【報告】民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の崩壊 註記
◆注記① 2021年5月1日付けで発行された『総称改組三会 会報第1号』の4頁に、「改組三会の運営規約」なるものが掲載されていた。その「第1条」の全文はつぎのとおりである。
本団体の名称は、「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼す
る会」(「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する
会」を右記のように改称する)、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」、「海南島近現
代史研究会」であり、三つの会を改組して本会(「改組三会」と称する。
「改組三会の運営規約」なるものは、全体(全9条。なぜか「第4条」が無い」)として文意が不鮮明であやふやな個所の多いものだ。
『総称改組三会 会報第1号』の4頁冒頭には、「2020年11月7日、わたしたちは追悼集会の後、熊野の湯ノ口温泉に宿泊し、総会を開いて、会としてはじめての運営規約を採択しました。以下のその全文を掲載します」という「説明」が書かれている。
このあいまいな「説明」と「改組三会の運営規約」の「第Ⅰ条」を合わせると、「わたしたち」(斉藤日出治・竹本昇らのことだろう)は、偽りの「追悼集会」の夜に宿泊した場所で、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会の名に似せて「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」を創作し、その後直ちに「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」、「海南島近現代史研究会」を「改組」して「改組三会」と称する「会」を作成したことになる。
2021年11月27日に、「改組三会」は、「熊野の朝鮮人追悼集会」を開催した。その「ご案内」に「改組三会」は、
●わたしたち「改組三会(三重県木本で虐殺された朝鮮人労働物(李基允・裵相度)を追悼す
る会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会)」は昨年2020年11月7日に
熊野で追悼集会を開催し、翌8日には現地で総会を開いて、会の規約を決めました。
と書いていた。
ここでも「改組三会」という偽会は、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会を詐称している。
ここで「改組三会」は、「会の規約」を決めたのは2020年11月8日であったことにしているが、これは事実ではない。2020年11月11日に、わたしに件名を「 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会」、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」、「海南島近現代史研究会」会則 (改組本会会則)」とするメールが送信されているが、そこに書かれている「改組本会会則」は『総称改組三会 会報第1号』の「改組三会の運営規約」と同文ではない。「改組三会」は、「会の規約」を2020年11月8日に決めていない。
また、「改組三会」は、「李基允氏と裵相度氏の27回目の追悼集会」・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」という名の「追悼集会」を2020年11月7日に開催したのは「改組三会」であったことにしているが、斉藤日出治と竹本昇が三重 県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の封筒を盗用して2020年10月に『会報』の読者に郵送した偽りの「追悼集会」の案内にはそのようなことは書かれていなかった。
◆注記② 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達するために、会員が綿密な文書記録探索・分析をおこない、犠牲者本人・家族・遺族・関係者から証言を聞かせてもらい、写真を収集・撮影し、地図・年表を作成し、実証的な歴史叙述を書いて、一枚いちまい完成させたものである。
展示用パネルの多くは、1999年7月6日~8月29日にリバティ大阪(大阪人権博物館)で開催された「(企画展)“木本事件” 熊野から朝鮮人虐殺を問う」で展示された。
展示用パネルは、国民国家日本の侵略犯罪の実体を伝達し、犯罪者に歴史的責任をとらせるためのものである。
◆注記③ 1999年7月6日~8月29日に、リバティ大阪(大阪人権博物館)で、「(企画展)“木本事件” 熊野から朝鮮人虐殺を問う」が開催された。
その企画展に、金靜美の原稿がリバティ大阪によってパネル化されて、展示された。
企画展後、そのパネルはすべて三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会に寄贈された。
その後、紀州鉱山の真実を明らかにする会の関係パネル、「大逆事件」にかんするパネル、海南島近現代史研究会の関係パネルを追加していった。
竹本昇が横領・盗奪したパネルは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会のものであるが、そのおおくは在日朝鮮人金靜美の原稿に基づくものである。
竹本昇も斉藤日出治も、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の展示用パネルの作成作業にまったく参加していない。
◆注記④ 『総称改組三会 会報第1号』には「木本事件とは」という短い「説明記事」が掲載されているが、そこには、何か所も、事実と異なる虚偽の歴史が書かれている。
その「冊子」の13頁には、花のカラー写真と説明文が掲載されている。その説明文の全文はつぎのとおりだ。
木本の追悼碑前には姫リンゴの花が咲き、やがて可愛いリンゴがたくさん実る。杉浦新吉さん(飯場襲撃に対して、朝鮮人と共に闘った三人の日本人労働者の一人)の孫娘さんに贈られた苗木が気丈に育っている。
この短い説明文と写真に、「改組三会」という「会」の実体と虚偽に満ちた本質が明瞭に示されている。
この説明文によると写真は、「木本の追悼碑前」の「姫リンゴの花」であるようである。
しかし、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑の場には、「姫リンゴ」の樹はない。杉浦新吉さんには孫はいない。『総称改組三会 会報第1号』には、どこからかとってきた「木本の追悼碑」と無関係の花の写真が虚偽の説明文とともに掲載されている。
『総称改組三会 会報第1号』(8頁、10頁)に竹本昇は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会が、「「アジアから問われる日本の戦争」展を阻止しようとした」とくり返し書いているが、偽りである。
「アジアから見た日本の戦争」展」→「アジアから問われる日本の戦争」展」の実行委員会には、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会を代表して竹本昇が、海南島近現代史研究会を代表して斉藤日出治が参加していた。
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会は、「アジアから見た日本の戦争」展」→「アジアから問われる日本の戦争」展」の名称と案内チラシ案の撤回を強く求め続けたが、「「アジアから問われる日本の戦争」展を阻止しようとした」ことはない。
この問題にかかわって、わたしは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』65号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』20号(2020年11月1日発行)に、「「アジアから問われる日本の戦争」展で現れた日本の民衆運動の危機」および「「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判」を掲載している。
「改組三会」という「会」の「運営委員」全員(2020年11月7日から約1年3か月間「運営委員」であった久保井規夫を含む)は、『総称改組三会 会報第1号』に示されている虚偽の発生の経過を明らかにし、虚偽を伝播し続けている責任をとるべきだ。
斉藤日出治は、虚偽の「歴史叙述」や剽窃文をこれまで長い間放置し続けてきたことを謝罪すべきだ。
◆注記⑤ 「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです」という2021年9月19日の竹本昇の空言・虚言も、「竹本昇も共有者の一人であるので、5分の1は、竹本昇の土地である」という「竹本昇」の2021年9月22日・23日のひれつな空言・虚言も、「改組三会」の「運営委員」は、放置=追認し続けている。
◆注記⑥ 竹本昇という日本人が、展示用パネル横領・盗奪という犯罪行為を前提にし、展示用パネルを横領・盗奪したまま、在日朝鮮人金靜美さんに、無恥の「提案」をしたのは2022年7月11日だったが、現在まで、竹本昇は斉藤日出治とともに展示用パネルを横領・盗奪し続けている。
竹本昇は、剽窃行為と虚偽の歴史叙述をくり返している斉藤日出治とともに2020年11月7日に偽りの「李基允氏と裵相度氏の26回目の追悼集会」と「12回目となる紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する追悼集会」を開催し、その後「改組三会」という偽会を作成していた。
◆註記⑦ 斉藤日出治は、「佐藤のブログ」という件名のメールを佐藤正人に送信せず、自分自身、竹本昇などに送信していた。
そのメールに、斉藤日出治は、つぎのような虚偽を書いていた。
わたしはあらためて佐藤さんが単独で20年近くのあいだ毎日発信し続けているブログのことを
思います。これは「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の
真実を明らかにする会明らかにする会」のブログという名前を付けていますが、まちがいなく
佐藤さんの個人ブログで す。
佐藤さんは自分の個人ブログに2つの会の名前を付けて、このブログが市民団体の公的なブ
ログであるかのように装っていますが、会のだれもこのブログに介入することはできません。
このブログにどのような情報を掲載するのか、だれに原稿を頼むのか、そして書いた原稿の内容を点検
し掲載の可否を決定するか、そういった判断をするのはすべて佐藤正人という個人に委ねら
れています。
実際には、剽窃者であり虚言者であり歴史偽造者である斉藤日出治が「佐藤のブログ」というコトバで言っているブログは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の創立時からの会員のひとりが、創設作業を担当してくれたものである。
紀州鉱山の真実を明らかにする会が韓国の日帝強占下強制動員被害真相究明委員会に真相究明を申請したあと、ブログ設営が三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の会議で話し合われた。
ブログの最初の記事は2006年2月15日に掲載された。筆者はブログの創設作者だった。ブログ創作時から現在まで、冒頭部に「自己紹介 紀州鉱山及び海南島における朝鮮人強制連行・強制労働・虐殺の真実を明らかにする当会の活動内容、現地調査等を紹介しています」と書かれているが、この筆者もブログの創設者である。ブログ創設12日後の2006年2月26日に掲載された記事は、「戦場における死」映画上映とディスカッション『日本が占領した海南島で―60年前は昨日のこと―』、だった。
ブログ創設を担当した会員は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の会議で、ブログに原稿を入力する方法をくわしく説明してくれた。その会議には、斉藤日出治も竹本昇も出席していた。
斉藤日出治は、「会のだれもこのブログに介入することはできません。このブログにどのような情報を掲載するのか、だれに原稿を頼むのか、そして書いた原稿の内容を点検し掲載の可否を決定するか、そういった判断をするのはすべて佐藤正人という個人に委ねられています」と2022年7月25日に言っているが、それがウソだということは、悪質極まりない「証言から学ぶ海南島の抗日闘争」といタイトルの斉藤日出治の原稿が最終原稿のまま、2019年8月27日のブログに現在も掲載されていることを知っている斉藤日出治本人が自覚しているのではないのか。
そのブログのアドレス(URL)はつぎのとおりである。
https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/0c9aa002560594ff6ec925da6b355a22
◆注記⑧ 2019昨年8月24日に開催した海南島近現代史研究会第13回総会・第24回定例研究会(主題:侵略戦争⇔抗日戦争、植民地支配⇔抗日反日闘争)での斉藤日出治の主題報告(証言から学ぶ海南島の抗日闘争)の要旨がはじめて三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログに掲載されたのは2019年8月27日だった。
その後、その内容にいくつも問題点があり、それをひとつひとつ「解決」していく過程で、斉藤日出治の剽窃問題が現われてきた。
その問題を、わたしと金靜美が丁寧に斉藤日出治に示したのは、10月はじめころだった。
それから今まで(2022年10月)3年間あまりの間、斉藤日出治はわたしと金靜美の指摘にみずから具体的に対処せず、剽窃問題を内包している斉藤日出治の文章はそのままブログに掲載され続けている。
斉藤日出治は、近畿大学日本文化研究所編『日本文化の明と暗』(2014年3月20日風媒社発行)に発表した「「戦後」という日本社会の歴史認識 海南島の住民虐殺と沖縄の強制集団死との結び目から見えてくるもの」で、史・資料をまったく示さずに数多くの虚偽の「歴史叙述」と数多くの意味不明のデタラメな叙述をしていた。以下に、その数例だけを示しておく。
●日本軍は海南島で住民を無差別に虐殺する一方で、敗戦の末期にサイパン島、グアム島、テニアン島、フィリピン、沖縄、「満州」で、今度は自国の住民を大量に死に追いやった。非戦闘員を戦闘に巻き込み、足手まといになると住民を見捨て、生きながらえるよりもみずから死を選ぶよう指示した。「集団自決」という強制集団死が、これらの地上戦が行われた各地で発生した。
●沖縄で起きた「集団自決」という日本の非戦闘員の自死行為が海南島の住民虐殺と同じ質のものであり、後者の住民虐殺が前者の「集団自決」をもたらしたのだ……。
●「戦後」とは、日本の社会が敗戦の経験によってみずからの手で歴史を検証する回路を封じ込め、二つの住民虐殺を容認、あるいはかたちをかえて再生産してきた体制である。
●現在のわれわれに求められているのは、住民虐殺を抹殺、あるいは変造するこの「戦後」という集合的記憶と対決するもうひとつの歴史認識を構築することであり、もう一つの歴史認識の可能性を提示することである。
●沖縄の「集団自決」は、日本のアジアにおける住民虐殺という植民地支配と侵略のコンテクストがもたらした帰結としてとらえられるべき。
● 海南島の住民虐殺の事実を抹消し沖縄の強制集団死を変造することによって成り立つ戦後日本の歴史認識。
2019年11月に、原井一郎さんの『国境27度線』(海風社)が出版された。その本に「あとがき」として2019年10月という日付のある斉藤日出治の文章と斉藤日出治の「〈国境線の政治〉をこえて――琉球弧民衆の闘い」と題する文章が掲載されていた。
「〈国境線の政治〉をこえて」には、「〈国境線の政治〉を継承する戦後体制――奄美・沖縄民衆の苦悩」という題名の節があり、そこにも事実とことなる記述が何個所もあり、わざわざ「「大東亜戦争」」というコトバを使った「「大東亜戦争」と海南島の民衆虐殺」という節があり、意味不明の文章も少なくないものである。
ヤマトンチュウである斉藤日出治は、「〈国境線の政治〉をこえて」で、「簒奪」、「捨て石」、「抽象空間」、「表裏一体」、「犯罪を投影した自画像」、「解体」、「無責任にあぐらをかいて」、「国民の目をそらすために」、「戦後の経過」、「暮らしの裁断」、「〈国境線の政治〉のまなざし」、「利用すべき空間」、「利用すべき「材料」」、「軍事戦略」、「〈国境線の政治〉を行使」、「倒錯した集合的な歴史記憶」、「隠匿」、「ふりまわされる」、「共同体」、「国家犯罪は……行使され」、「運命に遭遇」などというコトバを安易に使いつつ、
●帝国日本は、沖縄戦で、沖縄民衆を「本土決戦」の時間稼ぎのための捨て石として利用した。
●国境線による地域の暮らしの裁断にもかかわらず、その裁断の間隙から国家を超える広がりと深みをもった琉球弧民衆の生命の息吹が噴出する。
●海南島のひとびとの暮らしと産業と自然を奪いつくそうとする帝国日本の〈国境線の政治〉。
●沖縄の民衆は……海南島の民衆と同じ運命に遭遇する。
●「鬼畜」とは、日本軍がアジア諸地域でみずからおこなった犯罪を米軍に投影した自画像だった。
●国家間妥協による琉球弧の統治によって、戦後の琉球弧の住民はみずからの暮らしをふりまわされることになった。
という空疎な文章を並べている。
「ひとびとの暮らし」を「奪いつくそうとする」とは具体的にはどうする
ることなのか? 暮らしを奪うことはできるのか。
「自然」を「奪いつくそうとする」とは具体的にはどうすることなのか?
「〈国境線の政治〉をこえて」には、デタラメな「解説」がいくつも書かれている。その数例を以下に示しておく。
●帝国日本が〈国境線の政治〉をアジア全域へと拡大し、その統治を基盤にして欧米諸国との帝国主義戦争に突入したのが「大東亜戦争」であった。
●帝国日本にとって島〔海南島〕の人々の暮らしは、軍事戦略のために「利用すべき「材料」」であるか、さもなければ、軍事戦略にとっての「障害物」でしかなかった。
●戦後日本の倒錯した集合的な歴史記憶のうちに、〈国境線の政治〉が深く刻印されている。
2015年2月10日に、斉藤日出治は、「わたし自身もそのメンバーである紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会という民衆運動団体が10数年にわたって蓄積してきた活動を基盤にしており,その蓄積を踏まえて斉藤が科学研究費を申請し採択された調査活動の成果報告」を「斉藤個人の名前で公表」したことについての空疎で虚偽に満ちた「説明」・「お願い」をしていた。
「調査報告のデータ非公開の措置について」という「説明」・「お願い」をした事実を、斉藤日出治は、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会に、2015年2月10日以後これまでまで、報告していない。わたしは、この斉藤日出治の「説明」・「お願い」を2020年3月1日に偶然発見した。
元・大阪産業大学経済学部教授斉藤日出治の2015年2月10日の「調査報告のデータ非公開の措置について」にはつぎのように書かれていた。
「日本軍による海南島の侵略犯罪に関する調査報告―2011年2月25日―3月4日」『大阪産業大
学論集』第14巻第1号,2013年 「日本軍統治下の海南島における侵略犯罪の調査報告」『大阪産
業大学経 済論集』第15巻第1号,2014年
上記の二編の調査報告は,わたし自身もそのメンバーである紀州鉱山の真実を明らかにする会
と海南島近現代史研究会という民衆運動団体が10数年にわたって蓄積してきた活動を基盤にして
おり,その蓄積を踏まえて斉藤が科学研究費を申請し採択された調査活動の成果報告です。
日本が軍事占領下で海南島の現地住民にもたらしたおびただしい被害の実態を被害者か ら直接に聞
き取るという貴重な報告です。
ただし,掲載に当たって,聞き取りをした方々の実名を掲載しており,大学の論集に掲載するに
際してはそれでよいと判断したのですが,データベースで不特定多数に公開された場合,不測の事
態が生ずるのではないかという懸念を刊行後に抱くようになりました。
さらに,この調査報告は斉藤個人の名前で公表されているため,この調査活動が広範な 民衆運
動のネットワークに支えられているにもかかわらず,科学研究費の成果活動として公表すること
で,それが斉藤個人の研究活動であるかのような誤解をあたえる恐れがあることに気づきました。
データの不特定多数に対する公開によって,そのような誤解が広がることは避けたいと考えま
す。
以上の理由から本学会の編集委員会に,CINIIのデータベースでこの二編の調査報告を 非公開に
する旨のお願いをして,このたび承認されましたので,ここに報告をさせていた だきます。
斉藤日出治は、自分が主体的に「斉藤個人の名前で公表」した事実を「斉藤個人の名前で公表された」と、受動態で書き、あたかも第三者が「公表したかのように細工している。
研究題目名 海南島における日本の植民地責任と戦後日本の歴史認識、研究代表者 斉藤日出治、研究番号10186950 の科学研究費助成事業研究成果報告書のファイルに、剽窃常習者・歴史偽造者・盗奪者斉藤日出治が書いた「海南島近現代史研究会が海南島で確認した日本軍による住民虐殺は4000名を超えている」という虚偽文が掲載されている。
しかし、海南島近現代史研究会が、「日本軍による住民虐殺は4000名を超えている」と「海南島で確認」したことはない。海南島以外においでも「確認」したことはない。
世界近現代史研究において、日本軍が虐殺した民衆の人数を明確にすることは、極めて重大な課題だが、これまで実現されていない。
海南島近現代史研究会は、日本政府・日本軍・日本企業・日本人の海南島における侵略犯罪の実体を追究してきたが、道は遠い。
「海南島近現代史研究会が海南島で確認した日本軍による住民虐殺は4000名を超えている」という斉藤日出治の「コトバ」は、斉藤日出治の「研究」の方法・内容がデタラメであることをはっきり示している。
ひとつの地域の犠牲者の正確な人数を確認することは、死者一人ひとりの尊厳にかかわる作業だ。
海南島近現代史研究会は、海南島で日本政府・日本軍・日本企業・日本人が命を奪った民衆の人数は、「4000名」の10倍をはるかに超えていると判断している。そのことを伝える三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログのアドレス(URL)はつぎのとおりである。
https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/4199c7f61003efecfc1480641c2db482
https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/b3f06899c18f052f0deff041d9835554
中共海南島省党史研究室編『海南省抗日戦争時期人口傷亡和財産損失』(中共党史出版社発行)には、2011年版でも2015年版でも、
对于搜集到的各种资料和市县报送的统计数字,调研小组都认真加以甄别、核实,反复进行汇总
统计,力求准确无误。譬如,关于抗战时期海南人口伤亡数字,在有关的研究著作中有20多万、40
多万、50万等多种说法。经调研小组缜密调查,纵横对比,细心考证,最后得出可信的数据。
【日本語訳:各種の資料、市や県が報告している統計数字を探し集めるについて、調査研究グル
ープは、すべて真剣に審査弁別し、事実を確認し、繰り返し統計をまとめ、誤りのないようにでき
るだけ努めた。たとえば、抗日戦争の時期の海南の死傷者の数字に関して、関係する研究著作では、
20万あまり、40万あまり、50万などとさまざまに述べられている。調査研究グループは緻密に調
査をおこない、縦横に対比し、綿密に考証して、最後に信用できるデータを得た。】
と書かれており、そのうえで、「抗战时期海南人口伤亡数字」として、2011年版では「总计海南抗战时期人口伤亡565177人」、2015年版では「总计海南抗战时期人口伤亡566174人」という数字が示されている。
しかし、その根拠は具体的には示されていない。海南省抗战损失调研课题组は、資料名を具体的に明示せず、資料を実際にどのように「調査」・「対比」・「考証」したのかを述べていない。
このことを伝える三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログのアドレス(URL)はつぎのとおりである。
https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/85ee09df466359a89be68bbc78a1cff3
付記
わたしは、2021年10月26日、10月27日に、このブログに、「【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか」を掲載し、同年11月1日に発行した三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』66号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』21号(2021年11月1日)に掲載しました。そのブログのアドレス(URL)はつぎのとおりです。
https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/3bf0d57585c609320ccd503d84d78335
「【報告】民衆運動の深化をさまたげる「改組三会」の崩壊」は、一年前の「【報告】2020年秋に、なぜ民衆運動の深化をさまたげる「会」が現われたのか」に続く報告です。
この報告も、ブログに掲載するとともに三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』67号・紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』22号(2022年11月1日発行)に掲載します。ただし、『会報』掲載するのは、報告の本文全文と註記の要約です。註記全文は長文のため掲載できませんでした。
2022年10月20日記