三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判

2020年11月03日 | 個人史・地域史・世界史
■「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判■
 2018年11月17日の文書での、設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会から、「仮称「おおさか平和のための戦争展」を開きませんか?」という呼びかけに応じて、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会から竹本昇が、海南島近現代史研究会から斉藤日出治が、2018年⒓月17日に開催された「おおさか平和のための戦争展(仮称)」の第一回準備会に参加しました。
 2019年1月29日に「おおさか平和のための戦争展(仮称)」の第二回準備会が開催され、「おおさか平和のための戦争展(仮称)」という名称が、「アジアから見た日本の戦争」展(仮称)」に変えられ、その実行委員会が発足しました。2月5日の実行委員会で、展示会の名称が、「「アジアから見た日本の戦争」展」と決定されました。その後、2月26日の実行委員会で、展示会の名称が「アジアから問われる日本の戦争」展」に変更されました。
 以下は、2019年2月19日に書いた「「日本の戦争」展のための20項目 日本人が開催しようとしている「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判」と2019年4月23日に書いた「改悪ピースおおさかに対決する民衆の展示会について 続:日本人が開催しようとしている「アジアから問われる日本の戦争」という名の展示会批判」の要約です。
 日本人が「アジアから見る日本の戦争」あるいは「アジアから問われる日本の戦争」と言う、その「アジア」には「日本」は入ってません。そのような名称をかかげる展示会を批判する本稿の【一】、【二】、【三】において、筆者はアジア人と日本人を区別しています。
                              佐藤正人


【一】歴史的事実はひとつである。アジア人にとっての日本の戦争と日本人にとっての日本の戦争は同じ歴史的事実である。しかし、日本の戦争という歴史的事実におけるアジア人の経験と日本人の経験は同じではない。
【二】「アジアから見た日本の戦争」という言葉は、アジア人にとっての日本の戦争と日本人にとっての日本の戦争が別個の歴史的事実であるかのような虚偽を語る言葉である。
【三】日本人は、アジア人の経験した日本の戦争を語ることも「展示」することもできない。日本人は、日本人の経験した日本の戦争を語り「展示」しなければならない。
【四】日本の戦争は日本の国家犯罪である。
   日本の戦争は植民地獲得戦争であり他地域他国侵略戦争であった。
   国民国家日本の歴史は他地域他国侵略・植民地支配の歴史であった。
   日本政府・日本軍・日本企業は、侵略犯罪の歴史を終らせていない。
   日本民衆は、日本国家の他地域他国侵略に加担してきた。
   日本民衆は、日本国家の侵略犯罪を、隠蔽・消去させてはならない。
【五】改悪ピースおおさかの展示に対抗する、日本における民衆の「日本の戦争」の展示の基本主題は、国民国家日本の侵略犯罪、すなわち国民国家日本の他地域他国侵略と植民地支配である。
   展示実行委員会は、日本の戦争展準備の初期段階で、展示すべきパネルのリストを作成するという課題を実行するにはどうしたらいいかを検討しなければならない。
   おそらく、その主題は少なくても数百、パネルは少なくても数千枚になるだろう。
   そのうちから、実力いっぱいの展示を開始し、徐々に実力をつよめて、植民地歴史博物館(ソウル)、日帝強制動員歴史館(釜山)、植民地歴史博物館(ソウル)、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(ハルビン)のような展示館・陳列館・歴史館・博物館の設立を展望しよう。
【六】主題1:アジア太平洋民衆の抗日反日戦争(甲午農民戦争、義和団戦争、抗日義兵戦争)、アジア太平洋民衆の抗日反日闘争。
【七】主題2:アイヌモシリ植民地化、琉球王国植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略、オキナワ戦、労働強制・強制連行(暴行死・事故死・病死・餓死)、住民虐殺(旅順、佳里・花蓮・埔里・枕頭山・「霧社」地域など台湾各地、江西・密陽・孟山・陝川・定州・南原・堤岩里など朝鮮各地、インノケンチェフスカヤ・イワノフカなどシベリア各地、間島、日本関東、平頂山など中国東北部各地、陽高などモンゴル各地、上海・南京など中国各地、海南島各地、香港、マラヤ各地、シンガポール、インドネシア各地、フィリピン各地、太平洋各地……)、無差別大量殺人(空爆:台湾「蕃地」に日本陸軍機爆弾投下〈1917年7月~8月。11回〉、台湾霧社烽起にたいし爆弾・毒ガス弾・焼夷弾投下〈1930年11月〉、中国東北部錦州爆撃〈日本軍のはじめての市街地爆撃。1931年10月〉、上海・蘇州・杭州爆撃〈1932年1月。日本海軍機〉、上海・蘇州・杭州・南京・徐州、広東、武漢、南昌、長沙、福州、開封、重慶、成都、桂林、昆明、蘭州爆撃〈1937年8月〉、重慶爆撃〈台湾・九州・済州島の日本軍基地から。1938年10月~1943年8月。218回。死者1万1889人、ほかに圧死者・窒息者数千人)、資源略奪、文化破壊、性奴隷化、生物兵器・化学兵器使用、731部隊の犯罪(人体実験……)、天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略……。  
【八】国民国家日本の他地域他国侵略犯罪史年表共同作成。
【九】世界侵略犯罪史年表共同作成。
【十】主題3:シオニストのパレスティナ侵略犯罪、スペイン・ポルトガル・オランダ・イングランド・ドイツ・フランス・ベルギー、イタリア、アメリカ合州国……の侵略犯罪。核戦争・核実験・原発(広島・長崎への原爆投下、セミパラチンスク、チェルノブイリ、)。無人機によるアメリカ合州国軍・政府による爆撃(アフガニスタン、パキスタン……)。
 西ヨーロッパ白人とロシア人による侵略・虐殺の時代に続く、19世紀以後の国民国家の歴史は、領土・植民地争奪、他地域・他国侵略の歴史であった。
【十一】歴史を知り、歴史から学ぶことは、自己の生き方を確かめ、民衆解放の道を探求すること。
【十二】日本民衆は、日本の侵略犯罪の事実をできるだけ総体的に詳細に知り、その歴史的責任のありかを明らかにしなければ、日本が侵略した地域・国家の民衆と真に連帯することはできない。
【十三】なぜ、日本兵は、アジア太平洋各地で住民を虐殺できたのか。
    なぜ、日本国民(「臣民」)は、日本の他地域・他国侵略を肯定しつづけることができたのか。
【十四】天皇を「日本国民の象徴」とし、「明治天皇」・ヒロヒト・その子アキヒトそれぞれの誕生日をすべて日本国民の祝日とし、「元号」を使い、「ヒノマル」・「キミガヨ」を拒否しない日本国民は、他地域他国侵略と「臣民」の時代を克服していない。
 他地域・他国の民衆の大地と資源といのちを奪って経済を発展させた国民国家日本の侵略犯罪は、まだわずかしか解明されていない。
【十五】1991年9月に開館されたピースおおさか(財団法人大阪国際平和センター。大阪府・大阪市が共同設置)の設置理念には、
     「1945年8月15日に至る15年戦争において、戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、
     また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大な危害を与えたことを、私たちは忘れません」
と書かれていた。
   しかし、日本の侵略戦争は、「1945年8月15日に至る15年戦争」以前から開始されていた。ピースおおさかの展示は創立時から、誤った歴史認識に基づいていた。
   また、この設置理念には、
     「人類共通の願いである恒久平和は、戦争の惨禍を知る世界中のあらゆる地域の人々が、それぞれの
     体験を伝え合い、語り続けることによって達成されます」
と書かれていた。ここには、他地域他国を植民地とした犯罪者、他地域他国に侵入して殺人・略奪・村落破壊……をくりかえした犯罪者が、その国家犯罪の責任をとり、真に謝罪しなければ、恒久平和は達成されないとは書かれていない。
【十六】2015年4月30日に改装再開館されたピースおおさかの展示は、さらに改悪されていた。
 2013年4月に結成された「ピースおおさか」の危機を考える連絡会に続いて、2018年4月30日に「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」が結成された。
 この会は、組織名からして、誤った歴史認識に基づく初期のピースおおさかの設置理念を批判する道を閉ざしていた。
【十七】改悪ピースおおさかの展示を日本の他地域他国侵略の歴史事実を伝える展示に変えさせる運動を進めるとともに、改悪ピースおおさかの展示に対抗する民衆の展示を、段階を踏んで持久的に確実に実現していかなければならない。
【十八】世界史・民族史・国家史・地域史・個人史について全世界的規模で考え、真にインターナショナルな(国際的・地域際的・民族際的な)民衆解放の道すじを明らかにしていきたい。
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