三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「関東大震災 99年目の追念式  朝鮮人虐殺の真相究明が私たちの責務」

2022年10月01日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=1&page=1&number=27772&keyfield=&keyfield1=&key=
『民団新聞』 2022年9月15日
■関東大震災 99年目の追念式
 各地で犠牲者しのぶ
 悲惨な歴史語り継ぐ
 繰り返させぬために

【写真】祭壇に献花する尹徳敏駐日韓国大使(韓国中央会館) 
【写真】今年が最後となった船橋支部での追念式で追悼辞を述べる張恒星支団長
【写真】民団埼玉本部の役員らは3カ所での慰霊祭を巡回してて参列した(左から上里町、本庄市、熊谷市) 
【写真】韓国人慰霊碑の前にたたずみ、李団長を先頭に一人ずつ香を手向けた(横浜・宝生寺) 
【写真】木根川橋下手での追悼式では「プンムル」での供養も

 関東大震災から99年を迎えた1日、東京、神奈川、千葉、埼玉の各地でも民団の主催する慰霊・追悼行事が行われた。各地とも来年の「100年」を見据えて、「人災を二度と繰り返すことのない社会にすることこそが私たちの使命」との誓いを新たにした。

◆船橋支部会館最後の追念式
 【千葉】民団千葉・船橋支部(張恒星支団長)の「追念式」は同支部会館で営んだ。この2年間、コロナの関係で民団と婦人会の支部役員だけが参列し、ひっそりと開催してきたが、同支部での開催が最後となる今年は、例年になく多くの同胞が参列した。
 同支部の民団と婦人会役員をはじめ、千葉県が地元でもある、民団中央本部の呂健二団長と李根茁副団長、駐日韓国大使館の裵京澤総領事も参列した。市川・浦安支部の金鎭得顧問、千葉韓国教育院からは李淳任院長、横浜幸銀船橋支店長ら20数人が献花に訪れた。
 追念式はまず、震災が発生した午前11時58分に参列者全員で黙祷を捧げ、張支団長の代表献花と追念辞で始まった。
 張支団長は「全く根拠のない流言蜚語が飛び交い、罪のない同胞たちが無残にも虐殺された。99年を経た今でも、断腸の思いだ。改めて参列された皆さんとその魂を慰めたい」としながら、「日本国内では近年、『虐殺は事実ではない』とか、『暴動を抑止するための正当防衛だ』との言い換えがネット上にあふれている。真の歴史を後世に語り継ぎ、人災を二度と繰り返すことのない社会にすることこそが私たちに課せられた使命だと強く認識する」と強調した。
 大震災当時、通信網が途絶したなか、船橋の海軍東京無線電信所船橋送信所は流言蜚語を日本全国に伝える役割を果たした。そればかりか、船橋送信所は周辺住民に武器を渡して警備させ、自警団事件にも大きくかかわった。
 呂健二団長は「来年、100年を迎えるが、民団としても、この問題をしっかりと再確認し、悲惨な歴史の教訓として未来に語り継ぐ契機にしよう」と述べた。
 あわせて、同胞300人の命を守り抜いたという、警察署長のエピソードなどを紹介しながら、『忘れることはできなくても、許すことはできる』と述べ、た元南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラ氏の言葉を引き合わせながら、「この言葉を大事にしながら、未来志向で共生社会実現を」と強調した。
 裵総領事も「震災で犠牲となった同胞を慰霊する追悼行事が毎年、民団各地で開催されていることに敬意を表すとともに、忘れてはならない。来年100年という節目を迎えるに当たり、大使館をはじめ韓国政府としても高い関心を持っており、積極的に支援していく」と述べた。
 流言飛語を信じた自警団は余震が続く東京方面から避難してきた朝鮮人を市川、船橋などで待ち構え、虐殺事件をおこした。当時、建設途中だった北総鉄道(現・東武野田線)の工事で働いていた朝鮮人労働者とその家族も犠牲となった。
 千葉県では船橋のほか、成田、市川、習志野、千葉市などでも同胞が犠牲となったが、同支部で開催してきたのは、船橋地域での犠牲同胞が最も多いと言われていたからだ。
 ただ、毎年、本部をはじめ県下支部のメンバーも参列しており、事実上の民団千葉全体の追念式となってきた。
 張支団長によると来年、震災から100年を迎えることを契機に、開催地を本部に移すことを検討しており、事実上、今年が最後の開催となる。

◆尹徳敏大使も参列…東京本部は中央会館で
 民団東京本部(李壽源団長)は、東京・港区の韓国中央会館で挙行した。
 今年も新型コロナウイルス感染拡大の関係で参加対象を制限。本部と各支部代表、婦人会、青年会など傘下団体から約70人と駐日韓国大使館から尹徳敏大使らが参列した。
 東京本部の徐廷敏副団長が経過報告で「99年経った今も日本政府による真相究明、犠牲者に対する謝罪や補償責任も果たしていない」とし、「そればかりか、近年、横行しているヘイトスピーチと歩調を合わせ、歴史の修正や外国人を排除する風潮は、人種差別を助長し多くの在日同胞社会の安全と生活を脅かしている」と強調、「民団は、これからも在日同胞社会の安定と共生社会の実現のために邁進していこう」と呼びかけた。
 尹大使をはじめとする代表献花後、李団長が追悼辞で「私たちは今一度、この地で子々孫々が安心して平和に暮らせるよう、在日同胞社会を民団を中心に新定住同胞と団結し、地域住民として共生共栄社会の構築に尽力する」と霊前に誓った。
 この後、参列者全員が順に献花をした後、大震災が起きた午前11時58分に約1分間の黙とうをささげた。

◆埼玉は上里町・本庄・熊谷の3カ所で開催
 【埼玉】埼玉では東京から被害を恐れて非難してきた同胞が、「朝鮮人が放火した」「暴動を起こした」といったいわれのないデマを信じた自警団によって虐殺された。
 犠牲者数について正確な記録は残されていないが、民団埼玉本部(崔洛文団長)は当時の報道や資料などをもとに少なくとも260数人だったとみている。
 事件現場を抱える上里町と本庄、熊谷両市が1日、今年も独自に犠牲者を弔う催しを行った。コロナ禍のため3自治体とも縮小開催。民団埼玉本部も参加者を10人前後の代表だけに絞った。民団中央本部から鄭夢周副団長、駐日韓国大使館から梁鎬錫主席教育官もそれぞれ参列し、犠牲者の冥福を祈った。
 10時から安盛寺で始まった上里町主催の慰霊祭で山下博一町長は「このような惨事が2度と起きないよう、歴史を教訓にしていかなければならない」と呼びかけた。山下町長も小学生のころ、震災で犠牲(虐殺)者が出たことを父親から聞いたことがあるとのこと。
 本庄市の追悼式は長峰墓地で行われた。吉田信解市長は「天災によって引き起こされる人災を絶対避けなければならない」と述べた。
 熊谷市は市営斎場で開いた。小林哲也市長は「再びこのような過ちを起こさないため、歴史を公正に正しく語り続けていかねばならない」と強調した。

◆民団神奈川は宝生寺で慰霊法要祭
 【神奈川】民団神奈川本部(李順載団長)は1日、横浜市南区堀ノ内の高野山真言宗の仏教寺院宝生寺(佐伯真魚住職)境内で慰霊法要祭を少人数で執り行った。境内には太極旗が掲揚され、駐横浜総領事館から尹喜粲総領事、民団中央本部から金勇光副団長が参列した。
 同寺には当時の社会事業家、李誠七氏が納めた位牌がある。表には太極旗が描かれ、中央に「大正十二年九月二日虐殺韓国人諸霊位」と書かれている。位牌に記した9月2日という日は「朝鮮人殺しが始まった悲しい思い出の日」(李氏の話)だった。
 本堂で読経の続く中、震災が勃発した11時58分になると、民団職員が境内の鐘を打ち鳴らし始めた。慰霊の打鐘は15秒間隔で9回続いた。これは震災当日、人体が感じたとされる余震936回を象徴したものと思われる。
 読経が終わると、参列者は「関東大震災 韓国人慰霊碑」の前にたたずみ、李団長を先頭に一人ずつ香を手向けた。碑は1970年9月1日の例祭の折、孫張翼氏、田炳武氏、鄭東仁氏が中心となり起草。71年に建立された。土地は先代の佐伯真光住職から提供を受けた。
 慰霊法要祭は大震災翌年の1924年から継まれている。李氏が亡くなってからは民団神奈川本部が遺志を引き継いできた。

◆荒川河川敷でも追悼式…来年に向け100周年実行委員会構成「ほうせんか」
 関東大震災時、東京都墨田区と葛飾区四つ木の間の荒川(放水路)にかかる木製の旧四つ木橋の袂で自警団と軍隊による同胞虐殺が行われたとされる。虐殺現場から約100㍍下流の木根川橋下手で行われた市民団体主催の犠牲者追悼式には約320人が参加した。今年で41回目。
 主催者を代表してあいさつした一般社団法人「ほうせんか」の西崎雅夫理事が「いまだに虐殺の全体像は解明されておらず、遺骨を探し続けている遺族もいる。一人ひとりが大事な問題として考えていく姿勢が大事だ」と呼びかけた。
 地元葛飾生まれの在日2世、李政美さんが韓国の国民的な歌曲「鳳仙花」などを歌って犠牲者を追悼。伝統芸能の「プンムル」も披露された。
 旧四つ木橋での虐殺は当時、足立区の小学校教師だった絹田幸恵さんが、荒川放水路の歴史を調査する過程で流域の古老から聞いた。その遺骨はいまも河川敷に埋められたままになっているとの証言を受けて1982年、追悼する会を発足した。
 あれから40年、証言を集め、記録として本を刊行し、現場近くの私有地に追悼碑を建立してきた。来年の100周忌追悼法要は次代を担う「鳳仙花100周年追悼式実行委員会」が担う。


http://japan.hani.co.kr/arti/international/44452.html
「The Hankyoreh」 2022-09-02 07:14
■関東大震災99年追悼式「朝鮮人虐殺の真相究明が私たちの責務」
 韓国の「関東虐殺100年追悼事業推進委員会」も出席 
 右翼団体の妨害集会、今年も開かれる 
 小池東京都知事、6年間追悼送付を拒否

【写真】日本の市民団体などで構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」は1日、東京都墨田区横網町公園で99年追悼式を行った=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 1日午前11時、東京都墨田区横網町公園。日本の市民団体などで構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」が99年追悼式を行った。30度を超える猛暑にもかかわらず、関東大震災当時に集団虐殺された朝鮮人の鎮魂のために、日本市民と韓国市民団体、在日コリアンなど300人余りが席を埋めた。
 追悼式を準備した宮川泰彦実行委員長は「日本政府は99年が過ぎた今でも、関東大震災の真相に向けた調査や殺された人の遺族に対する謝罪と補償などに取り組もうとしない。東京都も同様だ」と指摘した。宮川委員長は「悲惨な歴史的事実を忘れずに伝えていくことが、今を生きている私たちの責務だ。100年になる来年も、その後も追悼式を続ける」と述べた。 日本の市民団体は1974年から追悼式を続けている。
 関東大震災は1923年9月1日午前に発生したマグニチュード7.9の大規模な災害だ。当時「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが広がり、自警団が朝鮮人や中国人、日本人の社会主義者などを虐殺した。警察と軍の一部も加わっており、朝鮮人虐殺の被害者は数千人に達するものと推定されている。
 韓国の「関東虐殺100年追悼事業推進委員会」(推進委)関係者も追悼式に出席した。ソン・ミヒ推進委共同代表は「日本政府が歴史的事実を否定し真実を隠してきた99年の歴史を、100年目を迎える来年まで繰り返さないことを願う」と述べた。ソン代表は「虐殺の真相をきちんと究明し、日本の国家責任を問うために、南北、海外、特に在日コリアン、日本の宗教者・市民が共に連帯して共同の実践運動を繰り広げていこう」と訴えた。関東大震災の真相究明と被害者名誉回復のために7月に発足した推進委には、民族問題研究所など40余りの市民団体が参加している。

【写真】関東大震災の朝鮮人犠牲者99年追悼式で、金順子・韓国伝統芸術研究院代表が犠牲者の鎮魂の舞を踊っている=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 2017年から始まった右翼団体の妨害集会は今年も続いた。日本の右翼団体である「関東大震災の真実を伝える会 そよかぜ」は、朝鮮人犠牲者追悼式が開かれる横網町公園の片隅に集まって集会を開き、「朝鮮人6千人余りの虐殺は嘘だ。証拠を出せ」と主張した。彼らが集会をする場所の向かい側では日本市民が「ヘイトスピーチをやめろ」「虐殺の歴史をなかったと言わないで」と書かれたプラカードを持って抗議デモを行った。東京警視庁は周辺に警察官を配置し、バリケードを築くなど衝突を防いだ。
 小池百合子東京都知事は、歴代の都知事が毎年送付してきた朝鮮人犠牲者のための追悼文を今年も送らなかった。初当選翌年の2017年から6年目だ。小池都知事は「犠牲になったすべての方々のための大法要で都知事として全ての犠牲者に哀悼の意を示している。個別の形での追悼文の送付は控える」と拒否理由を明らかにしたと、実行委関係者は伝えた。
東京/キム・ソヨン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1057104.html
韓国語記事入力: 2022-09-02 02:32


https://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=1&page=3&number=27728&keyfield=&keyfield1=&key=
『民団新聞』 2022-08-14 18:38:00]   照会数 : 4397
■広島と長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊祭

【写真】永年の念願だった「長崎韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に献花する参列者(8月8日) 
【写真】慰霊碑に代表献花する民団広島本部の金基成団長(8月5日) 
【写真】公明党の山口那津男代表ら各級議員ら20人が訪れた(広島) 
【写真】長崎の韓国人犠牲者慰霊碑を訪れた公明党の山口那津男代表ら 

 広島と長崎で原爆によって犠牲となった韓国人を悼む、慰霊祭が5日と8日にそれぞれ執り行われた。

◆念願だった慰霊碑前で
 【長崎】長崎への原爆投下で犠牲になった韓国人を追悼する、第2回長崎韓国人原爆犠牲者慰霊祭(民団長崎本部主催)が8日、長崎原爆資料館前に建立された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」前と隣接する宴会場で執り行われた。
 同慰霊碑は民団が94年から建立を手がけ、実に27年を経て昨年11月に実現した。原爆投下当時、長崎県内には約7万人の同胞が住み、数千~1万人とも言われる命が原爆の犠牲になったと記されている。
 朴正煥団長をはじめとする民団長崎県本部の役員、駐福岡韓国総領事館の南宮煥副総領事、民団中央本部の呂健二団長、金春植監察委員長、婦人会中央本部の劉代永会長や福岡、佐賀、広島など近隣民団地方本部の役員と地元の高校生平和大使ら合わせて約70人が参列した。
 まず、慰霊碑前で参列者献花の後、原爆が投下された午前11時2分に合わせて1分間、黙祷した。この後、参列者は隣接する会場に移動して慰霊祭に臨んだ。
 主催側を代表して朴正煥民団長崎本部団長は「長崎同胞の念願だった慰霊碑前で慰霊祭が開催できたことを意義深く思う」としながら、「77年前、一発の原爆により無念の死を遂げた同胞の御霊のご平安を祈念し、二度と同じような戦争が起きないことを切に願う」と述べた。
 南宮煥副総領事は、「76年の間、慰霊の碑がなく、申し訳ない気持ちだったが、昨年、建てられて幸いと思っている。慰霊祭が行われることは子孫として大事なことだと思っています」と話した。
 呂健二団長は「慰霊碑の建立に努力してきた民団長崎のみなさん、協力をいただいた長崎市をはじめ、日本の皆様と駐福岡韓国総領事館の皆様に心から感謝を申し上げたい」とし、「広島と長崎の原爆投下による犠牲を胸に刻みながら、共に平和な社会を築くために努力しましょう」と呼びかけた。
 この後、午後4時過ぎには公明党の山口那津男代表ら同党の各級議員ら10人ほどが韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、献花したあと黙祷を捧げた。

◆今年も規模縮小
 【広島】広島原爆による同胞犠牲者を悼む、第53回韓国人原爆犠牲者慰霊祭は5日、広島平和公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で執り行われた。感染が爆発している新型コロナウイルスの影響でこの2年間と同様に、今年も例年の3分の1程度の規模に縮小して営まれた。
 民団広島本部の金基成団長と役員、民団中央本部の呂健二団長、林始興駐広島韓国総領事や被爆団体関係者、各級議員など約130人が参列した。
 また、死没者名簿には今年死亡が確認された16人が加えられ2802人が奉納された。
 この中には、原爆投下から77年を迎え、7月30日に93歳で亡くなった在日韓国人2世で、自らの被爆体験を証言してきた韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根氏も含まれている。
 李鍾根氏はこれまで自身の被爆体験を外国人、そして日本国内で多くの方々に証言し続けてきた。
 8月6日「原爆の日」には被爆7団体の一員として日本の総理大臣との面談にも参加し続けてきた。
 今年も慰霊祭の前日に、在日韓国人や日本の高校生を対象とした被爆体験講演会を予定していたほか、この日の慰霊祭にも参列予定だった。突然のお別れに心を痛めた方々も多くいた。
 金基成団長は、「故李鍾根委員長をはじめ被爆者のご遺族の皆様に心より慰労の言葉を申し上げる。平和と命の尊さを次世代に伝えることが我々の使命だ。平和な世界・核の無い世界の実現に努力したい」と追悼辞を述べた。
 林始興総領事は、「戦争と核兵器の恐怖が再び襲ってきている。戦争も核兵器も差別もない世界で永遠の平和を享受することをお祈りする」と述べ、呂健二団長も、「ロシアがウクライナ侵略で核兵器使用をほのめかしている。原爆によって犠牲になられた皆様方の教訓をもとにロシアのこのような言動を決して見逃すことはできない」としながら、「皆様方の犠牲を胸に刻みながら、子々孫々にわたり歴史をつなぎ、未来の子孫たちが明るく希望が持てるよう、共に平和な社会を築いていきましょう」と呼びかけた。
 なお、同日、午後6時頃には公明党の山口那津男代表ら同党の国会・県・市議会議員ら20人が韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、林総領事、呂中央団長、金広島団長らと献花し、犠牲同胞の冥福を祈った。
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