https://courrier.jp/news/archives/298719/
「クーリエ・ジャポン」2022年10月9日
■韓国で「元従軍慰安婦の家」を守る日本人写真家の戦いに米紙が迫る
最高のケアを受けるはずが…
元従軍慰安婦の女性たちが住む「ナヌムの家」で働く矢嶋宰(やじまつかさ)は、施設の運営団体を内部告発して称賛を浴びた。だが、その一方で激しい非難にも晒されているという。現地取材をした米「ニューヨーク・タイムズ」紙はその現状をどのように報じたのか──。記事の全訳をお届けする。
◆”消えた寄付金”
早稲田大学で歴史を学んだ矢嶋は、フェミニズムや日本の植民地時代に関心を持つようになった。初めてナヌムの家を訪れたのは2000年。2003年に同施設で働きはじめ、2006年まで翻訳と写真撮影の仕事に従事した。
「自分の写真を通じて、彼女たちを『戦争被害者』という集合的イメージにとどめず、それぞれが人格を持った女性であることを強調しようと努めています」と矢嶋は語る。
「私のように彼女たちと生活を共にすれば、自然とおばあさんと孫のような関係になります。ときどき訪問してくる人にはわからない側面も見えてくる。彼女たちは、勇猛果敢な戦士のごとく見られています。けれど寄付された品物を分配するときに『飴玉を1つ余分に受け取った人がいる』とかなんとかやり合うことだってあるんです。幼稚園児のようにね」。
矢嶋は2006年にドイツへ渡り、従軍慰安婦の啓蒙活動を続けた。ドイツでは講演会や写真展の開催を支援して、元慰安婦で生き残った女性を語り部として招いた。しかし2019年にナヌムの家に戻ると、そこで目にしたものに深い憂慮を覚えた。
ある女性が壊れたベッドから転落したとき、運営側は彼女を病院に連れて行くことも、ベッドを新調することも拒絶したという。女性らの居住区画が改装された際は、雨季に入ったというのに個人の所有物はすべて戸外に積み上げられて雨にさらされた。
また告発者らは、管理者の机の引き出しで見つけた海外からの寄付金について、適切に帳簿処理されていなかったことを指摘している。
官民合同の調査委員会は、ほとんどのケースで内部告発の主張の正確さを認めたが、それ以上の事実も明るみにされた。
「ニューヨーク・タイムズ」紙は、366ページの調査報告書を閲覧した。それによるとナヌムの家側は、入所女性が個人で外出することを認めない一方、資金集めイベントには「動員」していた。さらに施設職員は女性らに精神的な虐待を加えて、「路上に放り出すぞ」と脅した。
また、ナヌムの家は2015~2019年に680万ドル(約9億3000万円)の現金を集めたが、居住区画の維持管理に15万4000ドル(約2000万円)しか使わず、「入所者は平均水準以下の介護施設に暮らしていた」。
そして同報告書は、「元慰安婦女性、および当人の福利厚生と活動のために使うと約束して寄付を集めておきながら、そのために寄付金を使用しなかったのは、国民を欺く行為である」と糾弾している。
5月にナヌムの家の理事長に任じられた曹渓宗僧侶のソンファ師は、ナヌムの家は「間違い」を犯し、寄付に関する法律に「違反」したと認める。
だがソンファ師は、入所女性は経済的支援を充分に受けているとも反論する。韓国政府から月額2600ドル(約35万円)、それに加えて年間1万810ドル(約148万円)の医療費を支給されており、一般市民からの寄付金はほとんど使う機会がなかったというのだ。
ナヌムの家を高級老人ホームに変える計画については、「韓国は急激に進行する人口の高齢化に直面しており、選択肢の一つとして議論されたもの」と言う。しかしソンファ師は、「変更計画が正式決定されたことはない」と否定。そして、ナヌムの家の今後は政府との協議によって決定されることを強調する。
「私どもは発見された問題点の改善に取り組みつつ、慰安婦だった女性入所者の皆さんに対し、最後のお一人が亡くなるまで、最高のケアを提供するために最善を尽くしてまいります」。
矢嶋宰(51)は2000年から、第二次世界大戦中に日本軍に徴用された元従軍慰安婦のポートレート写真を撮影し、その痛ましい過去を世界に発信するようになった。どれも赤裸々で、見る者に強烈な印象を植え付ける写真ばかりだ。
早稲田大学で歴史を学んだ矢嶋は、フェミニズムや日本の植民地時代に関心を持つようになった。初めてナヌムの家を訪れたのは2000年。2003年に同施設で働きはじめ、2006年まで翻訳と写真撮影の仕事に従事した。
「自分の写真を通じて、彼女たちを『戦争被害者』という集合的イメージにとどめず、それぞれが人格を持った女性であることを強調しようと努めています」と矢嶋は語る。
「私のように彼女たちと生活を共にすれば、自然とおばあさんと孫のような関係になります。ときどき訪問してくる人にはわからない側面も見えてくる。彼女たちは、勇猛果敢な戦士のごとく見られています。けれど寄付された品物を分配するときに『飴玉を1つ余分に受け取った人がいる』とかなんとかやり合うことだってあるんです。幼稚園児のようにね」。
矢嶋は2006年にドイツへ渡り、従軍慰安婦の啓蒙活動を続けた。ドイツでは講演会や写真展の開催を支援して、元慰安婦で生き残った女性を語り部として招いた。しかし2019年にナヌムの家に戻ると、そこで目にしたものに深い憂慮を覚えた。
ある女性が壊れたベッドから転落したとき、運営側は彼女を病院に連れて行くことも、ベッドを新調することも拒絶したという。女性らの居住区画が改装された際は、雨季に入ったというのに個人の所有物はすべて戸外に積み上げられて雨にさらされた。
また告発者らは、管理者の机の引き出しで見つけた海外からの寄付金について、適切に帳簿処理されていなかったことを指摘している。
官民合同の調査委員会は、ほとんどのケースで内部告発の主張の正確さを認めたが、それ以上の事実も明るみにされた。
「ニューヨーク・タイムズ」紙は、366ページの調査報告書を閲覧した。それによるとナヌムの家側は、入所女性が個人で外出することを認めない一方、資金集めイベントには「動員」していた。さらに施設職員は女性らに精神的な虐待を加えて、「路上に放り出すぞ」と脅した。
また、ナヌムの家は2015~2019年に680万ドル(約9億3000万円)の現金を集めたが、居住区画の維持管理に15万4000ドル(約2000万円)しか使わず、「入所者は平均水準以下の介護施設に暮らしていた」。
そして同報告書は、「元慰安婦女性、および当人の福利厚生と活動のために使うと約束して寄付を集めておきながら、そのために寄付金を使用しなかったのは、国民を欺く行為である」と糾弾している。
5月にナヌムの家の理事長に任じられた曹渓宗僧侶のソンファ師は、ナヌムの家は「間違い」を犯し、寄付に関する法律に「違反」したと認める。
だがソンファ師は、入所女性は経済的支援を充分に受けているとも反論する。韓国政府から月額2600ドル(約35万円)、それに加えて年間1万810ドル(約148万円)の医療費を支給されており、一般市民からの寄付金はほとんど使う機会がなかったというのだ。
ナヌムの家を高級老人ホームに変える計画については、「韓国は急激に進行する人口の高齢化に直面しており、選択肢の一つとして議論されたもの」と言う。しかしソンファ師は、「変更計画が正式決定されたことはない」と否定。そして、ナヌムの家の今後は政府との協議によって決定されることを強調する。
「私どもは発見された問題点の改善に取り組みつつ、慰安婦だった女性入所者の皆さんに対し、最後のお一人が亡くなるまで、最高のケアを提供するために最善を尽くしてまいります」。
矢嶋宰(51)は2000年から、第二次世界大戦中に日本軍に徴用された元従軍慰安婦のポートレート写真を撮影し、その痛ましい過去を世界に発信するようになった。どれも赤裸々で、見る者に強烈な印象を植え付ける写真ばかりだ。
その彼は戦後77年が経過した今、元従軍慰安婦の扱いを巡るスキャンダルの渦に巻き込まれている。
「ナヌム(わかち合い)の家」は、1992年に広州(クァンジュ)市に設立された。それ以降、ナヌムの家は、従軍慰安婦だった女性を訪ねてくる政治家や学生にとって、聖地のような場所になっている。現在、この施設には4人が入所している。
ナヌムの家の国際室長を務める矢嶋はこの2年間、同施設で働く6人の韓国人職員とともに、施設の運営団体を告発する運動に関わってきた。彼らは、運営側が現在90代に達した元慰安婦女性らを水準以下の施設に収容し、しかも数百万ドルの寄付を集めながら、韓国最大で最も影響力のある仏教宗派の曹渓宗へと横流ししたと訴えている。
内部告発をした矢嶋を含む同施設の職員らは、「寄付金は入所している女性たちの福利厚生のために集められたのに、ほとんどがその目的に充てられていない」と話す。
「その代わりに運営側は、集めた寄付金をプールしていました。最後の入所者が死亡して無人になったときに、彼らの親団体である曹渓宗が富裕層向けの豪華な老人ホームに改装できるようにするためです。
戦時下における女性への性暴力は、今なおウクライナなどで起きています。ナヌムの家を保存し、歴史の生き証人として教育に活用するのはとても重要なことです。通常の老人ホームへ改装しようと目論む彼らの計画は、歴史を葬り去ろうとする行為です」。
◆矢嶋らの内部告発は刑事訴訟事件
矢嶋らの内部告発は刑事訴訟事件に発展した。前所長と前事務局長の2人が詐欺や横領などの罪で起訴された。ナヌムの家を運営する福祉法人の理事会には、韓国で最も著名な仏教僧も含まれ、過失責任を問われて解雇された。怒った寄付者らはナヌムの家を訴え、寄付金の返還を要求している。2019年に190万ドル(約2億6000万円)だった同施設への寄付金も、今年前半の6ヵ月は3万5300ドル(約480万円)に急減した。
矢嶋を含むナヌムの家の職員が起こした内部告発は称賛されたものの、代償もついてまわった。
矢嶋らは、ナヌムの家の前所長と新任の所長および彼らに近い者から、デマを言いふらしたと訴えられ、名誉毀損を含む複数の訴訟を起こされているのだ。
こうした攻撃のほとんどが、日本人の矢嶋に向けられた。従軍慰安婦の問題は、韓国と日本の関係を何度となく緊張させてきた、数ある歴史的論争のなかで最もセンシティブな問題だ。そして両国は、東アジアで最も重要なアメリカの同盟国なのだ。
「日本軍慰安婦被害者がいる場所に日本人職員とは何事か」という横断幕が、矢嶋が働くナヌムの家の外壁に掲げられた。人権センターの調査によると、矢嶋は経営者に近い者から、民族差別的な発言を浴びせられたという。
内部告発者7人のうち4人は7月、ハラスメント被害を訴えて辞めた。それでも矢嶋は、あくまでもここに残るという。
高麗大学校教授のイム・ミリは、矢嶋が活動を通じて韓国に重要な問題提起をしたと話す。彼女によれば、ナヌムの家の女性らは会議場や抗議集会に連れ出され、「日本の植民地支配に苦しめられた韓国の絶対的象徴」「歴史的正義を求める戦士」と称えられた。
しかし、こうした女性が今現在、実際はどのような生活を送っているかを問う者はほとんどいなかったと言う。
「矢嶋は、慰安婦だった女性を一人の人間として捉えています。私が知る限り、このような活動家は稀です。彼以外は、元慰安婦たちを戦争被害者として一般化し、政治問題や資金集めに利用しがちでしたから」。
こうした攻撃のほとんどが、日本人の矢嶋に向けられた。従軍慰安婦の問題は、韓国と日本の関係を何度となく緊張させてきた、数ある歴史的論争のなかで最もセンシティブな問題だ。そして両国は、東アジアで最も重要なアメリカの同盟国なのだ。
「日本軍慰安婦被害者がいる場所に日本人職員とは何事か」という横断幕が、矢嶋が働くナヌムの家の外壁に掲げられた。人権センターの調査によると、矢嶋は経営者に近い者から、民族差別的な発言を浴びせられたという。
内部告発者7人のうち4人は7月、ハラスメント被害を訴えて辞めた。それでも矢嶋は、あくまでもここに残るという。
高麗大学校教授のイム・ミリは、矢嶋が活動を通じて韓国に重要な問題提起をしたと話す。彼女によれば、ナヌムの家の女性らは会議場や抗議集会に連れ出され、「日本の植民地支配に苦しめられた韓国の絶対的象徴」「歴史的正義を求める戦士」と称えられた。
しかし、こうした女性が今現在、実際はどのような生活を送っているかを問う者はほとんどいなかったと言う。
「矢嶋は、慰安婦だった女性を一人の人間として捉えています。私が知る限り、このような活動家は稀です。彼以外は、元慰安婦たちを戦争被害者として一般化し、政治問題や資金集めに利用しがちでしたから」。
【写真】矢嶋宰は元慰安婦の女性たちのポートレイトを撮り続けてきた
ニューヨーク・タイムズ(米国) Text by Choe Sang-Hun Photographs by Woohae Cho
◆”ナヌムの家を訪ねて”
先日、ナヌムの家を訪れた。約1万4000平方メートルの広大な敷地は、いたって平穏だった。訪問者を迎えるのは、入り口前に設置された元従軍慰安婦の女性らのブロンズ胸像。歴史館には、旧日本軍が運営した、いわゆる慰安所と呼ばれる売春宿が再現されている。慰安所で女性らは毎日、数十人の日本兵とセックスを強要された。
元入所者で、敷地内の霊園に眠る8人の一人、イ・ヨンニョの墓碑銘にはこう刻まれている。
元入所者で、敷地内の霊園に眠る8人の一人、イ・ヨンニョの墓碑銘にはこう刻まれている。
「日本の戦争犯罪を決して忘れない」
施設の中央に2階建ての建物があり、韓国で存命の11人の慰安婦のうち4人が最後の日々を過ごしていた。年齢は92~98歳に達している。施設の介助者は以前の倍の10人で、24時間サービスが可能になった。内部告発を受けた運営側が実施した改善策の1つだ。
元職員で、矢嶋と共に内部告発をしたホ・ジョンアは、入所女性らの能力は著しく衰えて、自力でケアの改善を訴えることもできないと話す。
程度の差はあるが認知症を患い、身体機能が衰えている4人の入所女性は、自分たちの住む家を取り巻く世間の騒動にほとんど気づいていないようだった。最近ここを訪問した別の本紙記者は、居住区画の立ち入りを認められ、比較的認知能力が高いと思われる数人の女性から話を聞くことができた。
イ・オクソン(95)は「ここには食べ物も服も住む家もあるから」と話した。彼女は、15歳のときに中国に連行されて慰安所で奉仕させられたあとも中国大陸に留まっていたが、2001年にナヌムの家に落ち着いた。
「ここにいれば冬は暖かいし、夏は涼しい」
矢嶋にとって、これは驚くに当たらない答えだった。
「ここにいるおばあさんたちは皆、中国やほかの地域で本当にひどい生活を耐え忍んできた人たちです。ですから、今の環境がどうであれ、平気だと答えます。彼女たちは可能な限り最高のケアを受ける権利があった。しかし、私たちはそれをしてあげられなかったのです」。
施設の中央に2階建ての建物があり、韓国で存命の11人の慰安婦のうち4人が最後の日々を過ごしていた。年齢は92~98歳に達している。施設の介助者は以前の倍の10人で、24時間サービスが可能になった。内部告発を受けた運営側が実施した改善策の1つだ。
元職員で、矢嶋と共に内部告発をしたホ・ジョンアは、入所女性らの能力は著しく衰えて、自力でケアの改善を訴えることもできないと話す。
程度の差はあるが認知症を患い、身体機能が衰えている4人の入所女性は、自分たちの住む家を取り巻く世間の騒動にほとんど気づいていないようだった。最近ここを訪問した別の本紙記者は、居住区画の立ち入りを認められ、比較的認知能力が高いと思われる数人の女性から話を聞くことができた。
イ・オクソン(95)は「ここには食べ物も服も住む家もあるから」と話した。彼女は、15歳のときに中国に連行されて慰安所で奉仕させられたあとも中国大陸に留まっていたが、2001年にナヌムの家に落ち着いた。
「ここにいれば冬は暖かいし、夏は涼しい」
矢嶋にとって、これは驚くに当たらない答えだった。
「ここにいるおばあさんたちは皆、中国やほかの地域で本当にひどい生活を耐え忍んできた人たちです。ですから、今の環境がどうであれ、平気だと答えます。彼女たちは可能な限り最高のケアを受ける権利があった。しかし、私たちはそれをしてあげられなかったのです」。