇さんらが、「改組三会」という「会」を作成してから2021年11月までの1年の間に、「改組三会」という「会」が実行した「社会的行為」は、①『総称改組三会 会報第1号』(16頁)の2020年5月1日付け発行と、②2021年9月の三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会の展示用パネルの盗奪と、③活動報告皆無の『総称:改組三会 会報第2号』(8頁)の2021年11月10日付け発行と、④「熊野の朝鮮人追悼集会」という名の「追悼集会」の開催でした。
 2022年2月2日に、久保井規夫さんが、「改組三会」の「運営委員を辞退」しました。
 同年5月7日に、竹本昇さんは、「改組三会をやめました」という件名のメールを金靜美さんに送信しました。
 「改組三会」脱会後も、竹本昇さんは、斉藤日出治さんとともに展示用パネルを横領・盗奪し続けました。
 同年7月11日に、竹本昇さんは、展示用パネル横領・盗奪という犯罪を続けつつ、金靜美さんに、「追悼集会だけは旧三会と改組三会が合同で開催されてはどうでしょうか」と「提案」し、続いて7月28日に、「私が言うのもなんですが、旧三会と改組三会は、もう一度、一緒にやっていくことについてご検討いだだけませんか」と「お願い」しました。◆注記⑥
 2022年7月25日に斉藤日出治さんは、「佐藤ブログについて」という件名のメールを発信しました。
 それは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログを「佐藤のブログ」と呼び、ブログにかんする虚偽および佐藤正人についての虚偽を語っているものでした。◆注記⑦

■(三)竹本昇さんと斉藤日出治さんは、日々、盗奪者として生きている
 竹本昇さんと斉藤日出治さんが盗奪、盗用という犯罪を開始したのは、2020年10月後半でした。
 竹本昇さんと斉藤日出治さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の展示用パネルを盗奪し、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の代表である金靜美さんの返還要求を拒否し続け、いまも返却していません。
 斉藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の『会報』65号および紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』20号を郵送するための封筒盗用を、いまだに、謝罪しておらず、封筒を返済していません。
 竹本昇さんと斉藤日出治さんは、盗奪を反省し謝罪することができず、毎日まいにち、盗奪者として生きています。
 斉藤日出治さんは、公表している虚偽の「歴史叙述」や剽窃作文を放置し続けています。
 斉藤日出治さんは、歴史叙述における剽窃問題、虚偽記述、封筒盗用などについての質問に、いまだに、まともに答えていません。
 「改組三会」が発生したのは、海南島近現代史研究会の事務局長であった斉藤日出治さんが剽窃と歴史偽造(虚偽の「歴史叙述」)を重ねていた事実が明らかになってからでした。
 斉藤日出治さんは、史・資料に基づかず、自分が読んでいない資料名をあいまいなかたちで示して、史実ではないことを(すなわち、虚偽を)書いて2014年春から(あるいは、それ以前から)剽窃と歴史偽造始めていました。◆注記⑧
 その事実にわたしがはっきり気づいたのは、あまりに遅く、2019年8月24日の海南島近現代史研究会第13回総会・第24回定例研究会の後でした。

■(四)斉藤日出治問題・竹本昇問題発生の社会的・思想的原因。
 斉藤日出治さんと竹本昇さんの盗奪犯罪、斉藤日出治さんの剽窃犯罪と歴史偽造犯罪は、国家犯罪より小さな問題ですが、その質は同じです。
 「改組三会」という偽会は、斉藤日出治さんと竹本昇さんだけでは、発生させることができなかったでしょう。民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の発生を支持し、その偽会に参加する者がいなければ、「改組三会」という偽会は発生しなかったでしょう。
 このことは、ヒトラー、ヒムラー、ゲ―リングらだけではドイツ帝国のポーランド、フランス、チェコ……侵略が不可能だったこと、ヒロヒトらだけではモンゴル、中国、ベトナム、フィリピン侵略が不可能だったこと、プーチンだけではチェチェン、ウクライナ侵略が不可能であったこととつながっています。
 日本国民のおおくが支持・参加しなければ、国民国家日本が朝鮮を植民地化することは不可能でした。
 李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が除幕されたのは1994年11月20日、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑が除幕されたのは2010年3月28日でした。
 斉藤日出治問題と竹本昇問題は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会という民衆組織が結成される以前から生まれていたと考えられます。
 この問題は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会という民衆組織の結成後に大きくなってき、顕在化してきました。
 この問題の根は、斉藤日出治さん個人と竹本昇さん個人の思想性、感性、人間性、正義感の欠如だけにあるのではないと思います。
 「改組三会」発生後、これまで2年間、わたしは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の会員、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員、海南島近現代史研究会の会員の一人として、「改組三会」という「会」の出現を許してしまった原因を考えてきました。
 「改組三会」問題は、現在の日本社会が生み出した問題だと思いますが、この問題が出てくる前にわたしができること、やるべきことがあったと思います。
 8年前、2014年10月に、わたしは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログに「木本トンネルの道」を連載しました。そのおわりに、わたしは、
    木本虐殺(熊野虐殺)から80年が過ぎた。
    木本トンネルの道をたどり、国民国家日本の他国他地域侵略の歴史を総体的に追及し、国民
   国家日本の侵略責任(植民地支配責任・戦争責任・戦後責任)のありかを具体的に把握し、責任
   をとらせていく(責任をとっていく)努力を、おおくの人たちとともに、さらに続けていきたい。
と書いていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする