http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/38311.html
「The Hankyoreh 」 2020-11-14 09:44
■[社説]チョン・テイル50周忌、より切実になった「数多くの私」との連帯
残酷な労働者の人権の実態を知らしめた「火花」
改善はあったものの、いまだ遠い労働尊重社会
「チョン・テイル精神」で労働者の両極化解消を
【写真】1970年11月、チョン・テイル烈士の葬儀で息子の遺影を抱きしめて嗚咽する母親のイ・ソソンさん//ハンギョレ新聞社
チョン・テイル烈士の50周忌だ。1970年11月13日、22歳の裁断労働者が、労働基準法の冊子を胸に抱き、「労働基準法を順守せよ」「我々は機械ではない」と叫び、散って行った。それから半世紀が過ぎた。彼の犠牲は、良心的な若者や知識人たちにすら関心の外だった残酷な労働者の人権の実態に鉄槌を下したかのようだった。その後、炎のように巻き起こった韓国労働運動の号砲となった。彼がいなかったら、労働者の現実も大きく改善されることはなかっただろう。
まっすぐに立つこともできない屋根裏部屋で日差しを見ることもできずにプルパン(小さな今川焼のような食べ物)で食事を済ませ、一日16時間ミシンを回しては倒れ込んでいた10代の下層労働者たちは、今や70歳を目前にしている。その間、労働者の人権は、ゆっくりとではあるものの前進した。法定労働時間は週40時間が基本となり、仕事と家庭の両立は重要な価値として定着している。労働基準に対する監督も、当時と比れば厳しくなった。国際労働機関(ILO)最重要条約の全条項批准も遠くはない。
しかし、50年前を記憶する年老いた労働者の目に映る今日の労働者の現実は、見慣れないながらも見慣れた光景だ。韓国は依然として毎年2000人以上の労働者が仕事のせいで死んでいる、経済協力開発機構(OECD)1位の労働災害国だ。新型コロナの流行により、非対面のプラットフォーム産業は肥え太ったが、非対面と非対面の隙間を埋める労働者は宅配の荷物を運んでは倒れ、ついにはそのまま息を引き取ったり、仮眠を取るつもりが永遠に目を開くことができなくなったりしている。世間は彼らを「必須労働者」と呼ぶが、彼らの生存に欠かせない賃金と休息の提供は無視している。
50年前に「産業の担い手」と呼ばれた労働者たちは、今や「社長」と呼ばれる。実状は労働者としても認められていないことを意味する。産業の担い手は労働基準法を「順守」せよと叫んで闘ったが、社長は労働基準法を「適用」せよと訴えて闘っている。規制が緩和された外注化や急変する技術などにより、労働者という名の頭には下請、特殊雇用、プラットフォームのような数多くの修辞がついた。修辞が増えるほど「本物の社長」の姿は「名ばかり社長」の後ろに隠れ、人工知能(AI)の不当な「業務指示」に対して配達労働者は抗議する場所さえない。死角地帯は恐ろしい勢いで拡大し、労災もここに集中している。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領は12日、チョン・テイル烈士に対して労働界の関係者としては初の「ムグンファ勲章」を追敍した。しかし、労働者の権利と安全を強化する実質的な措置があってこそ、勲章も輝きを放つことができる。この日打ち出した宅配労働者過労死対策は強制力のない勧告規定が大半だ。重大災害企業処罰法の制定を無視し続けてきたくせに、「国民の力」までが制定の意志を示したことで、あたふたと追いかける姿勢を示していることも残念だ。圧倒的に“傾いた運動場”を立て直すための大きな見取り図と意志を示すべきだ。
「労働者の両極化」は今日の労働問題の核の一つだ。大企業中心の従来の労働界が、この問題に積極的に対応してきたとはみられない。「チョン・テイル精神」は、自分のバス代をはたいて幼い下層労働者たちに食事させたエピソードを除いては、完全には語れない。50年前に彼が言った「私」と「数多くの私」の連帯が、再び切実となっている。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/969768.html
韓国語原文入力:2020-11-12 20:12
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/38307.html
「The Hankyoreh 」 2020-11-13 12:31
■「われわれは機械じゃない!」演劇で伝える労働者チョン・テイルの叫びは「今も同じ」
労働基準法遵守を訴え焼身自殺した全泰壱、没後50周年
「演劇・全泰壱」で全泰壱を演じ、掛け持ちで労働するコ・ギヒョンさん
【写真】今月12日、工事現場で働いている俳優コ・ギヒョンさん=コ・ギヒョンさん提供//ハンギョレ新聞社
「居眠り運転だったようです」。
演劇俳優のコ・ギヒョンさん(27)さんが3年間勤めた配達の仕事を辞めたきっかけは、「仲間の死」だった。一緒に俳優を目指していた親しい先輩は、昨年8月、オートバイで配達を終えて帰る途中、街路樹に衝突する事故で死亡した。33歳の若さだった。演劇を休んでお金を稼ごうとしていた間に起こった悲劇だった。
ショックからなかなか立ち直れなかったコさんに、運命のように「全泰壱(チョン・テイル)」が現れた。先輩が亡くなってから3カ月後の同年11月、劇団の仲間がミシンがけ労働者の役で参加した演劇「青年全泰壱の火種」を見て、50年前の全泰壱に会った。「劇を見ながら『実際に存在した人なのか? どうしてこんなに人のために尽くす人間なでありえるんだ?』と思いました」。演劇が終わった後、書店に行ってチョ・ヨンレ弁護士が書いた『全泰壱評伝』を手にした。「本の内容がとても熱かった。全泰壱はキリスト教徒だったんですが、韓国でイエスを探せと言われたらこの人なのではないかと思いました」
今月10日にソウル銅雀区のカフェで会ったコさんは、全泰壱50周忌を迎え、現在公演中(8~12月)の『演劇・全泰壱』(2020演劇・全泰壱推進委員会、木の鶏動き研究所制作)で「全泰壱」役を演じている。全泰壱の50周忌を控えて、コさんは「2020年の全泰壱」と「1970年の全泰壱」の間を頻繁に行き来していた。
大学1年生の時、ある劇団の俳優募集広告に応募し、演劇に足を踏み入れたコさんは、初舞台で演劇にのめり込み、俳優の道を歩んだ。軍除隊後、通っていた大学を辞めて演劇に没頭したが、お金が必要だった。しかし、不規則な演劇スケジュールのため、できる仕事は多くなかった。今も公演のない日の夜は代行運転手、朝と夜は日雇い建設労働者として働きながら生計を立てている。「人材事務所に朝の5時半に出かけて、ソウルのある工事現場に向かいます。午後5時まで働けば紹介費を引いて11万7千ウォン(約1万1千円)もらいます」。100人余りがいる職場でトイレには小便器と座便器が一つずつのみ。休憩スペースがないのでどこでも座って休む。『全泰壱評伝』で読んだ50年前の風景が、彼の頭の中をたびたびかすめていく。
【写真】「演劇・全泰壱」で、裁断師たちに労働基準法があるという事実を伝え、労働条件改善のために一緒に取り組もうと説得して眠りに落ちる全泰壱(俳優コ・ギヒョン)=木の鶏動き研究所提供//ハンギョレ新聞社
「演劇・全泰壱」は、「私たち皆が全泰壱だ」という趣旨で俳優10人が各場面で異なる全泰壱を演じる。コさんは労働基準法に目覚め「ばかの会」を結成した時の全泰壱役を演じた。「1日14時間!こんなに幼いシダ(下働き)たちが長時間労働に耐えられますか!労働基準法第42条、労働時間は1日に8時間、1週間に48時間を基準にしている」。コさんが感情を高めるたびに、観客席から拍手とすすり泣く声が聞こえる。
彼はいまでも全泰壱の演技は難しいと語った。「俳優である私が全泰壱にならなければならないのに、誰かが『全泰壱のようにできるか?』と聞いたら、私はそうできない小市民だと答えるでしょう。それで乖離を感じたり、何度も反省してしまいます」。
それでも演劇は、人生は続く。「(全泰壱の)人生そのものが英雄的なイメージとして刻印されているから、人間的な一面を見せなければならないんじゃないか、とずっと考えています。22歳で亡くなった彼も、私たちと同じ青年です。愛したい、面白いことをしたいと思う私たちと同じ姿があると思います」。
「われわれは機械じゃない!」という50年前の全泰壱の叫びに、2020年の全泰壱は答える。「人間の尊厳を守ってほしいという全泰壱の叫びが実現されていたならば、(工事現場で)みんな冷たい道ばたに座って休憩をとることはなかったでしょう。50年前の彼の叫びは今も有効です」。
チャン・ピルス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/969813.html
韓国語原文入力:2020-11-13 06:58