海南島戦時性暴力被害訴訟史(年表)
1995年8月 張応勇「日軍“戦地服務隊”中的黎族婦女」、政協海南省保亭黎族苗族自治県委員会文史資料工作委員会編9(紀念抗日戦争勝利50周年)。
2001年11月 小野寺利孝弁護士らが、初めて海南島を訪問し、日本軍に性暴力をうけた被害者から話を聞かせてもらう。
2001年6月 小野寺利孝弁護士、中野比登志弁護士、坂口禎彦弁護士、杉浦ひとみ弁護士が海南島を訪問し、原告となる8 人の方たちに会い、2日間、話をきかせてもらう。
2001年7月16日 日本軍隊性奴隷とされた黄玉鳳さん、陳金玉さん、鄧玉民さん、陳亜扁さん、黄有良さん、林亜金さん、譚玉蓮さん、譚亜洞さんら8人が、日本国を被告として、「名誉及び尊厳の回復のための謝罪」と「名誉及び尊厳の回復がなされてこなかったことに対する損害賠償」を求めて訴状を東京地方裁判所に弁護人を介して出す(「海南島戦時性暴力被害訴訟」開始)。
海南島における日本軍性奴隷は、「慰安所」に入れられた女性もいたが、各地の村落に侵入した日本軍の小隊が、「駐屯所」に独自につくった監禁所に拘禁された女性もいた。裁判の原告の8人は、すべてそのような村の少女だった。張応勇さんは、海南島で少女たちは「戦地服務隊」(あるいは「戦地后勤服務隊」)に入れられたと言っていた。
◆参照:朴来順口述、張応勇整理「不堪回首的往事 一個“慰安婦”的自述」、政協海南省保亭黎族苗族自治県委員会文史資料工作委員会編『保亭文史』9、1995年8月。張応勇「日軍“戦地服務隊”中的黎族婦女」、『保亭文史』9、1995年8月。
2001年11月28日 東京地方裁判所で第1回裁判(口頭弁論)。原告黄有良さんが証言。
2002年3月13日 第2回裁判(弁護団、第2次準備書面をだす)。
2002年5月21日~27日 弁護団、海南島訪問(原告の法廷での証言に代わるビデオ収録を目的)。
2002年6月19日 第3回裁判(弁護団、第3次準備書面で、“国が戦後の回復措置を執るべき義務の根拠、戦後の回復措置を採らないままの放置が原告らにどのような被害を与えたか”を明確に示す)。
2003年12月 原告の譚玉蓮さんが亡くなられた。
2004年2月19日 原告の意思を受けて訴因を変更(戦後だけでなく、戦時中の日本軍の加害行為そのものの責任も追及するため)
2004年9月 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告黄玉鳳さんが亡くなられた。
2005年2月16日 ハイナンNET(海南島戦時性暴力被害者への謝罪と賠償を求めるネットワーク)創立。
2005年3月16日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告林亜金さんと証人張応勇さん、第9回裁判で証言。
証言の前々日、弁護団と支援者が集まった席で、マスメディアに写真取材を認めていいかどうかなどが議論になったとき、林亜金さんは、「ウェイダー」と言った(「ウェイダー」は、「恐れることはなにもない」という意味の黎語。
林亜金さんと張応勇さんが、東京地方裁判所で証言した2日後、2005年3月18日に、東京高等裁判所で、中国人「慰安婦」裁判第2次訴訟の控訴審判決が出された。この判決を、林亜金さんと張応勇さんは傍聴した。郭喜翠さんと侯巧蓮さんは、1996年2月に、被害事実の認定と、日本政府の公式謝罪と賠償を求めて提訴したが、侯巧蓮さんは、1999年5月にが亡くなられた。
控訴審判決は、原告が1949年から中華人民共和国政府のもとに生活しているにもかかわらず、1952年に蒋介石政権との間に締結された「日華平和条約」にもとづいて、原告の損害賠償請求権の放棄を認定する不当判決だった。
2005年4月 担当裁判官3人のうち裁判長ら2人の裁判官が突然交代。
2005年6月15日 第10回裁判(裁判官交代後、初めての口頭弁論。新しい裁判官が、弁論中に居眠り)。
2005年7月20日 第11回裁判 裁判官の意識を変える必要があるため、原告陳亜扁さんと、日本の海南島侵略の歴史を追究している在日朝鮮人金靜美さんを証人申請
2005年9月28日 第12回裁判 ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』(証拠用要約版、紀州鉱山の真実を明らかにする会制作)を、「海南島戦時性暴力事件、甲第33号証」として法廷で上映。
2005年11月9日 第13回裁判 裁判官は、原告陳亜扁さんの証人申請を受理したが、金靜美さんの証人申請を却下
2005年12月28日朝5時 張応勇さんが亡くなられた。
2006年3月8日 第14回裁判(原告陳亜扁さんが証言)。
2006年3月22日 第15回裁判(結審)。
2006年8月30日 東京地方裁判所(裁判長矢尾渉、裁判官梶智紀・亀村恵子)不当判決(「主文 1原告らの請求をいずれも棄却する、 2訴訟費用は原告らの負担とする」)。
一審判決を出した東京地方裁判所民事24部は、日本軍の犯罪事実を具体的に明確に認定ながら、原告の名誉回復と日本政府の謝罪と国家賠償請求を棄却した。矢尾渉裁判長は、海南島における日本軍の性犯罪事実とその不法性を明確に認定しながら、司法の正義を守ろうとしないで、日本政府を免罪し、原告の請求をすべて棄却した。原告・弁護団直ちに控訴。
中国人戦争被害賠償請求事件弁護団・海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団共同抗議声明。中華全国律師協会・中華全国婦女聨合会・中国人権発展基金会・中国法律援助基金会・中国抗日戦争史学会共同抗議声明。
2006年12月 この月発行された『軍縮問題資料』(軍縮市民の会・軍縮研究室発行)に、坂口禎彦弁護士の「中国人慰安婦訴訟・海南島事件」掲載。
2004年9月 原告の黄玉鳳さんが亡くなられた。
2007年5月 東京高等裁判所で「海南島戦時性暴力被害訴訟」口頭弁論開始。
2007年9月 「海南島戦時性暴力被害訴訟」第2回口頭弁論。
2007年10月 「海南島戦時性暴力被害訴訟」第3回口頭弁論。
2008年5月 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第5回口頭弁論。
2008年9月 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第6回口頭弁論。
2008年12月 東京高等裁判所で、「海南島戦時性暴力被害訴訟」第7回口頭弁論。原告陳金玉さん証言。
2009年3月 「海南島戦時性暴力被害訴訟」東京高等裁判所判決。控訴棄却。原告、上告。
2010年3月2日 最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)、「海南島戦時性暴力被害賠償請求事件」上告を棄却し上告受理申立を不受理とする決定。海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団と中国人戦争被害賠償請求事件弁護団、抗議声明。
2010年9月8日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告譚亜洞さんが亡くなられた。
2012年9月22日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告陳金玉さんが亡くなられた。
2013年10月17日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告林亜金さんが亡くなられた。
2014年6月19日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告鄧玉民さんが亡くなられた。
2017年5月11日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」原告陳亜扁さんが亡くなられた。
2017年8月12日 「海南島戦時性暴力被害訴訟」最期の原告黄有良さんが亡くなられた。
2022年10月作成 海南島近現代史研究会 佐藤正人